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2018年5月17日木曜日

労働経済学者のエジワード・ラジアーの研究によると、起業するのは30代がベストだという。
イノベーティブな考え方は若ければ若いほど良いが、ビジネススキルとかファイナンスに関しては多少年数が必要となる。
そのベストミックスが30代だというのである。
若者人口が減っていく日本ではイノベーティな人たちが減っていく中で、さらに深刻なのは高齢化で管理職ポストに高齢者がしがみついて占めてしまうと、若者が管理的な技能を身に付けることが難しくなる。
シュンペーターは「資本主義の力の源泉はイノベーションだ」としたが、シュンペーターの議論で面白いのは、「確かにイノベーターは重要だが、リスクの最後の引き受け手は銀行家(フィナンシエ)だ」と言っている点である。
大航海時代にキリスト教世界の白人として初めてアメリカ大陸に到達したコロンブスに出資したのは、スペインのイサベル女王であり、リスクを引き受けたのである。
つまりリスクの引き受け手がいる中で、イノベーションが生まれ、それが資本主義のダイナミズムだというのがシュンペーターの議論である。
J・A・シュンペーターの主要な著書は非常に難解なドイツ語で書かれているが、幸いにして殆ど日本語訳がある。
それは東畑精一と中山伊知郎がボン大学でシュンペーターの教え子だったからである。
シュンペーターの著書『資本主義・社会主義・民主主義』の手書き原稿とタイプ原稿が、実は日本に存在し、三重県立図書館にあるという。
東畑精一が三重県出身で、シュンペーターの死後、夫人から形見として贈られたものを三重県立図書館に寄贈したコレクションの一つだという。
新古典派経済学は学んだ本人にとってあまり得にならない学問である。
理由は、新古典派経済学は合理的に計算できる人たちを前提にしているからである。
世の中の人はみな賢いのだから放っておけばよく、唯一介入が必要なのは市場の失敗がある時で、その時にもっと賢い政府が介入すればよいという考え方なので、経済学を学んでも自分の行動が変わることはない。
一方て、行動経済学は学ぶことによって人間の経済行動や考え方も変わるということを前提にしている。
極端な新古典派経済学では、人間は生まれた時から好みはハッキリしていて、生涯そのまま変わらないかせ、その好みの人たち全てが最も幸せになるような政策をどうしたらいいかを政府が考えるというものだった。
学ぶ側からすると、行動経済学は学びがいのある学問である。
こうすると売上が上がるとか、消費者もより幸福になれるというのが分かるようになる。
行動経済学の研究で「寄付をすると幸福になる」というのがある。
ある金額を実験参加者に渡して、半分には「そのお金を人のために使って下さい」と伝え、もう半分には「そのお金を自分のために使ってください」と伝える。
その日の夜に、幸福度を聞くと、人のためにお金を使った方が幸福になったという結果がでたという。
経験で人は変わっていくという事を前提にすると、経済学は楽しい学問になっていく。
「反競争的教育」は日本で少し昔から現在も時々行われている。
例えば、運動会の徒競走で順位をつけないとか、手をつないでゴールするといった事を学校でやっている。
そういう教育を受けた人たちは、実は助け合い精神が希薄になる。
皮肉な話だが、人を蹴落とすような気持ちを抑えて、みんな一緒にという事を教えようとした結果、全く逆のタイプの人間が育ってしまう。
みんな同じなのだから、助ける必要を感じないということになる。
当時の日教組は、生まれ持った素質や能力はみな同じであり、成績が悪い子がいたとしてら、それは教育環境が悪かっただけだという思想で、順位をつけないということにしたようだが、予想外に「だから助け会わなくていい」というロジックに子供は捉えてまった。
色々な能力を持った人がいて、助け合った方がいい、という感覚を身に付けることが大事である。
ただ、互恵性を身に付けた人たちは、所得についてそれほど高くな訳ではないが、健康になって幸福度が高いという研究結果がある。
