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2018年2月20日火曜日

不可能の反対語は可能ではない。
「挑戦」だ。
by ジャッキー・ロビンソン(黒人初の大リーガー)
財政破綻は最終的にはインフレに行き着く。
インフレといのは、国家にとって税金の一種であり、歴史上、巨額の財政赤字の殆どは「インフレ税」によって精算されてきた。
インフレで借金の実質価値を減らすことができなければ、どこまでも財政赤字は拡大し続けるので、結局はインフレになるほかはない。
一旦インフレになると円安を引き起こし、輸入価格を押し上げて国内物価をインフレにするという負のスパイラルが始まり、加速度的にインフレ率が上昇し、最後はハイパーインフレと呼ぶような物価の暴騰に至る。
ハイパーインフレとは、国民を犠牲にして国家が借金を清算すことなのである。
財政破綻で超円安を予想する人が多いが、実際に何が起きるかはその時になってみないと分からない。
日本の対外純資産は民間だけで310兆円以上あり、国内金利が急上昇すれば海外資産を売却して円に戻す動きが広がる。
日本国債崩落による金利上昇で、海外投資家が日本国債に投資し、それが円高につながることも考えられる。
為替レートは長期的には、インフレ率と金利差を調整するように動くので、高金利通貨はいずれは安くなる。
この市場原理が働いて、日本経済の高金利とインフレが定着すれば為替レートは円安に向かうことになる。
円の為替レートというのは日本円と外国通貨を交換する際の単なる換算の道具でしかないので、歴史上、通貨の価値が10分の1や100分の1になることは決して珍しくない。
財政破綻は、国債の暴落による金利の上昇をきっかけに始まる。
これは財政破綻の定義で、それ以外の経済的な事象(円安やインフレ)か起きても、金利が大きく上昇しなれば景気の回復に繋がるので財政は破綻しない。
国債価格か大きく下落して金利が上昇すると、国債を大量に抱える金融機関が時価評価で債務超過となってしまう。
ユーロ危機が深刻化してのは、PIIGSの国債が軒並みに下落したため大手銀行の資産が劣化し、それが投資家の不安を誘い国債がさらに売られるという悪循環に陥ったからである。
仮に日本国債が暴落すれば、資産の3割から5割を国債で運用しているゆうちょ銀行、かんぽ生命をはじめ、それ以外の金融機関の中にも救済のために国有化されるところが出てくる。
金利の上昇によって変動金利でマイホームを購入した人は返済ができなくなり、自己破産と不動産の競売が急増することになる。
金融危機と企業の倒産、住宅ローン破産は、金利上昇という一つの原因から発生する同一の現象である。
1997年アジア金融危機、1998年のロシア危機、2001年のアルゼンチン通貨危機、2008年の世界金融危機まで、これまで幾度となく同じ光景が繰り返されてきた。
一度、金融危機が起きてしまえば、その後の展開は一直線なのである。
国家が借金の返済に窮した時に起こることは原理的に明らかで、そのことは過去の歴史が証明してきた。
例えばギリシアは、1830年の独立から2008年までの約180年間で、破綻(債務不履行と債務条件変更)期間が50%を超えている。
国家は、我々が考えているよりもはるかに頻繁に破産するのである。
日本国の財政が破綻と経済的には、3つのこと以外は起こらない。
1.金利の上昇
2.円安
3.インフレ
リスクには、管理可能な確率的リスクと、管理不可能な不確実性のリスクがある。
管理可能なリスクは、保険によって社会に組み込まれていく。
自動車の発明は、人類に移動の自由を飛躍的に拡大し、物流を効率化して社会を豊かにしたが、一方で日本では年間4千人が交通事故で死亡している。
人の命はお金には代えれないが、それでも無理矢理、金銭に換算して損害を賠償する。
これが可能なのは、交通事故が管理可能な確率的なリスクだからである。
それに対して、原発事故は起きるとその損害は天文学的に膨れ上がる。
放射能に汚染されたがれきの処理や土壌の除染費用の試算は、2013年の11兆円から、2016年には21.5兆円へ僅か3年で倍増した。
それでも事故前の住環境に戻すことは不可能で、避難した人達の生活支援や精神的損害の賠償も、際限なく増えていくであろう。
人類は放射能を安全に管理する科学技術を持っていない。
だとすれば、「核」は元々手を出してはならない禁断の果実だったといえる。
稀にしか発生しないが、一旦発生するととてつもない変化を被る出来事を「ブラックスワン」という。
17世紀にオーストラリアで黒鳥(ブラックスワン)が発見されるまで、スワン(ハクチョウ)とは白い鳥の事だと、誰もが信じて疑わなかった。
しかし、その常識は、たった一羽のコクチョウによって全てが覆されてしまう。
管理不可能なリスクは、時に世界の姿を大きく変えてしまうのである。
不確実な事象(ブラクスワン)は、統計的に把握することができず、原理的に保険が成立しない。

2018年2月10日土曜日

関東圏に在住している40~79歳までの男女(有配偶者863人、単身者299人)を対象に行われた調査をまとめた『セックスレス時代の中高年「性」白書』(日本性科学会セクシャリティ研究会編:2016年)によると、「この1年間に性交をしたいと思ったとはどれくらいあるか」という質問に対する結果は、「たまにあった」まで含めると、配偶者がいる男性では、40代91%、50代89%、60代78%、70代81%に上る。
同じく配偶者がいる女性では、40代72%、50代53%、60代42%、70代33%となっている。
厚生労働省の「平成26年度衛生行政報告によると、10代の人工妊娠中絶件数は17,854件と、1日につき48人、1時間につき2人の未成年者が人工妊娠中絶を選択している。
こうした現状は、精神的に未熟なせて年特有の現象であり、年齢が上がれば避妊の情報や知識がでは、理性的に判断できる人が増えるはずだと思ってしまう。
しかし現実は反対で、人工妊娠中絶件数はむしろ年齢が上がるとともに上昇する。
20代では76,445件と10代の4.2倍となり、30代では69,732件と10代の3.9倍といずれも10代の件数を遥かに大きく上回っている。
40代でも17,856件と10代とほぼ同数の件数となっている。
宝塚大学看護学部の日高庸晴教授らが2008年に15~24歳の男女2000人を対象に実施した街頭調査によると、性的指向と自殺リスクの関連について、異性愛者と性的マイノリティとの比較が行われた。
その結果、ゲイやバイセクシャルなど性的マイノリティの男性は、異性愛者の男性と比べて、自殺を図るリスクが5.9倍になることが明らかとなた。
また2005年に厚生労働省エイズ対策研究事業の一環でゲイ・バイセクシャルの男性5731人を対象に実施されたしんたーネット調査では、回答者の65.9%が自殺を考えたことがあった、という結果が出ている。
医療機関で性犯罪者を対象にした再犯防止プログラムに携わるソーシャルワーカーの斉藤章佳氏は著書『男が痴漢になる理由』(2017年、イースト・フレス)の中で、「痴漢をするのは野獣のような性欲を抑制できない男性」というイメージは全くの誤りであると指摘している。
痴漢を含めた再犯防止プログラムの受講者ほぼ半数は大卒の会社員で、働き盛りの30~40代が7割を占めている。
そして全体の4割が既婚者であり、子供がいる人も大勢いる。
斉藤氏は「痴漢は依存症だある」と主張する。
痴漢により生じるリスクを理解しているのに、自分自身の性的欲求や衝動をコントロールできない。
痴漢によて逮捕や失業、離婚など社会的な破綻を経験しているにも関わらず、それでも辞められない。
彼らが痴漢を始めたのは「なんとなく」という理由が多く、「意外と簡単だ」「女性は嫌がっていないんだ」という新鮮な驚きを覚え、常習化していくケースもあるという。
また痴漢加害者200名への聞き取り調査の結果、痴漢行為中に勃起していると回答したのは3割にすぎなかった。
つまり、痴漢を行う男性は必ずしも性的欲求満たす目的で痴漢をしていわけてはない。
痴漢行為は、彼らにとって「ストレスへの対処法」という面もあり、仕事や家庭ての人間関係によるストレスや孤独感が痴漢行為の引き金になるという。
