Amazon

2017年9月10日日曜日

第一次世界大戦以降、日本の最大の輸出相手国はアメリカであり、日本の輸出全体の4割をアメリカが占めていた。
アメリカにとっても日本は、カナダ。イギリスについて3番目の輸出相手国であり、日本への輸出は中国への輸出の22倍もあり、当時アメリカ領だったフィリピンへの輸出と比べても3倍あった。
アメリカにとって日本はアジアで最大の貿易相手国だったのである。
当時から日本経済はアメリカ抜きでは成り立たない状況だっだ。
石油は当時から日本は消費量の9割以上を輸入に頼っていたが、そのうち8割以上はアメリカからだった。
つまり石油の消費量の7割強をアメリカ一国に頼っていたのである。
アメリカは最後の外交カードとして対日石油輸出を全面的に禁止した。
ただしアメリカ側でも簡単に石油輸出禁止に踏み切れた訳では無かった。
当時、アメリカの石油産業の要衝地のカリフォルニアはアメリカの石油生産量の15%を占めており、その生産量の9%を日本に輸出していた。
そこでアメリカ政府は、半日キャンペーンを張ると共に、「いずれ石油が不足し、石油の需要は高まる」とカリフォルニアの石油産業を説得した。
日米関係を悪化させた要因には移民問題もあった。
第二次世界大戦前の日本においては、日本列島だけで暮らしていけない貧しい層が出てきて、ハワイや南米アメリカに移民を多く出していた。
明治以降、日本は人口が急増したが、それに見合うだけの仕事が無かったのである。
移民の渡航先として特に多かったのが、ブラジルとアメリカで、ブラジルには100万人が移民として渡っている。
1920年にはアメリカ全土に12万人の日本人移民が住んでいた。
移民の歴史は古く、明治辰直後の明治元年(1868年)には、最初の移民団がハワイに向けて出発している。
国の斡旋で141人(うち女性6人、子供1人)が3年の労働契約でハワイの農場で働くというものだった。
ハワイはそれ以降も日本人の主要な移民先となり、1941年までに23万人の日本人が移民している。
その後、移民先は南米アメリカ、フィリピン、オーストラリアなどに拡大していったが、日本人移民は勤勉で、母国に送金をするので現地でお金を使わず、生活習慣も言葉も違うため、地域住民より反発を受け、1898年にはオーストラリアで日本人の入国が禁止されている。
アメリカでも日本移民排斥運動が強くなっていき、1913年にはカリフォルニア州で帰化権のない者への土地所有禁止法が可決され、事実上、日本人による農地の売買禁止措置だった。
そして1924年にアメリカで「排日移民法」が制定され、日本からの移民が大幅に制限された。
この排日移民法に対し、日本国内では反米感情が高まり、1924年4月には東京で2万人が参加したデモまで行われている。
第二次世界大戦中、日系移民は移民先で敵国人として苦しい立場に追い込まれ、特にアメリカ、カナダ、キューバ、メキシコでは日系人12万人が強制収容所に入れられた。
日米の対立は、既に日露戦争直後に始まっていた。
日露戦争終結2年後の1907年に日本は日露戦争後の「帝国国防方針」を制定したが、明らかにアメリカが仮想敵国として念頭に置かれていた。
例えば、日本海軍ではアメリカの艦船保有の7割を維持することが目標とされており、「八八艦隊計画」と言われる。
日露戦争の日本海軍の計画では戦艦6、装甲巡洋艦6という六六艦隊だったが、日露戦争後に拡充され八八艦隊となった。
これに対してアメリカも「オレンジ計画」と称された対日軍備計画が練られている。
アメリカは日露戦争前までに戦艦25隻を建造し、既にイギリスに次いで世界2位の海軍国となっていたかが、1907年以降、ほぼ毎年、戦艦2隻の建造を続けている。
またアメリカは、1907年~1909年にかけて、戦艦16隻による世界一周航行を行い、海軍力を世界に誇示するデモンストレーションをしている。
これは特に、日露戦争に勝利した日本に対する牽制の意味が強かったとされている。
日露戦争を経て、日本はロシアから南満州鉄道の運営権利を譲り受けた。