2014年9月にサンフランシスコに開校したミネルバ大学が、今、世界的に注目されている。
全寮制で、学生たちは半年毎に世界の7都市に移り住むことになっていて、通常の授業は全てオンラインで行われる。
ここでは典型的なアクティブ・ラーニングを行っており、「クティカルシンキング」「クリエイティブシンキング」「エフェクティブコミュニケーション」を身につける事がモットーとなっている。
ITが発達し、記憶力や計算力などの定型的な仕事のかなりの部分はITに代替されていき、ITが苦手な事が人間の仕事の中心になっていく。
だから人間はそういうITが苦手な面を伸ばしていく事が重要になってくる。
現在、世界人口の70億人のうち、移民として海外で済んでいる人は3%(2億人)だが、潜在的需要はその10倍あると言われている。
アメリカの世論調査会社のギャラップ社によると、どこに住みたいかというアンケート調査の結果をそのまま反映させると、オーストラリアとニュージーランド、シンガポールの人口は2倍となり、アメリカの人口は6割増えるという。
どれだけ今を我慢して将来を大事にするかと言う忍耐度とか時間割引率を見ると、若者は高いという結果が出ている。
時間割引率が高いということは、今のことを大事にするということで、我慢ができない。
ライフサイクル的に見ると、30代から40代にかけて我慢できるようになり、高齢者になるとまた我慢できなくなる。
我慢しても将来が無い人にとっては、今しかないからである。
若者に対しては、将来の返済負担を強調するような貸し付けの工夫をしないと、借りすぎてしまう。
返済する目処もないのに、奨学金の枠を全部使い切ってしまう若者には将来の返済について、貸す側がしっかりとした説明をすべきである。
大学教育の収益率は高く、日本でも平均6~7%あると見られている。
高卒と大卒の生涯所得を比べて、内部収益率で計算すると、だいたいそういう数字となる。
現在、6%を超える金融資産は国内では殆どないので、そういう意味では退学教育の収益率が高いことは確かである。
ただ問題は、高い収益率を得られる人もいるし、低い収益率しか得られず、奨学金の負債を抱えてマイナスの人もいるという、ばらつが大きい点も存在する。
このような結果の違いが、真面目に勉強しなかったからなのか、大学教育の質が低かったのか、大学教育に向かない人が大学進学をしたのか、識別が難しい。
また、ヘドニックプライスという経済学の考え方もあり、賃金とは違う喜びを得ていて、それを金銭に換算すれば十分に恵まれていると考えることもできる。
教育投資のばらつきを、どう考えるかは重要である。
第二次世界大戦が終わった直後、日本に住んでいる韓国人の方がソウルにいる韓国人より多かったという事実がある。
ソウルは当時100万都市で、8割が韓国人、2割が日本人だった。
在日韓国人の定義にもよるが、80万人以上の韓国人が日本にいたのである。
労働問題で難しいのは、労働政策審議会という仕組みがあり、これがネックになっているからである。
労政審の基礎には「フィラデルフィア宣言」の原則があり、そこでは「労働者および使用者の代表者が、政府の代表者と同等の地位において」決めなければならないとされている。
労働側が参加しなければならないと国際的な条約として決めれており、これを盾にとって労政審では労働者の代表として連合の幹部が出席するので、何も決まらない。
フィラデルフィア宣言は解釈の問題で、労働者の代表に決定権があるというのではなく、政策論議に参加してもらえば良いのてある。
しかし、厚労省は「労政審で決める」と言い、一種の責任放棄に使っている。
退職金は非常に不透明な部分がある。
勤続期間中に額が決まっていくが、勤続中には支給は確定しない。
懲戒解雇になれば退職金は減額され、最悪支給されないこともある。
つまり、いつでも剥奪される可能性がある権利であり、労働者にとっては曖昧なものである。
雇用慣習において世界の常識と日本の常識が大きく異なる点として、金銭解雇がある。
金銭解雇のルールが無いのは、OECDでは日本と韓国だけと言われている。