そして、痴漢の多くは逮捕されて実刑判決をうけても反省しておらず、自分が加害者であるという意識や記憶自体を忘却してしまうという。
SNSのタイムライン上が自分と同じ価値観や信念を持っている人の投降ばかりで埋め尽くされる状況を「フィルターバブル」という。
インターネットの世界では、過去の検索履歴や購買履歴に応じて、私たちが見たい情報を推定・選別した検索結果やレコメンドが自動的に提示されてしまう。
その繰り返しの中で、私たちは自分の趣味や主義に合わない情報から隔離され、実質的に自分が見たい、触れたいと考える文化や思想の皮膜(バブル)の中に閉じ込められ、孤立するようになってしまう。
現代のネット社会は、「情報を見つける」のではなく、「情報に見つけられる」社会なのである。
特定の価値観に基づいてネットサーフィンやショッピングをしているうちに、ネット上での行動がデータ化され、それに適した情報世界に引き寄せられ、見たい情報だけに取り囲まれる快楽に浸かることになってしまう。
2010年に日本家庭家族計画協会が実施した「第5回 男女の生活意識に関す調査報告」によると、10代後半(16~19歳)の段階でセックス経験率は、男性24.6%、女性20.0%である。
『全国母子世帯等調査結果報告』によると、養育費を受け取っている母子世帯は19%しかいない。
さらに、「養育費の取り決めをしていない」いうケースが58.3%にも上る。
その理由を尋ねる項目では、「相手に支払う意思や能力がないと思った」が47%、「相手と関わりたくない」が23.7%、「取り決めの交渉をしたが、まとまらなかった」が9.5%と続く。
なお、「養育費を現在も受けている又は受けたことがある世帯のうち額が決まっている世帯の平均月額」は4万2008円である。
仮に養育費を得られたとしても、とてもこの金額で子育てをするのは困難である。
書籍は今後も紙の時代が続く。
理由は、教科書会社の利権はそう簡単に崩れないからである。
電子書籍元年というのは、小学校、中学校の教科書がiPadなどのタブレット型端末になったときである。
初動の段階で紙に慣れると、紙から離れ慣れない。
佐藤優氏が持ち歩くiPadには4200冊の電子書籍が入っているという。
講談社の『人類の知的遺産』、中央公論の『世界の名著』、河出書房新社の『世界の大思想』、『マルクス・エンゲルス全集』、『ヘーゲル全集』などが入っている。
芳沢光雄著『新体系・高校数学の教科書』(講談社ブルーバックス)は、過去50年の数学の教科書を全部読み直して、大学の数学に連結するような過度な、過度な計算に追われない形で組み直した数学がこの本である。

「近代経済学」という言葉は日本にしかない。
最近の経済学の本には「近代経済学」とは書かれてなく、単に「経済学」とか「主流派経済学」と書かれている。
日本はマルクス経済学が強かった時期があったので、マルクス経済学以外の経済学を近代経済学と言っていたが、マルクス経済学の研究者が存在しなくなった事が影響している。
近代経済学という言葉を作ったのは、杉本栄一という一橋大学の数学の教授で若くして亡くなってしまった。
「杉本経済学」ともいわれるユニークな経済学の考え方は、現在でも竹中平蔵、浜矩子などの弟子が受け継いでいる。
一橋の経済を出た人たちというのは、経済学説史的なアプローチをする。
杉本栄一著『近代経済学の解明』の中には、ケンブリッジ学派やローザンヌ学派と並んでマルクス学派が登場する。
本来の近代経済学というのは、マルクス経済学と、いわゆる主流派の経済学を全部合わせて近代経済学と言って、その中で相互に瀬在琢磨した方が良いという考え方だった。

芳沢光雄著『論理的な考え、書く力』の中で、試験のマークシート式で、五肢択一では大体「3」の先駆しの確率が高くなるという話が出ている。
出題者側からすると、一番目と最後に正解は置きなくない。
そうすると自然と三番目が多くなるということで、それが本当に有意かどうか統計をとってみたら、明らかに有意な数字が出てくるといった事が詳しく書かれている。
外交というのは国家の力と力の均衡戦で決まる。
竹島問題が深刻になっているのは、日韓基本条約を1965年に結んだ時点と比べて、韓国の国力が圧倒的につき、日本の国力が相対的に弱くなっているからである。
尖閣諸島問題で中国が挑発的な活動をできようになったのは、国交正常化をし、日中平和友好条約を締結した1970年代と比べて、中国の国力か圧倒的について、日本が相対的に弱くなっているからである。
絶対的な日本の国力は日本の方が強いくなってはいるが、相対的な力関係が変わってきたということなのである。
近代の日本には、常に急激な人口増という問題をかかえていた。
1872年(明治5年)に3500万人弱だった日本の人口は、60ん足らず間に3000万人以上増加して、1931年(昭和6年)には6500万人(植民地人口は除外)を突破している。
1924年にアメリカで排日移民法が成立して以来、日本の移民はブラジルを中心に中南米に向かっていく。
1932年に満州国が建国されて以降、満蒙開拓団により農業移民が本格化し、数十万人の日本人が新天地へ向かっていった。
満蒙の地は、当時の日本における社会問題を一挙に解決できる特効薬であるかの印象さえ漂わせていたのである。
関東軍の指揮官が国家的な使命感に燃えれば燃えるほど、あの土地は益々魅力的になっていった。
2015年8月に安倍首相か戦後70年の歴史談話を出し、リベラル派や左派からその内容について批判された。
しかし、じっくりとその内容を読むと村山談話よりもずっとリベラルである。
村山談話では「ある時期から国策を誤った」という認識であり、ある時期とは日清戦争、日露戦争、満州事変、太平洋戦争なのか、それともポツダム宣言を直ちに受託しなかったら原発投下ソ連参戦を招いたのか、「ある時期」というのは歴史認識においては何の意味もない。
ところが、安倍首相はいつ日本か間違えたのか、それは満州事変だと、はっきりと特定している。
ここから3つの解釈が可能となる。
1.今回、歴史認識の問題のために現代史を勉強したら、一番悪いのは満州国を建国して運営した、自分が最も尊敬する祖父の岸信介だと理解でき、満州事変で日本は国策を誤ったという見解を表明した。
2.今回の談話を作るにあたり有識者グループが騒いでいるし、公明党もうるさいから、この場をやり過ごすために、この歴史談話を発表した。
3.自分が読んだ文書の意味が理解できていなかった。
もし1番目だとすると、政治家の信念がコロコロと変わって良いのかという問題が生じる。
2番目だとすると、歴史認識のような根本問題で自分の信念と異なることを言っても良いのかという政治姿勢に問題が生じる。
3番目は、話者の知性の水準という問題が生じてしまう。
満州事変で日本は間違えたという歴史認識は良い認識であるこは間違いないが、いずれにせよ、2015年の安倍談話は、政治家個人としては大変深刻な問題をはらんでいる。
高校の歴史教科書に関しては、日本史も世界史もAが良い。
しかし進学校ではAを使うことはなく、商業・工業・農業高校などの実業系の高校で使用される。
歴史について勉強するのはこれが最後で、今後歴史について勉強しないので、通史で全部の歴史をるのではなく、近現代史だけに特化している。
別に資料集を参照することも想定されておらず、この1冊の中だけで全部完結するようになているので読みやい。
進学校で使用されている教科書Bは、難関大学の入試に対応できるように巨大な年表のようになっているで、事実関係がひたすら羅列されているだけで、物事の連関、意味について殆ど書かれていない。
『岩波講座世界歴史』には新版と旧版がある。
1969年から1971年に出た旧版の巻構成と、約30年後に出た新版の巻構成を見比べると興味深い。
旧版の方は、古代、中世、近代、現代と歴史とは時系列に即して発展しているという考え方に基づいている。
ただ、近代に入るまで、つまり中世までは西洋史とアジア史に分かれていて、世界史は成立していない。
世界史というのは、近代以降、ヨーロッパ列強が北米大陸、アジアに進出していき、世界的なシステムができるという考え方であり、この構成に隙間がない。