当初、この南満州鉄道の経営は、アメリカ人の実業家エドワード・ヘンリー・ハリマンと日本が共同で行う事になっていた。
ハリマンは、アメリカのパシフィック鉄道で財を成した鉄道王である。
しかし、日露講和条約の全権大使だった小村寿太郎が猛反対し、日本単独経営という事に落ち着き、日米関係を悪くする要因となった。
もし、南満州鉄道の経営を日米共同で行っていれば、後の太平洋戦争は起こらなかったかもしれない。
第二次世界大戦後の西ドイツの急激な復興は目を見張るものがあった。
戦後4年目の1949年には戦前のピークだった1936年の工業生産水準に戻っている。
1950年から1958年の間に、国民所得は2.2倍、工業生産は2倍、輸出は4.4倍、1959年にはGDPでフランスを抜き、1960年にはイギリスを抜いて世界第2位になっている。
西ドイツの急速な復興の要因としては、戦争被害がそれどでも無かったからである。
ドイツは首都ベルリンまで攻め込まれ、ベルリンは瓦礫の山となったが、連合国軍の調査によるとドイツ産業の生産力の戦災によるダメージは2割程度だったという。
日本も同様で、主要都市は大規模空襲で焼け野原となったが、産業の中枢である製鉄の生産能力は殆ど低下していなかったという。
戦争というのは、人的被害は大きいが、産業に対する影響は少ないといえるようである。
東西冷戦時代に、米ソは軍拡競争を繰り広げるだけでなく、世界各国に軍事支援と経済支援を行った。
アメリカは1950年代に国家予算の7割近くが軍事費を占め、冷戦期間を通じても3割を占めていた。
GDP比では1割となり、これほどの軍事費を拠出しているの、常時戦争をしている状態と同じだった。
現在の自衛隊の経費はGDPの1%である事を考慮すると、GDPの10%という規模の大きさが理解できる。
もと日本がGDPの1割を軍事費に支出するとすれば、国家財政の半分を軍事費に費やす必要が出てくる。
ちなみに、現在のアメリカの軍事費はGDP比で3~4%である。
IMFは世界の国々で金融危機や信用不安が起きた時に、緊急の融資をして救済する機関である。
また世界銀行は主に新興国がインフラ投資を行い時に、融資をしてくれる銀行で、日本も東海道新幹線の建設時に世界銀行から融資を受けた。
このIMFと世界銀行は、アメリカの出資比率がIMF17.69%、世界銀行15.85%と最も大きく、実質的にアメリカの支配下にある。
IMF、世界銀行ともに、重要議題を議決する際に85%の賛成が必要であり、アメリカは加盟国の中で唯一15%以上の出資をしており、15%以上の議決権を持っている。
つまり、アメリカは拒否権を持ち、アメリカが反対した事案は絶対に承認されない。
世界恐慌によって世界全体の貿易額は縮小したが、アメリカの輸出力の強さはずば抜けており、第二次世界大戦終結まで相変わらずアメリカま金保有量は増え続け、最終的に世界の金の7割以上を保有してしまった。
第二次世界大戦後に世界経済のイニシアティブを握ったアメリカは、世界に対して自由貿易を強制した。
1945年にイギリスはアメリカに対して38億ドルの融資を求め、見返りとしてアメリカはイギリスのブロック経済の解体を求めた。
同年にフランスもアメリカに対して10億ドルの支援を求め、フランスのブロック経済の解体を求めた。
当時のイギリスとフランスは、植民地保有の1位と2位だったので、両国の植民地を自由市場として開放させることで、自由貿易圏を世界中に広げることに成功した。
アメリカの巨額の貿易黒字が世界経済に与えた悪影響のもう一つは、世界恐慌を引き起こしてしまったことである。
巨額の貿易黒字を続けていたアメリカには、大量の金が入ってきた。
当時の世界経済において主要国の多くが金本位制を採用しており、貿易の最終的な決済は金で行われていた。
そして、アメリカは世界貿易シェア1位だったにもかかわらず、アメリカ自体は農産物も資源も豊富にあり、輸入を必要としていない国だった。
世界恐慌が起きた1929年におけるアメリカのGNPに対する貿易の割合は、輸出が5%、輸入が3.4%に過ぎなかった。
