天徳2(958)年の乾元大宝を最後に、朝廷は銭の鋳造をやめてしまった。
銅不足が原因とされている。
銅不足が原因とされている。
そして、10世紀末には銭の流通が非常に少なくなり、その後150年間に渡って貨幣は流通していなかったという。
なぜかと言うと、土地売買の記録から銭の使用の記載が消えており、米や布を貨幣の代わりに使っていたと思われる。
しかし、九安6(1150)年に、土地売買の記録に再び銭の記録が出てくることから、この頃に銭の流通が再開したと考えられる。
中国から「宋銭」が大量に輸入されたからである。
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