一方、約30年後にできた新版は、まず明白に通史と言う考え方が否定されている。
「ヨーロッパの成長 11~15世紀」と「イスラム世界の発展 7~16世紀」「中央ユーラシアの統合 9~16世」と同じ時代が別々の巻に記述されている。
そして古代という考え方もなければ、中世、近代、現代という時代区分も取らていない。
時代区分自体が、欧州・北米を中心した彼らの時代区分であり、それ自体が支配の論理だと考えるからてある。
しかし、新版だと全体を通じた歴史観は欠落してしまうという問題が出てくる。
古本市場では一般的に新版の方が圧倒的に高くなり、旧版は値段がつかなくなるが、この『岩波講座世界歴史』においては、旧版の方がレア本となっていて新版よりも高い値段がついている。
これはポストモダン的なるものの限界が来ていることの表れであり、物語が必要になてくることの表れでもある。
2016年に韓国で最も人気を集めた映画は「仁川上陸作戦」だった。
1950年9月15日に、国連軍(米軍・韓国軍)は北朝鮮軍によって押されて、釜山の市内しか守れない状況に追い込まれていた。
その時にマッカーサーによって戦況を一変させたのが、仁川上陸作戦だった。
この作戦は相当バクチ性の高いもので、成功す可能性は高くなかったと言われている。
5万人の兵力によって現在の仁川国際空港のある場所から上陸を試み、北朝鮮軍を挟み撃ちにし38度線まで戦線を回復する流れを作ることになった。
一方で1982年に北朝鮮で制作された「月尾島(ウオミルド)」という北朝鮮て知らない人はいない国策映画がある。
月尾島は仁川にくっついている島で、現在は埋め立てられて仁川市の一部になっている。
もともと日本の統治下の時代から遊園地があった。
仁川上陸作戦では、この月尾島の攻略から開始される。
北朝鮮の映画では、金日成将軍の指示で9月13日から15日まで国連軍が月尾島上陸阻止の命令が中隊に与えられる。
中隊は全部で60人しかおらず、大砲も4門、砲弾も100発かなく、最後は全員が玉砕する。
この2つの映画が扱うのは同じ出来事だが、韓国の戦史によると45分で簡単に攻略しているが、北朝鮮の『金日成著作集』の中にも収められている公式の歴史では3日間徹底的に抵抗したことになっている。
ちなみに日本語のサイトには、ただ観光地としか書かれていない。
こういうズレが生まれてくるというは、歴史が物語だからである。
そして、歴史の物語性が出てくるのは、結局は解釈の問題である。
歴史という考え方自体はドイツ的な概念である。
英語では歴史はヒストリーで、日本語では歴史だが、ドイツ語では歴史はヒストリエとケシヒテの2つに分節化される。
ヒストリエというのは、記述史などと訳される。
例えば『日本書紀』『古事記』などの年代記はヒシトリエに属するし、『神皇正統記』『太平記』などもそうである。
色々なことを記述していくが、そこにおいては明示的な形での物語、歴史観というのはない。
これに対してゲシヒテというのは近代的な現象である。
点と線によって物語を作っていくので、歴史の過去の中で何らかの点で重要なものを選んできて、その点で価値を付与する。
マルクスが『資本論』で最も伝えたかたのは「労働力の商品化である。
労働力の商品化は、実は偶然におきてしまった事である。
地球が寒くなって毛織物の値段がとても高くなり、イギリスでは農民を追い出して羊を飼い毛織物をつくるようになった。
その時に農場から追い出された農民たちが、都市に流入して賃金労働者となる。
マルクスは賃金労働者が出現た条件にいて、2つの自由があったからだと言っている。
一つは身分的に自由なことで、昔は農民は土地から離れられなかった。
賃金労働者は、どこへ動いてもよく、どんな職業を選択してもよいという自由がある。
もう一つは生産手段からの自由で、これは逆に生産手段を持っていないということでもある。
労働者は機械を持てず、自分で商品を売り出すことはできず、自分の商品は労働力商品だけである。
給与という言葉はマルクス経済学では使用しない。
給与というのは、封建制のもとで俸給を恩恵的にくれるものである。現在の公務員のように御恩と奉公の関係性でもらえるのが給与である。
これに対して賃金は、自分の労働戮商品の値段である。
中室牧子・慶應義塾大准教授の『「学力」の経済学』が一時期、話題になった。
これまでは土地や株式が投資の対象と考えられてきたが、自身の子供への投資、特に0歳から6歳までの就学前教育に投資をすると最もリターンが大きくなる事を分析した。
就学前の子供を対象にしたところは、ほほモンテッソーリシステムを採用している。
モンテッソーリ教育というのは、日本ではエリート教育とみなされるが、そもそもは新自由主義的なものではない。
創設者のマリア・モンテッソーリはイタリアで初めて医学博士号を取った女性で、女性差別が激しく希望が通らず、精神科病棟で子供を担当することになる。
病棟にいる子供たちを見て、子供と大人は全く別の世界に住んでいることに気付き、0歳から6歳の間には必ず何かの事に関心を持つ敏感記がある。
色、数、模様の敏感期が来るまでは勉強を絶対に強要しない。
敏感期が来た時に、子供が進みたいところまで進ませる。
子供が関心を持ってやりたがているのなら、数学だと5歳児で2次方程式まで解けるようになる。
モンテッソーリーは子供を大人基準で判断してはいけないと言い、一人ひとりはかけがえのない個性があるかせ、それを徹底的に伸ばした方が良いという教育のやり方である。
現在、ファミリアが白金台と兵庫に、このシステムの保育園を運営しており、1ヶ月の保育料は18~23万円である。
1歳から5年で1200万円、毎日10時間通うので勤勉になり、食事は栄養士が計算して作るのでバランスとれ、ジャンクフードに関心がなくなる。
リトミックもやるので運゛宇嫌いにもならないし、自分の得意分野もできる。
一人は万人のため、万人は一人のためという事を重視するので、「これあげる」といった優しさを養う教育も行われる。
しかし、このした教育を受けても必ずしも富裕になるとは限らない。
自分の能力は他者ために使うべきだと幼い頃から刷り込まれるので、親も大切にするが社会も大切にするようになる。
いずれにせよ、こういう教育をしておくと親にも社会にとってもリターンが一番高いのは確かである。
逆に、元もリターンが期待できないのは、大学院に資金投入する場合となる。
中室氏はアメリカのデータからそのまま類推して日本に適用している。
『資本論』の翻訳して代表的なものに岩波書店版(向坂逸郎訳)の『資本論』と大月書店から『マルクス=エンゲルス全集』(岡崎次郎訳)とがある。
この2つは労農派のものであり、訳は比較的ドイツ語に忠実である
これらとは別に、新日本出版社から新書と単行本で出ているのは共産党の立場から訳されたものがある。
共産党の見方では、岩波書店の『資本論』や大月書店の『資本論』はソビエト編纂版なのて、ソ連の偏見が入っているが、新日本出版社版はエンゲルスのオリジナルを翻訳したと主張される。
エンゲルス版は、もともとは高畠素之という日本の右翼の国家主義者で、同志社大学の神学部を中退した人が全部訳している。
つまり新日本出版社版は、それと本質において変わらない。
との翻訳が良いかというと、文句なしに岩波版が良い。
太平洋戦争が近づくにつれ、日本は国家総動員体制をつくり、その時に終身雇用制が定着した。
戦争で夫が戦場に取られても会社は給与を払い続けようとしたのである。
そして、厚生年金、健康保険などの制度が世帯主に対して、整えられていった。
借地借家法が圧倒的に借主に有利な形でつられたのもこの頃である。
一度借りたら貸主は追い出すことはできず、家賃を上げたくても相手がそれまでの家賃を払い続ければ居座ることができる。
このような世界的に奇異な権利というのは、全て総力戦体制を遂行するために、当時の政府が、特に軍部の意向を踏まえて作ったものである。
だから日本の社会保障の原型は、実は総力戦体制にあるのである。
現在、日本におてメガバンクが定めている富裕層の基準は、純金融資産で1億円以上となっており、人口の2~3%である。
ちなみに、これは預貯金、有価証券、保険など金融資産であり、これには不動産は含まれない。
国際基準だと金融資産で30億円以上持っているのが超富裕層ということになっているが、日本には殆どいない。
