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2016年9月7日水曜日

1885年12月23日に内閣制度が採用され、第一次伊藤博文内閣が発足した以降、1889年の大日本帝国憲法発布を経て、1947年5月3日に第一次吉田茂内閣の時に日本国憲法が施行されるまでの61年4ヶ月の間に、同じ人物が連続して組閣した例(第一次・第二次加藤高明内閣と第二次・第三次近衛文麿内閣)もあるが、この2例とも連続する内閣の性格が大きく異なるので、別個のものとして扱うと、内閣の数は46だった。
明治憲法下では、一代の内閣の平均寿命は16ヶ月ほどと短命だった。
そもそも明治憲法には、内閣や総理大臣という言葉はなく、第四章「国務大臣及び枢密院顧問」の第55条に「国務各大臣は天皇を輔弼(ほひつ)し其の責に任ず」という条文が僅かにあるだけだった。
輔弼とは、「天皇を補佐する」という意味で、この規定は国務大臣単独輔弼制と呼ばれている。
明治憲法下において、首相といえども「国務各大臣」の中の一人に過ぎず、他の大臣を指揮し、罷免してでも命令に従わせることができるような明文化された権限がなかった。
国務各大臣とは対等な関係の中にあって、その権限は極めて弱いものだった。
ちなみに日本国憲法では、第68条にて、首相には「任意に国務大臣を罷免する」権限があると明記されており、昭和憲法の下では首相が内閣の指揮官であることが明白である。

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