戦国以前、日本有数の港だった兵庫湊には、北関と南関という2つの税関があり、そのうち北関の税関台帳が残っている。
この税関台帳によると、積み荷の1%が関税として徴収されていたという。
この税関台帳によると、積み荷の1%が関税として徴収されていたという。
ちなみに、上杉謙信は、柏崎と直江港という2つの港から関税収入だけで、年間4万貫を得ていたという。
4万貫というと、だいたい30万石の大名の収入に匹敵する。
つまり、上杉謙信は、実際の領地に加え、30万石の副収入を持っていたのである。
4万貫というと、だいたい30万石の大名の収入に匹敵する。
つまり、上杉謙信は、実際の領地に加え、30万石の副収入を持っていたのである。