だから日本のメガバンクでは、3億円とか5億円以上の金融資産を持っている人を超富裕層としているが、そうした人は不動産を2から3棟所有している。
日本のお金持ちは、お金を銀行に寝かせて遊ばせておくような事は無いし、株式などでリスクを取るよりは、不動産に投資する傾向が強い。
日本で金融資産を2~3億円持っているような人は、遥かに大きな財産を持っている。
戦前の格差がどれくらいだったか、河上肇の『貧乏物語』によると、イギリスの貧富の差が一番激しく、国民全体の2%の最富者が富の71.7%を持ち、下から65%の最貧者は富の1.7%しか持っていなかった。
フランスては上位2%が富の60.7%、ドイツでは59%、アメリカでは57%の富を持っていた。
現在の日本の実態も、これらの数字に近くなっている。
戦前日本において、「革命」というのは左翼の専売特許ではなく、むしろ右翼の方がよく使った言葉だった。
右翼には「錦旗革命」、つまり錦の御旗を掲げて、天皇の意向に反している奸を排除して革命、維新を行うべきという発想が強くあった。
また資本主義自身に問題があり、問題を克服せねばならないという考え方は、日本の軍部にも企画院などのエリート経済官僚にも共有されていた。
そのため、社会主義を主張することは、それ自体においては治安維持法違反にはならなず、ねじれが生じたのである。
共産党からみると、天皇制との対決を回避して社会主義革命という実現しそうもない理想を唱えている労農派は、体制を延命していると見え、共産党はまず労農派マルクス主義を壊滅させないと日本ての革命はできないと考え「内ゲバ」理論を取り入れる。
日本におてマルクス主義の歴史を考える場合、共産党系のマルクス主義者を「講座派」という。
岩波書店から『日本資本主義発達史講座』という本が出て、執筆した人達に共産党員が多かったことにちなんで、そう呼ばれた。
これに対して、もう一つが「労農派」であり、非共産党系のマルクス主義者のグループである。
国際基準でいうと、ドイツ社会民主党の左派、オーストラリアの社会民主党に近い。
講座派は日本を絶対主義天皇制であるととらえ、天皇制を打倒して、まず市民革命を行い、その後に資本主義を作らねばならない「二段革命」という、かなり現実からずれた見方をしていた。
これに対して労農派は日本は高度に発達した資本主義社会だが、農村分解が十分になされていなていのは、後発資本主義国だからであるととらえ、彼らにとての目標は社会主義革命だった。
その結果、共産党は徹底的に弾圧され、労農派は逆に初期においては、殆ど弾圧されなかった。
その違いは、共産党が天皇制の打倒をうたったからである。
戦前の共産党が持っていた知識人に与える影響力は相当強かった。
日本共産党は、国際共産党(コミンテルン)の本支部として設立された。
この団体に入っていると治安維持法違反により検挙され、最悪の場合には死刑になる可能性があった。
死刑にならないにしても、特高警察の拷問はきつく、身体に障害が一生残ることもあった。
それぐらいの覚悟をして党に入るということなので、逆に党の指令に従うことにより自分の人生を歴史の中で意味あるものにしていくという回路に吸収されやすい。
それゆえに共産党系に入ると思考が停止ししまうということがあった。
現在の日本共産党もし越しソフトにはなっているだけで、本質は変わっていない。
会津に対して、戊辰戦争で新政府は埋葬すら認めない扱いをした。
しかし、その後、明治新政府は東北を失うことは危険だと思い、ナンバークールの二高は仙台に設置した。
第二師団も大阪や京都ではなく、仙台に置いた。
このように明治以来、政府は東北優遇策をとってきた。
一方で、京城や台北に帝国大学を置いたにもかかわらず、沖縄には高校すらなかった。
東北と沖縄では完全に統治システムが異なり、明治以来手抜きをしてきたツケが、琉球ナショナリズム問題として現在表面化してきている。
現在、世界で言語の数が減少する傾向にあるが、約1万ぐらいはある。
その中で、方言と言語という区別は殆ど意味がない。
言語と方言の違いは何かというと、「独立軍隊を持っていたら言語だ」と、ロシア民族学者のセルゲイ・テェシュコ氏は言う。
いま国際連盟加盟国は190か国程度だが、言語的なことを基準に考えると1000の国が独立できると考えても不思議ではないが、残り9000は独立できないのである。
つまり1つのナショナリズムの背後には、9つの潜在的なナショナリズムが存在するのである。
沖縄と北海道は日本の国内植民地である。
なぜらば、沖縄と北海道だけは他の県と異はなり、独自に霞が関に陳情するのではなく、北海道開発局と内閣府の沖縄担当が、予算を組むという仕組みになっているからである。
つまり、沖縄と北海道の人たちは、自分たちの力で予算をク能力が無いから、中央政府が代わりに予算を組んであげるというシステムなのである。
沖縄振興のために3000億円を計上したと聞くと巨額に見える。
確かに沖縄は人口一人あたりの国庫支出金は多いが、国庫支出金と他方交付税の合計額でいえば、全国で12位でしかない。
だからそこにはローカルルールが適用される。
沖縄の選挙では一人の候補が街宣車を3台くらい使っており、他の県でこんことをしたら公職選挙法で捕まってしまう。
周辺地域におて適用されるゲームのルールが異なってくるというのが、帝国の一つの特徴である。
日本のように一つの民族がそまま独立国家となっている場合は、国民国家として分かりやすいが、イギリスは国民国家ではない。
連合王国の英語の通称では「United Kingdom(UK)」または「Great Britain」と呼ばれるが、イギリスという名称は、連合王国を構成する一地域にすきないイングランドの外来音が定着したものとされる。
同君連合であり今でも植民地を持ち、外部領域を持っている帝国なのである。
帝国の特徴は統治が均等ではない事であり、宗主国と植民地という内部と外部の構造があって、それぞれに適用されるゲームのルールが異なる。
一般的な近代化の理解でいえば、民主主義になった時に検閲はなくなる。
日本国憲法でも検閲は禁止されている。
しかし、イギリスには検閲を禁止する法律はなく、今でも事前検閲が行ている。
しかも検閲があったという痕跡を残したらいけないと言われている。
よく検閲への抵抗の意味を込めて、検閲されたと分かるように白いまま出すという事があるが、イギリスはそれもできないので、広告を入れるか穴埋めの記事を駆らず入れることになる。
テレビに対しても検閲がなされている。
このようなやり方は均質に人種に配慮するのであればできないが、テロ対策には有利ではある。
2016年にトルコで起きたクーデター未遂事件の結果、エルドアン大統領は国内問題に専心せねばならくなり、イスラム国の崩壊が早まった。
それまでトルコは、イスラム国から密輸される石油を受け入れ、北キプロスを通じてイスラム国に送金を行っていた。
キプロスは北と南に分かれており、南部のキプロス共和国はキリスト教でギリシャと関係が良いが、北キプロスはトルコ以外のどの国も承認しておらず、イスラム教徒によて実効支配さている。
そして、イスラム国に人や物を送り出すということも行っていた。
トルコがこうしたルートを全て封鎖した結果、システム国への送金も止まり、それまで多国籍軍に参加していたトルコ軍がイスラム国地域を本気で攻撃するよになった。
もちろん主な標的はクルド人居住地域ではある。
地政学は長期的に変化しにくい要因で世界をみないといけないという考え方である。
地政学の祖はハルフォード・マッキンダーで、その著作『マッキンダーの地政学』(原書房)は地政学のバイブルとなる。
この本のサブタイトルは「デモクラシーの理想と現実」だが、実はこちらが原題となる。
そしてこの本の中には、地政学という言葉は出てこない。
マッキンダーはイギリス人で、彼の著作に影響を受けたカール・ハウスホーファーというナチス・ドイツの理論家が「マッキンダーの地政学は」と何度も繰り返したので、マッキンダーが地政学というワーディングを使っていると、みんなが勘違いしてしまった。
マッキンダーは、歴史について考える場合には、地理的な制約条件と言うのが非常に重要であって、資源、科学技術の発展も地理によって制約されるところが大きいと強調している。