しかもアメリカは集まる一方の金を更に貯めこむ政策を採ってしまう。
本来、金本位制のもとでは、金が流入すれば通貨量を増やさねばならない。金が集まった国が通貨を増やすことでインフレが起こり、物の値段が上がるので国際競争力は落ちる。
そのため、集まった金が流出していき、金本位制の各国の貿易バランスが取れるという仕組みになる。
しかし、アメリカは国内でインフレが起きることを警戒し、金が増えているにも関わらず、通貨量を増やさなかった。
1922年8月以降、流入した金は連邦準備銀行の金準備に含めないようにしたのである。
よって、アメリカに金が大量に入ってくるにも関わらず、アメリカの国際競争力は落ちず、貿易黒字は増え続け、その結果1923年末には、世界の金の4割をアメリカが保有してしまう。
アメリカばかりに金が集まると、当然、他国では金が不足し、他国から物を買えなくなり、貿易も収縮してしまう。
世界の金の4割が集まるアメリカに投資が集中し、アメリカの株式市場が加熱し、そして爆発したのが世界恐慌なのである。
つまり、アメリカの輸出過多により世界貿易の通貨である金を貯め込むんことが、世界恐慌や第二次世界大戦の背景にあった。
アメリカの輸出の最盛期は第一次世界大戦から第二次世界大戦までの戦間期である。
第一次世界大戦までのアメリカはも鉄道建設などでイギリスから巨額の投資を受け入れていたため、世界一の債務国だったが、第一次世界大戦がには、アメリカは一気に世界一の債権国となった。
経済学者のケインズによると、第一次世界大戦終結時のアメリカの国際収支は19億ポンドの黒字だった。
当時のイギリスの税収が3000万ポンド程度だったので、19億ポンドという額がいかに巨大なものであるかが理解できる。
このアメリカの貿易黒字の相手は連合国陣営の国々であり、イギリス、フランス、イタリアは、このような巨額の債務を背負いきれないと、アメリカに借金の減額を養成したが、アメリカはこの債権の減額を拒否した、
そのためイギリス、フランス、イタリアは敗戦国ドイツに対して、巨額の賠償金を求めたのである。
第一次世界大戦の講和条約「ベルサイユ条約」では、第一次世界大戦の責任は、一方的にドイツにあると規定され、ドイツは連合諸国が受けた損害を賠償することとし、その賠償額は1300億マルクと巨額となった。
これはドイツの税収の十数年分であり、ドイツは植民地を全て取り上げられ、人口の1割を失い、領土の13.5%、農耕地の15%、鉄鉱石の鉱床の75%を失っている。
ドイツは戦争で国力を消耗していたので、この賠償金を支払えず、ドイツ経済は大混乱し、インフレ率が1億を超えるというハイパーインフレが生じた。
この荒廃したドイツで「ベルサイユ条約の破棄」を謳って、ヒトラーが登場するのである。
つまり、ヒトラーの独裁政権の誕生も、アメリカの巨額の貿易黒字が遠因ともいえる。
アメリカの経済が危うくなっている最大の原因は貿易赤字である。
アメリカの2015年の輸出入額を見てみると、輸出額が1兆5000億ドルなのに対して、輸入額が2兆2000億ドル以上もあり、輸出額の1.5倍の輸入をしている。
アメリカの対外債務が積み重なっているのも、最大の要因はこの貿易赤字である。
アメリカの経常収支は、1992年以来、赤字を続けており、2015年の赤字額は463億ドルとなっている。
このように多額の対外債務を抱えた国は今だかつてない。
通常は、これほどの対外債務が増えるまでにデフォルトを起こしているからである。
アメリカ政府の純債務残高は2016年時点で15兆ドル(1550兆円)に達している。
また政府の財政赤字とともに、経常収支の赤字も抱えている。
経常収支の赤字とは、貿易や投資など国際取引総計での赤字という事である。
その赤字は、アメリカの借金ということになる。
現在のアメリカは、この借金が積りに積もって、対外債務は7兆5000億ドル(758兆円)となっている。
対外債務とは、外国に対する借金であり、アメリカは世界最大の借金国なのである。