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2016年9月1日木曜日

内閣について話す場合、「国家」と「社会」を分けて考える必要がある。
内閣は国家と社会の間にあり、内閣とは非常に矛盾した場所だからである。
自民党総裁は、社会から選挙で選ばれてくる代表で、政党は基本的には社会から生まれてくる「私的結社」と考えるべきである。
それに対して内閣総理大臣は、もう一つの役割として「官僚の長」つまり国家の代表という地位も持っている。
官僚の長としての立場と社会の代表として、国民から選ばれている立場で板挟み状態に陥り、その決着がつかなくなってしまう。
自民党は長く政権の座にいたことで、「社会の代表」でありつつ「官僚の長」でもあるという矛盾を上手に調整する能力がある。
本来、政党は「全体の代表」ではなく、「部分の代表」であるべきで、ある政党が政権をとったら「部分の代表」としての立場を貫けばよい。
広範な中間層を代表する政党と、富裕層・資本家を代表する政党では、政策は異なるはずである。
日本の場合、どの政党も政権を取ったら「全体の代表」になろうとするので、自民党も民主党もだんだん似てきて、殆ど差がなくなってしまう。
国民が自分にとっての「部分の代表」を選べない状況になっている。
弁護士には技術的な法律知識はあっても、そもそもの「法律を制定する」という発想がない。
その要因の一つとして、日本では「法哲学」が軽視されているからである。
全ての学問には、その前提となる哲学ががあり、歴史には歴史哲学、言語学には言語哲学、医学にも数学にも哲学がある。
法律にも、どのように法律をつくるかという、法哲学がある。
そういうものを無視すると、例えば憲法に関して「解釈は、総理大臣ができる」というような、憲法によって国家を縛る立憲主義を無視したような発言も出てきてしまう。
特に弁護士は、最初に法律ありきで、「法律は人が作るものだ」という発想が希薄である。


ナチスは非常に健康にこだわっていたという。
禁煙運動もナチスが始めたことで、「生涯現役」というのもナチスの思想であり、「働けるだけ働いて、その後はできるだけ早く死んで欲しい」という発想からきている。
ナチスは食品の安全にも取り組み、無着色バターや麦芽入りパンを食べるようになったのはナチスの時代からである。
健康診断、がん検診もナチスが始めた。
ナチスが健康にこだわった理由は、「医療費を削減する」という目的だけでなく、「身体は総裁のものだ」という発想があったからである。
我々の身体は我々が勝手に処理していいものではなく、健康体を維持しなければならない。
人間という資源の効率的な利用であり、この資源の効率的な利用という考え方が、現在のドイツでは人間に向かわずに、ゴミのリサイクルに向かっている。
ドイツでは、ゴミのリサイクルが細かく定められており、ビンも色別に回収したりと分別が厳しく、製品の包装材を回収してリサイクルすることが製造者に義務付けされている。

健康帝国ナチス (草思社文庫)

日本の教育では、教科書の内容を理解しなくてもよく、正確に記憶し、制限時間以内に筆記試験で再現する能力の向上に主眼が置かれている。
これは明治の頃、欧米列強のノウハウをいち早く吸収するために必要だった「後進国型」のエリート促成培養技術だが、その負の遺産を現在も克服できていない。
中学、高校、大学の入試、国家公務員試験、司法試験などは、いずれもこの種の記憶力と再現力を問う試験であり、客観的にみて日本は「学歴社会」にすらなっていない。
大学入試の偏差値で能力を評価する「入学歴社会」なのである。