マッキンダーが1919年に書いた『デモクラシーの理想と現実』は発売当初は全く売れなかったが、1942年の戦時版から売れ出した。
マッキンダーは1919年版が出た当時、第一次世界大戦が終わって、ようやく平和が来ると皆が思っている時に、そんなことはないと言っており、当時においては珍しく第二次世界大戦を予測していた。
北方領土への入域手続きの実態は興味深い。
北方四島は日本からると日本領という立場だが、日本の実効支配はなされていないので、ロシアからするとロシア領であるという考えとなる。
日本領という建て前がある以上、北方四島には日本のパスポートを持っていくことはできない。
しかしロシアは入国のたびにビザを要求してくる。
ビザの発行は明示的に北方四島がロシアの管轄であると認めることになるので、日本側はビザを取得しない。
そこでA4判の厚紙で写真を貼って身分証明書を作り、そこにはパスポートと同じ事項の名前と生年月日、身長が記載されている。
これとは別にA4の挿入紙がビザの役割を果たす。
この書類で、日本側として出入国ではなく、北方四島とい地域への入域と出域の際に特別の手続きをしているという立場に立つ。
一方で、ロシア側では連邦保安庁(秘密警察)傘下の国境警備隊が出てきて、ロシア法に従って出入国手続きをしている。
このような詳細な決め事を詰めて、ビザなし交流が1991年に合意され、1992年から始まっている。
ところが、途中で大問題が発生し、ロシア側から税関申告書で金目の物と所持金を申告するよう言ってきた。
日本は税関申告書を提出するなどというロシアの主権行為に服する分けにいかないが円滑に四島の訪問を実現するために「携帯品リスト」を自発的にロシア側に提出する事となた。
この携帯品リストは、偶然にもロシアの税関申告書と全く同じ書式となっている。
日本語では「携帯品リスト」と書かれているが、ロシア語では『税関申告書」と書かれている。
それを持っていき、国後島の沖合で必ず入域手続きとる。
ロシア国境警備隊と税関職員と外務省の係官と通訳だけで、閉ざされた部屋で手続きが行われる。
携帯品リストには「行き先 国名」と書いているので、択捉とか色丹と島の名前を書くが、ロシア側からは「国名が書かれていないから国名を書け」と言われ、日本側から「もし仮にここにあなたが主張するところのロシアいう名称を書かない場合、入域を認めないのか」と聞くと、ロシア側は「認めない」と言う。
仕方ないので外務省の係官は、入域団員全員のところに「ロシア」と書くとになるので、このやり取りを見せたくないので、密室でやるのである。
そして、それと同時にディスクレーマーという文書を渡す。
ただ今行った行為は日本国政府の立場に何らかの影響を与えるものではないという紙を渡すのである。
このような泥臭いことを日本側とロシア側の現場の担当者間で行い、北方四島へのビザなし交流が行われているである。
2016年8月20日に、北方領土の国後島で日本人の通訳が拘束されるという事件があった。
ちにみに『朝日新聞』は「拘束」という言葉を使い、『産経新聞』、共同通信の系統では「足止め」と書かれた。
拘束というのは客観的な事実であり、ロシア側も通信社が報道していた。
足止めと拘束では大きく意味合いが異なる。
足止めは天候とかで動けなくなるなど、公権力が働いていなくても起きるが、拘束は完全に公権力が働いている。
北方領土は日本領だという日本の建前があから、公権力が働いているということになると、非常に面倒くさいので、日本政府は「足止め」という大本営発表をしたのである。
危機は3つにカテゴリー分けができる。
1番目はリスクで、ある行動を行う、もくは行わない事によって起きる負担や損失のことを指す。
たからリスクはきほんてきに計量が可能であり、足し算と引き算ができるし、状況によっては掛け算もできる。
2番目パニックで、ギリシャ神話のパーンという牧神に由来し、パーンはめちくちゃな暴れ方をする。
パニックというと、経済では恐慌を指し、突発的な出来事に遭遇することによって生じる不安と混乱である。
これは心理学や学際的なことなので、我々が直接扱う問題ではない。
3番目はクライストで、ギリシャ語のクリシスから来ており、「.1つの峠」という意味である。
病気の時には、峠を超えることができなければ死んでしまう。
他にも「分かれ道」という意味もあり、間違った方向を選ぶと目的地に行き着けない。

2018年2月9日金曜日

「矛盾」というと、中国の古典に出てくる話を思い出すが、あの矛盾は西洋の論理学でいう「矛盾」にはあたらない。
矛盾という話は、町で矛を売っている人が「どんな盾でも突き抜ける矛」と言いつつ、同じ人が「どんな矛からも守ることがでかる盾』と言って両方を売っている。
ではこの矛でこの盾を突いたらどうなるかという内容で、話はそこで終わっている。
しかし、突いてみたら結局どちも破られないという結果が存在する。
つまり、どちらも壊れなければ、盾の方が強いということで、盾の売り文句が正しかったことにな。
ということは、これは矛盾ではなく西洋哲学でいう対立となる。
対立というのは両方をぶつけ合わせること、一方が他方を飲み込むことで解決できるのである。
矛盾というのは、構造を転換することによって容易に解決できるが、対立というのは、どちらかがどちらかを飲み込む形でしか解決できない。
論理の中で重要なのはトートロジー、つまり同語反復であり、これは論理的に絶対に崩れない。
イラクのサマワへの自衛隊派遣をめぐり、戦闘地域について小泉純一郎総理の説明は、まさしくトートロジーだった。
非戦闘地域について定義をしてくれと言うと「自衛隊が派遣されている地域が非戦闘地域です」と答え、では自衛隊はどきに派遣できるのですかと言うと「それは非戦闘地域です」と、この議論を約半年繰り返した。
小泉そりの論理の強さは何かというと、同語反復である。
だから強いし崩れないが、しかし自衛隊の派兵基準に関する情報は、その中には何もない。
論理学を学ぶテキストとして、東京大学の矢野茂樹著『論理学』(東京大学出版会)は、お薦めである。
この本は東京大学の教養学部、専門課程で論理学を学ぶための教科書である。
本当に論理学を身に着けたいのであれば、この本を本格的に勉強するのが最もよい。
しかし、野矢先生がある私立大学で、この『論理学』をテキストを使って授業をやったところ、みんな寝てしまった事があった。
そこで、論理式を全て外して、日常言語だけで授業をしたところ人気授業となり、その時の講義をもとに改めて作ったのが『論理トレーニング』だった。
これには練習問題の解答編が無かったので、その後『新版 論理トレーニング』にして丁寧に解答が書かれた。
キリスト教はもともとユダヤ教を母体に生まれている。
イエス自身は自分のことをキリスト教徒とは思っておらず、自分をユダヤ教の改革者と思っていた。
イエスが「まむしのからよ」と悪口を言っているパリサイ派という人たちがいるが、客観的にみると、イエスはパリサイ派である。
パリサイ派は職人が多かったが、イエスは大工だった。
そして、イエスの言説、立法観もパリサイ派と共有の認識をしており、国家との緊張関係もパリサイ派に特有なものである。
一神教というのは基本期には自分と神様との関係が重要なので、自分以外には無関心、他の人が何を信じているかということについても関心がないので、それ故に寛容である。
だからエルサレムに行くと、カトリックの教会もあれば正教の協会もあり、ユダヤ教のシナゴーグもあ、イスラムのモスク、シーア派もスンナ派もいる。
かつては紛争も偶発的にしか起きなかったし、今のようにイスラムとユダヤ教の関係がおかしくなったのはイスラエル建国後の話である。
つまり一神教が非寛容で、多神教が寛容であるというは、一神教の歴史からしても、論理からしても成り立たない。
一神教が非寛容になっていくのは、大航海時代以降、帝国主義の流れからで、特定の文明を拡大していこうという中で、キリスト教と文明が同一視されたことによって起きてくる現象である。
実は十字軍もその文脈で見ると分かりやすい。
十字軍の基本的な目的は財宝を取りに行くことだった。
