明治憲法における政治体制の特徴としては、法律の制定、文武官の任免、軍隊の統率、宣戦・講和など、国家レベルの権限といえるもの全てを天皇に集中(天皇大権)させていた。
この絶大な権限をもつ天皇を補佐するために、多くの国家機関が設置され、それぞれが役割を分担し、天皇のもとに並列する形が取られていた。
代表的な国家機関としても衆議院と貴族院で構成される帝国議会(法律・予算)、内閣(行政)、枢密院(条約・勅令)、参謀本部・海軍軍令部(軍の作戦・用兵)などがあった。
一方で、日常の政治運営においては、「宮中・府中の別」という原則があった。
「府中」とは政治の世界のとを指し、この原則は天皇を中心とする世界と政治の世界との分離を意味する。
つまり、天皇大権を保持しているはずの天皇は、自らの政治的権限を先頭に立って行使しないことになっている存在でもあった。
「府中」とは政治の世界のとを指し、この原則は天皇を中心とする世界と政治の世界との分離を意味する。
つまり、天皇大権を保持しているはずの天皇は、自らの政治的権限を先頭に立って行使しないことになっている存在でもあった。
国家レベルのあらゆる決定は天皇の名でなされるが、現実の政治運営の場面では、諸国家期間が実質的な決定権をそれぞれの役割に応じて握っていた。
結果的に、明治憲法体制では、諸国家期間の判断や決定が多様となり、そこで生じた矛盾や対立を調整し解決していく制度上の仕組みが無かった。