学問の神様として名高い大宰府天満宮は菅原道真の霊を慰めるために建てられた。
菅原道真は貴族としては名門の出ではないにもかかわらず、230年間でわずか65人しか合格しなかったいう最高国家試験「文章得業生」に合格し、讃岐守などの重要ポストに就き、当時の宇多天皇の信頼を得て、右大臣にまで上り詰めている。
しかし、その直後に無実の罪を着せられ、大宰権帥(大宰府の副指令長官)に左遷され、京都に戻ることなく大宰府で死んでしまう。
この菅原道真の失脚は、古代史の謎の一つとなっている。
実は菅原道真は「寛平、延喜の改革」と呼ばれる国制改革を実行しようとしたことで、有力貴族から反発を受け失脚したという。
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