実際にイスラムよりも正教会の方が財産を持っていたので、十字軍はイスラムと戦うよりも、むしろコンスタンチノープルの正教会との闘いニウエイトを置いていた。

2018年2月7日水曜日

ノアの方船で、神様はもう二度と人類を滅ぼさないと約束をし、その契約の証に虹をかける。
しか、中国では虹は天が怒っていることを意味していた。
だから虹が現れると権力が崩壊する兆候と受け止められる。
虹が平和のシンボルというのは、日本でも明治期以降にキリスト教の影響が強まってからだった。
それまでは、日本でも虹に対して、あまり良いイメージはなかった。
埼玉県には氷川神社とか日枝神社が多くある。
武蔵国一宮の氷川神社は、天照信仰ではくて、須佐之男、大国主信仰である。
おそらく天照信仰を持つ人たちの前に日本の国家を支配しいた集団の宗教で、出雲の系統となる。
神話の世界では平和裏に国譲りをしたことになっている。
しかし、地上は天照が守っているが、地下、闇の世界は須佐之男、大国主が支配し、天照の世界は常に須佐之男、大国主の世界を恐れている。
神道系の新宗教は須佐之男、大国主の表象をしている。
その一つが大本(おおもと)教で、戦前に2回にわたり大弾圧を受けた日本の神道系の教団であり、共産党よりも激しい弾圧を受けた。
特に2回目の弾圧は、綾部と亀岡の神殿を大本の費用で、ダイナマイトで全部爆破して完全な更地にするという徹底したものだった。
大本は戦後は平和運動を行ているが、戦前は満州への進出も積極的に行ったし、時の政権以上に強く日本の軍国主義政策を推進した面もある。
大本人たちはエぺラント語をマスターしたから、日本エスペラント協会の中で大本の人たちの比率は高い。
天照信仰の世界、すなわち伊勢神道の流れをくむ国家神道からすると、自分たちに近い論理で国策を過激に推進しようとする大本の動きか、権力を奪取しようとしていると見えたのである。
現在も出雲信仰は日本において非常に重要な位置を占める。
日本人の場合、宗教に関する理解がなかなか難しい。
無宗教だといっても、文化庁の統計だと、各宗教団体の申告による信者数の合計は2億人程度となる。
日本のように様々な宗教を受け入れることを宗教混合という。
宗教混合的な土壌があると、外国の文物を受け入れるのは非常に楽であり、ありとあらゆるものを受け入れることができる。
しかし何が絶対に正しいのか、あるいは詩文はこの信念によって動くという意識は希薄なとなり、長いものに巻かれろという感じにってしまう。
これが日本人の宗教観の特徴である。
国教というのは必ず習慣というかたちをとる。
例えば戦前における日本の国家神道は、宗教ではないとされていた。
国家神道は宗教ではなく、日本の臣民の習慣だった。
だから靖国神社や明治神宮の横を通るきには頭を下げないといけなかった。
戦前に神社で頭を下げるのは異教の神に頭を下げることだと、カトリック系の暁星中学上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否したことがあった。
これに対して軍部が怒ったため、日本のカトリック教会は震え上がって、神社参拝は可能かどうかバチカンに伺いを立てている。
バチカンらは民族の週間だから可能であるという答えが返ってきたが、戦前の陸軍は暁星中学と上智大学には軍事教練の教官を送らなかった。
そのため、ほかの大学の学生は軍事訓練に合格したら兵役免除かあるのに、暁星中学上智大学の学生は兵役免除が認められなかった。
戦前は、上智大学に入学するというとは戦場に連れていかれることを意味したので、非常にリスクが高かった。
キリスト教の罪は祓うことはできない。
理不尽なことを強いる、論理を超えた、自己責任を超えた責任を負わせるのがキリスト教である。
キリスト教というのは、絶対に誰も守る事ができない論理を強要して、全員を罪人に陥れていくという傾向がある。
神道はそういう理不尽なことはせず、そそぎや祓いによって人間の汚れはきれいになる。
『歎異鈔』に対して異を唱えたのが南北朝時代に書かれた北畠親房の『神皇正統記』である。
「大日本(おおやまと)は神国(かみのくに)なり」という言葉で始まる。
日本の特徴は神道にあるが、神道は理論化ができない、そゆえに他国の思想と比べないと日本の特徴はわからない。
そういって、インド(天竺)、中国(震旦)、特に中国との比較を重視する。
中国は易姓革命、すなわち天の意思が変わったら地上の秩序も変わって王朝が後退する乱脈きわまりない国である。
大日本は神の国だから、王朝は変わらない。
それだから天皇にも皇后にも姓がない。
北畠親房は武烈天皇と継体天皇の関係に注目し、『日本書紀』で武烈天皇は暴君、残虐な天皇として描かれている。
武烈天皇には世継ぎは生まれなかった。
当時、世継ぎができないというのは、天の意思にかなった政治をしていないことを意味した。
この場合、日本では中国とは異なる形で易姓革命、放伐が行われ、武烈天皇の系統はなくなり、継体天皇の系統となった。
武烈・継体の関係は歴史実証的に見れば明らかに系統としては繋がっていないはずで、別王朝の誕生と見ることも可能である。
しかし、日本においては王朝交代はないので、だから百王説は間違いで、当時のグローバルスタンダードの論理だった易姓革命は一定の限定のもとでしか適用されない。
グローバリゼーションは日本においては独自の変容を遂げる、というのが『神皇正統記』の考え方である。
今は一時的に間違った人たちが権力をとっているが、それは必ず正しい方向に戻ってくるという復古維新思想のテキストといえる。
『歎異鈔』はグローバリゼーションの本である。
当時の日本にとって、グローバルスタンダードとは中華秩序だった。
中国の『礼記』の中に百王説というのがあり、すべての王朝は100代目を超えた後は必ず滅びるという下降史観ともいうべきもである。
こうした考え方は日本にも及んでいて、この『愚管抄』の中に認められている。
『愚管抄』の当時の天皇は84代目で、あと16代でこの王朝は滅びる。これは普遍法則だから、我々は逃れることはできない。
だから、それに備えて中国の秩序、中国のルールをきちんと習得することが日本の生き残りの道だと考える。
この『愚管抄』は鎌倉時代初期に書かれた本なので、武士の誕生についても論じられており、天皇親政という建前があるが、武家が力を持ち、平家に源氏が勝った壇ノ浦の合戦を重視する。
壇ノ浦の合戦で、天皇の正統たる証といえる三種の神器は海に沈み、その中で勾玉は上がってきたが、剣は沈んだままになった。
『愚管抄』は、それを天命と考え、天皇から剣が取り離されたから、剣の機能というのは武士集団が持つべきであると理論化した。
京都御所から比叡山は北東方向にある。
北東というのは丑寅となり鬼門である。
平安時代初期ぐらいまでの鬼はまだ角が生えておらず隠れていて、姿は見えないが悪さをする鬼だった。
鬼門である丑寅の方向のありとあらゆる悪いもの、見えないけれども悪さをするものが下りてくる。
京都に悪影響を与えることを防ぐために作られたのが、延暦寺だった。
当時、宗教の力は論理の力であり、天台座主というのは日本最高の理論家であり体制のイデオロギーだった。
この天台座主だった慈円の『歎異抄』は、日本人の宗教性を考える上でとても重要である。
中央公論社シリーズ「日本の名著」の中に、北畠親房の『神皇正統記』とセットになった巻がある。
この二作を読むと、近代につながる日本人の宗教性について殆ど分かるようになる。

2018年2月5日月曜日

アメリカは前科者の入国に厳しい。
アメリカでは、永遠に逮捕歴が残るので、ESTAというビザ免除プログラムが最大のネックとなる。
渡米する場合は、アメリカのB-1ビザ(商用)かB-2ビザ(旅行)を1年のうち何度渡米しても良いようにマルチエントリーを毎年取り続ける必要がある。
間違ってシングルエントリーにすると1回きりしか使えない。
カナダとオーストラリアもESTAのようなシステム採用しているので注意が必要である。
欧州も近い将来ESTAのようなシステムが始まるという。
日本は緩くて、刑期満了から10年経つと刑の言い渡しが効力を失う。
法務省がデータ消去をするとは思えないが、タテマエ上は一旦、前科が消えることになる。
執行猶予つきの懲役刑を言い渡された人は、執行猶予が終わった瞬間に刑の言い渡しが効力を失う。
