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2016年12月9日金曜日

明治維新から第二次大戦前までの70年間で、日本の実質GNPは6倍に増加した。
実質賃金は3倍、実質鉱工業生産は30倍、実質農業生産は3倍となった。
もともと江戸時代の人口の9割近くが農民だっだが、昭和5年の調査では、第1次産業47%、第2次産業20%、第3次産業30%と、就業人口2900万人のうち1370万人が農業に従事していた。
昭和20年の時点でも、農業人口は就労人口の50%近くあり、就業人口としては農業が最も多かった。
日露戦争の費用は総計で19億8612万円だった。
当時の国家予算は2億5000万円だったので、8年分に相当した。
このうち14億7329万円は国債で賄われ、その他は臨時特別税で賄われた。
国債のうち13億円が外債が占めた。
この外債募集を担当したのが、当時、日本銀行副総裁だった高橋是清だった。
高橋是清が日本政府から申しつけられた外債の額は1000万ポンドであり、同盟国のイギリスで銀行家を説得し、何とか半分の500万ポンドを引受に成功した。
残りの500万ポンドを、アメリカ国籍のユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフが引き受けてくれた。
シフが協力してくれた背景に、ロシア帝政のユダヤ人迫害を阻止する目的があったという。
日本政府はジェイコブ・シフを日露戦争終戦の翌年に、日本へ招待し、明治天皇に拝謁し、勲一等旭日大綬章を送っている。
外債の工面に高橋是清が奔走している頃に、1904年4月30日に鴨緑江で日露の陸軍による最初の激突が起こり、日本の圧勝となった。
この鴨緑江の渡河作戦の勝利により、英米で発行された日本の公債は大人気となり、英米ともに申込者は予定の数倍となった。
結果、外債は最終的に8200万ポンド発行された。
まさに日露戦争は綱渡りだったのである。
日露戦争開戦4年前の明治33年の各国のGNPを比較すると、日本はロシアの8分の1、イギリスの9分の1、アメリカに至っては15分の1しかなかった。
〇明治33年の各国のGNP
       GNP(百万ドル)  一人当たりGNP額(ドル)
日本      1,200        30    
ロシア     8,800        70
イギリス    10,000        240
アメリカ    18,700        250
ドイツ     9,800        180
フランス    6,500        170
イタリア    3,000         90
日清戦争の賠償金は当初2億両だったが、三国干渉により遼東半島を清に返還したため、その代わりに3000万両が上乗せされた。
これは当時の日本円で4億円、国家予算の4年分に相当する莫大なものだった。
この賠償金で、八幡製鉄所が作られたのは有名だが、それはごく一部であり、残りの殆どは軍備拡張に投入された。
日清戦争当時、日本海軍は巡洋艦クラスの軍艦を7隻保有しており、日清戦争中に2隻の戦艦を購入、清の海軍が持っていた軍艦11隻を手に入れた。
ロシアの脅威に対応する為、日清戦争直後の明治29(1896)年から10年間で1億9000万円をかけて、海軍を大拡張する事となり、戦艦4隻、一等巡洋艦6隻、三等巡洋艦2隻、その他駆逐艦や水雷抵など合計74隻の軍艦建造を計画した。
陸軍兵力も当時の常備軍12万人を、倍の24万人に増員する計画が立てられた。
その結果、日露戦争前の10年間、国家予算に占める軍事費の割合は平均で50%もあった。
〇日露戦争開戦直前10年間の軍事費
          軍事費    国家予算比率
明治27(1894)年  128,565千円   69.4%
明治28(1895)年  117,190千円   65.6%
明治29(1896)年   73,416千円   43.5%
明治30(1897)年  110,728千円   49.5%
明治31(1898)年  112,650千円   51.3%
明治32(1899)年  114,442千円   45.0%
明治33(1900)年  133,807千円   45.7%
明治34(1901)年  106,959千円   40.1%
明治35(1902)年   86,523千円   29.9%
明治36(1903)年  151,317千円   47.9%
日清戦争から日露戦争にかけての日本の軍事費の比率は、世界でも飛びぬけており、ロシアの2倍にもなっていた。
〇明治33年(日露戦争開戦4年前)の各国の軍事費比率
       国家予算比率    GNP比率
日本       45.5%      5.5%
ロシア      21.6%      2.3%
イギリス     37.9%      2.5%
アメリカ     36.7%      1.0%
ドイツ      44.2%      2.1%
フランス     30.3%      3.3%
イタリア     22.5%      2.6%
明治政府は日清戦争では外債を発行せずに、自国の資金だけで戦争をした。
しかも、日清戦争中は増税もしていない。
しかし、政府の予算に余裕があった訳ではなく、国内で軍事公債を発行している。
政府が戦争のための国債を発行し、国民が買ったのである。
日清戦争の軍事公債発行額は1億1250万円に達したが、そのうち公募による消化は7900万円、残りを日本銀行などが引き受けた。
つまり、軍事公債の7割を国民が購入したのである。
日清戦争前年の国家歳出が8400万円だったので、歳出1年分の軍事公債を国民だけで買ったのである。