実刑を受けた人は、刑期満了から10年後に刑の言い渡しが効力を失う。
全国の刑務所が定員オーバー気味になり、PFI方式で半世紀ぶりに刑務所が新設されることになり、2007年に喜連川刑務所が作られた。
ここの食事はエームサービスという三井物件の子会社が請け負っているが、コスト削減をしつつも法務省のガイドラインに従って栄養価を確保しているため、安い豚肉か鶏肉の入れ替わりで、やたらと大豆ばかり使用されるという。
刑務所のメニューは減塩だから、刑務所で一番うまいのはレトルト食品だという。
大王製紙の井川会長は、佐藤優氏からこうアドバイスを受けたという。
「井川さん、裁判官にとっては、自分の年収よりも大きいカネに関わった人間は全員悪人ですから。
裁判官は国家公務員の中では結構沢山もらってる方たけど、それでもせいぜい年収3000万円くらいが上限でしょ。
井川さんの年収には全然届かないから、井川さんは極悪人に見えるんですよ。
しかも巨額のカネをバクチに使ったなんて聞いたら、返してようが返してなかろうが、関係ない。
だから裁判で何を言われようが、こう思うしかないんですよ。
「悪かった。悪かった(運が悪かった)」
実刑判決が予想される人にとっては、拘置所にいた方がいいという考え方もある。
国策捜査の被害者だった佐藤優氏は執行猶予つき有罪判決をもらえが、執行猶予がつかない可能性も十分あった。
だったら、ある程度自由がきく拘置所で踏ん張って、本を読みまくった方が時間を有効活用できる。
拘置所で過ごした未決勾留分の日数は、刑期から差し引かれるからである。
大王製紙の井川会長が東京拘置所に入った時に、ホリエモンからのフカフカの座布団の差し入れが、本当に有り難かったという。
東京拘置所は夜には暖房が入るが、朝10時以降は暖房が切れ、昼間はかなり寒くなり、昼食を食べ終える午後1時が一番寒いという。
拘置所の差し入れには、「綿入れ袢纏(はんてん)」も喜ばれるという。
東京拘置所にいめ未決囚はまだ犯罪者と決まったわけではないので、刑務所とは違い服装が自由なだという。
拘置所は外部からの差し入れがかなり自由に認められ、中からも買い物ができる。
独房の中にいる人間がいかに孤独か分かっている上級者は、花を差し入れてくれるという。
ホリエモンに、K-1創設者の石井和義館長から花が毎日差し入れてくれたという。
明治41年(1908年)に制定された監獄法という古い法律が廃止され、2006年に刑事収容施設及び被収容者などの処遇に関する法律という新しい法律に変わった。
これは、2002年に名古屋刑務所で、刑務官が受刑者を革手錠で縛り上げて死なせ、名古屋地検特捜部が刑務官5人を逮捕した事件をきっかけに、司法制度改革が大きく進み、100年ぶりに変わった。
それまでは拘置所では1日3冊までしか差し入れが認められなかったが、本の冊数制限が撤廃された。
ライブドア事件の時に、堀江貴文は特捜検察から何をどこまで立件されるのか全然予想がつかなかったという。
弁護士からは「強制わいせつとか、全然別の事件で攻められるかもしれない」と言われ、実際に「堀江貴文に関係する700人の女性リスト」が作られたという。
携帯電話の番号とか連絡先か名刺など、700人分もリストアップされて、誰とヤッたとか、こいつとはヤッていないとか、そんなことまで調べられていたという。
大王製紙の井川会長が任意の取り調べを受けていた逮捕直前に、佐藤優氏に相談したという。
その時に佐藤氏は、「いい弁護士が2人いますよ」と紹介してくれた。
1人は光市母子殺害事件を起こした少年の弁護を担当した人権派で有名な安田好弘弁護士。
もう1人は佐藤氏の裁判を担当した大室征男弁護士だった。
いずれも刑事裁判に強いことで有名な弁護士で、井川会長は大室弁護士にお願いしたという。
大室弁護士の働きにより、逮捕日に配慮をしてもらえたという。
大正製紙は毎年「エリエール レディスオープン」というゴルフ大会を主催していて、2011年11月18~20日に大会を控えていた。
ある日、任意の取り調べが終わるときに「次回は11月22日に来てください」と言われた。
大室弁護士からは「11月22日ですか。その日に逮捕されると覚悟しておいてくたさい」と言われ、案の定その日に逮捕されたという。
東京地検特捜部には、独自捜査ができる「特殊・直告斑」、脱税事件や国税局、証券取引等監視委員会、公正取引委員会から告発を受けて動く「財政・経済班」というチームがある。
ライブドアの堀江貴文は、「財政・経済班」の副部長が取り調べを担当し、その副部長に「堀江、東京地検特捜部の副部長が出てきて取り調べをやるって、お前は30代なのにすげえ大物なんだよ」と言われたという。
また大王製紙の井川意高が取り調べを受けた時には、「井川さん、これが桜田門(警視庁)の取り調べだったら大変だよ。桜田門の連中は、酷い暴言なんていくらでも吐く。やっぱり井川さんは犯罪者としてもエリートなんですよ。留置所にぶち込まれて、所轄で調べられるのが一番下でしょ。次が本庁。次が東京地検。次は特捜なんだけど、大阪だの名古屋だの田舎の特捜もある。その上の東京地検特捜部に調べられるのは、エリート中のエリートだけなんですよ」と褒められた゛、全然嬉しく無かったという。
大王製紙の創業家三代目の井川意高会長が、2010年から2011年にかけて、カジノでの使用目的で子会社から総額106億8000万円もの資金を借入れ特別背任容疑で、2011年11月に東京地検特捜部に逮捕された事件があった。
出入金の額が巨額だったため、検査官は「与党の大物政治家への闇献金」だと勢い込んでいたという。
井川は取り調べの後半で、検察官に「もうホント勘弁てくださいよ。1円単位までカネの出入りを全部調べたけど、笑っちゃいましたよ。あなた百億円ものカネのうち99%を全部バクチに使ているじゃないですか。残りの1%は飲食と女の子のために使ったって、我々はホントガッカリしましたよ」と言われたという。
国際社会で活動していく上で、欠かせないのがキリスト教の本流に対する理解である。
仕事に役立ち、かつ現在の社会の基本にあるのはプロテスタンティズムである。
エリートは世俗化されたかたちであれ、プロテスタンティズムの論理に基づいて思考し、行動している。
プロテンタンティズム、なかんずくカルバン派は、人は生まれる前から救われる人は選ばれていて、天国のノートに名前が載っていると考える。
同時に生まれる前から、滅びに至る人も天国のノートに記されているが、そのことは我々は知ることはできない。
現実の生活において様々な試練があるが、自分は選ばれている人間だという確信を持っているから、どんな試練も乗り切ることができ、最終的には「これでよかったんだ」という人生を歩むことができると考える。
だからプロテスタントの人たちは、どんな逆境に遭ってもそれは神の試練であって救われることが前提となっているので、逆境に強い。
金融をはじめビジネスの世界で成功している人には、このような刷り込みがある事を知っておくべきである。
ただ、この論理は裏返すと、自分たちは絶対に正しくて革命は成就するから一時的な試練も勝利のためだという革マル派、中核派の人たちの発想にも通じる。
こういう目的論的な強力なエネルギーはプロテスタンティズムから出てくる。
世の中にはそういう思考の鋳型があるということである。
キリスト教はイエス・キリストがつくった宗教ではなくて、イエス・キリストと会ったこともないパウロという人が作った宗教である。
退却を事実上許さないという日本陸軍のやり方は、「生きて虜囚の辱めを受けず」という先陣訓によりイデオロギー操作で強制された。
しかし、日本軍人が降伏をしないというのはウソだということに、戦争の途中でアメリカは気づいた。
戦争の途中まではアメリカ軍は日本兵を殆ど殺しているが、途中で日本兵、特に将校は捕らえたらよくしゃべることに気付いた。
日本軍人は捕虜になることが無いという前提なので、捕虜になった時のマニュアルが無かったのである。
国際法では、捕虜になった場合、捕虜は自分の氏名と階級、生年月日と所属部隊の認識番号と個人番号のみ言えばよく、拷問で様々な事を聞き出したりすると戦時国際法違反となる。
日本軍人は、日本側に自分が捕虜になったことを通報しないという自分の願いが受け入れられれば、いくらでもペラペラ喋ることに米軍の情報部は関心を持ったという。
そこで作られたのが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトを中心とするチームだった。
ルース・ベネディクトは社会学者ではあったが、日本の専門家てはなかった。
日本人が何故こういうふうにして投降するのか、日本人をどんどん投降させて喋らせるにはどうすれば良いかという調査をした結果生まれたのが、日本人観の古典ともいえる『菊と刀』である。
ルース・ベネディクトは日本の軍記物、戦記物など、戦国時代の研究を中心に行った結果、日本人はよく寝返るし、降伏するということが分かった。殿様は自分が切腹すれば家臣が助かるという場合には城を明け渡すといった事例を研究し、日本人に埋め込まれた文化はそう簡単には変わらないという結論に至った。
アメリカは日本研究とは別のチームを作り沖縄研究も行っている。
沖縄の占領に向けて、特別の人類学調査を行い「民事ハンドブック」いう報告をまとめている。
これは沖縄県が翻訳して、沖縄県史の資料編として入っている。
長年の差別政策に対して沖縄人は不満を持っているが、劣等感は持っていない。この点に日本本土は気づいていないので、日本との分断はそれほど難しくないという観点から沖縄統治をおこなうべきというのが「民事ハンドブック」の基本的な内容である。
だから戦後政策の中でアメリカはある時期まで、対日離反政策をとり、いわば沖縄のアイデンティティーを強化する政策をとっている。この時に刷り込まれた遺産が、実は21正規になって芽を吹いてきているという面もある。
ソ連軍には特別な懲罰部隊という強い部隊があった。
彼らには階級章もついてなく、ボロ服を着ており、食事もぎりぎりの配給しかなく、肉は全然配給されなかった。
懲罰部隊の構成メンバーの多くがドイツ軍の捕虜になって生きて戻った人たちで、スターリンは捕虜になって戻ってくるのはスパイに違いないと認識していた。
だから彼らには、銃殺か懲罰部隊に入るかねという2の選択肢しかなかった。
ドイツの捕虜になった人たちが半分で、他の4分の1は政治犯だった。
トロツキスト、ブハーリン主義者ら、スターリンとの権力闘争に敗れて獄中にいる人たちが、銃殺か懲罰部隊への入隊を迫られた。
残りの4分の1は刑事犯で、殺人犯、強盗、放火、強姦といった重大犯罪を起こして刑務所に収容されていた連中だった。
そのため、この懲罰部隊は最前線に送られ、地雷を除去しないで戦線を突破した。
懲罰部隊の後ろには正規軍が置かれ、後ろに下がったら正規軍に射殺されたので、前に進み英雄的に戦うしかなかった。
しかも、懲罰部隊というのは存在しない事にされていた。
満州にソ連軍が侵攻してきたときに暴行略奪でひどい目に遭わされたという話をたくさん聞くが、2週間後には軍紀が改まってしっかりし、暴行略奪行為がなくなったという話も聞く。
これは最初の2週間は懲罰部隊に略奪を認め、その後、正規軍が入ってきて共産党幹部の将校は裁判権を持っているので、即決で射殺できるため、それによって軍紀を維持していたからである。
『作戦要務令』は三部構成になっている。
特に第三部はロジスティクスの話だから、今でも役に立つし、憲兵とう項目のところは社内規律を考える上で役に立つ。
しかし、『作戦要務令』には秘密指定がかかっている第四部というのがあり、毒ガスについて書かれている。
軍事機密に属するということで、毒ガスの使い方、毒ガスに関する防御法は外されて、一般の教育には使われなかった。
『統帥綱領』に関しては、企業経営者はすごく関心を持つという。
帝国陸軍を動かしたような統帥と同じようになれると勘違いしてしまうからである。
しかし実際には、『統帥綱領』は大負け戦をした時の綱領だからそこから学ぶべき事は少ない。
それに対して、『作戦要務令』は、小隊長、中隊長、大隊長など、現場で部隊を動かす人たちを教育するための基本マニュアルなので、大体どの側面に関しても、今までの経験というのがマニュアル化されている。
日本には戦前戦中に超エリート教育のシステムがあった。
陸軍士官学校を卒業した後に、しばらく軍の勤務にき、その後、各中隊から推薦された中で、さらに選抜して毎年20人くらいが陸軍大学校に進学するというシステムである。
そういう超エリートに全文を暗唱させたマニュアルが『統帥綱領』だった。
当時、陸軍大学校を卒業すると、少し細長い江戸時代の天保銭に近いような徽章をつけていた。
それにちなんで、陸軍のエリートは天保銭組と呼ばれていた。
この習慣自体は1936年に廃止されるが、この天保銭組というのが陸軍参謀本部の第一部(作戦担当)となり、出世していく。
本来、参謀本部というのはラインではなくスタッフだから意思決定はないはずである。
しかし実際には、参謀本部が戦略構築のアドバイスだけではなくて具体的な指令を出していた。
戦争が進む中、参謀本部の指示によって前線で被害が生ずるが、参謀はスタッフだから、責任を取らなくてもよかった。
実質的に無限定で無制約な権限を持つが、それに対する責任を一切負わないでよいという異常なシステムとなっていた。
だから、日本が戦争に入っていく中で、服部卓四郎や終戦の状況になると瀬島龍三、あるいはノモンハン事件以降の辻政信など不思議な人が参謀本部からたくさん出てくる。
服部卓四郎は、戦後は「服部機関」をつくり、アメリカの占領政策を進めるうえにおいては非常に重要な役割を果たす。
『統帥綱領』や『作戦要務令』について、大橋武夫という人が建帛社(けんぱくしゃ)から解説本を出している。
大橋武夫は陸軍中野学校出身では無いが、中国大陸で大橋機関をつくるなど、陸軍の諜報業務についていた。
戦後に、軍隊の方式を用いれば会社を立て直すことができると言って、兵法経営塾をつくり、あちこちの労使紛争に関与、左翼系の組合を潰して、軍隊式のシステムを作り上げて会社の経営を正常化させていった。

2018年2月3日土曜日

日露戦争は第一次世界大戦の前哨戦でもあり、人類が初めて経験した大量殺戮が起き得る戦争だった。
そこでカギになった兵器が機関銃で、イギリスのマキシムという会社が主に供給していた。
弾送りの原理を発明したために、それまでに考えられない速さで連射できる銃として機関銃が生まれた。
この機関銃の技術は、ホチキスやミシンとして、現在の日常生活でも応用されている。
『作戦要務令』は1938年に旧日本陸軍の円熟期に作られたマニュアルで、外国から輸入したものを自分たちで相当に消化して最終的に使えるようにしている。
旧日本陸軍は様々なマニュアルを残したが、その中でも『作戦要務令』は日本の組織文化というものをよく踏まえていて、どのように実際の軍隊の部隊を動かしていくかが書かれているので、現在でも使えるマニュアルである。
旧日本陸軍には陸軍大学を出た後に作戦参謀になるような超エリート養成のためのマニュアルである『統帥綱領』と、中堅将校を養成すためのマニュアル『作戦要務令』があった。
様々な企業の不祥事が相次いでいるが、経営者らが直接改ざんを指示したという文書はまず出てこない。
経営トップは「チャレンジ」「工夫しろ」と、それ自体は違法ではない指示を出すからである。
この「うまくやれ」の組織文化は『作戦要務令』を貫く独断専行の発想に基づいている。
日本企業で出世をしていく人間というのは、この『作戦要務令』に書かれている条件を基本的に満たしている人である。
独断専行を認めている上司だし、ほめることができる上司だし、部下に責任をかぶせても、それが可視化されないようにすることができる上司である。
ゴリゴリやるような人間が案外上にいかないのは、このマニュアルを見るとよく分かる。
まだ中間管理職なのに『統帥綱領』だけ読んでしまっているような人はガッつき過ぎていて、逆に出世できないのである。
『作戦要務令』を読んでおけば、企業の組織論理が分かるし、ブラック企業対策もできる。
また上司をどういうふうにして操るか、あるいは部下にどうやってやる気を出させるか、そういった悪知恵を身につけることもできる。
ちなみに、戦前は『作戦要務令』をきちんと運用できるかどうかが軍の中での出世につながったので、戦前・戦中に参考書や問題集が山ほど出ている。