その結果、日本では大企業の製造業のように労働組合が強い会社では解雇される人は何千万円かの退職金を貰えるが、中小企業では「ないカネは払えない」と何ももらえず解雇されて泣き寝入りすることになる。
この不平等は、制度が不備なために起こっている現実である。
雇用の契約でもめたら、最後はカネで片を付けるしかない。
「雨の日にどうしてタクシーがつかまらないのか」という経済学の研究がある。
この研究によると、タクシーの運転手は1日の売上目標額を決めており、雨の日は沢山の客が利用するので、早めに1日の目標額を達成してしまう。
そのためタクシー運転手は、仕事をやめて帰ってしまう。
経済学的には、儲かる時にたくさん働いて、客がいない時には休むというのが、賢い働き方であって、多くのタクシー運転手が経済的に非効率な行動をとっているから、雨の日にはタクシーがいなくなるという内容の論文である。
ところが、ウ―バーが出てきて、この現象が起こらなくなった。
ウ―バーは運賃が変動制であり、需要が高い時には高くなる仕組みなので、雨が降って客が多くなると料金が上がり、運転手は競って働くようになった。
ウ―バーの出現で、タクシー問題は大きく様変わりした。
時間帯によって、どんどん運賃が変わり、客は注文の段階で行先を伝え、料金が確定するので安心して乗ることができる。
テクノロジーが需給調整をうまくやるようになった典型的な事例である。
GDPに対する現金の比率を見ると、日本では20年前に8%だったのが、現在は20%に上がっているという。
日本はデフレなので、現金手資産を持ちたいという特殊な理由もあるが、殆どゼロ金利の北欧では、現金比率は下がっている。
インドは2016年11月9日に、モディシ首相が突然テレビ演説で、「午前0時から現行の500ルピー紙幣(800円)と1000ルピー紙幣の高額紙幣が無効」となる旨を発表した。
偽造紙幣や不正資金の洗浄の根絶が理由だと言われるが、インドの代表的なIT企業インフォシス創業者のナンダン・ニレカニ氏がアドバイザーとなり、前シン政権時代から現金依存型社会から早期脱退を図るシステムを構築していた。
インドのマイナンバーは、顔画像と指紋と虹採の3つが登録されるが、現在、総人口12億人のうち11億人が登録されている。
銀行に口座を持つというフィクションを作って、通信会社が口座を持つというシステムと連動し、あっと言う間に世界が変わった。
新興国で通常の金融サービスを受けられない人々がアクセスできるようになるファイナンシャル・インクルージョン政策と、高額紙幣の廃止が重なった結果、先進国のインフラを飛び越えるものすごい事が起こっている。
所得格差拡大の多くは高齢化で説明でき、実質的な所得格差の拡大はあまりない。
橘木俊詔氏が、日本の所得格差はアメリカより大きいと指摘した際に使われた統計は『所得再分配調査』てあり、そこでの所得の定義では、年金の受け取り額は所得に入っていなかった。
つまり、引退した高齢者の所得に占める年金給付額の割合は大きいので、高齢化で年金受給者が増えてくると所得が低い人が増えるように見えてしまう。
『所得再分配調査』は、公的年金、生活保護、公的医療給付などの再分配政策の効果を測ることを目的として統計なので、再分配前の所得には公的年金の給付額は含まれない。
しかし、所得格差を測るのは、生活水準の格差を測るためだから、再分配後の所得格差で測った方が正解とる。
再分配前の所得格差が拡大したから格差社会になったというのは違う。
格差社会になったかどうかを議論する際に、『所得再分配調査』の再分配前の所得をもとにした指標を使うのはおかしい。
国立大学は不動産を含めて莫大な資産を持っているが、規定でこれらの資産を教育と研究以外の目的に使ってはいけないことになっている。
国立大学の金融資産は基本的に国債とそれに準ずるものしか運用できないし、土地を貸し出して収益を得ることも難しい。
例えば、アメリカの大学では、キャンパスの有効利用を兼ねて民間企業に貸し、キャンパス内に老人ホームを建設した大学もある。
その収入を研究費に充てている。
タイの国立チュラーロンコーン大学は、国王から譲り受けた繁華街の土地をショッピングモールとホテルに貸し出して収益を上げており、これが大学の収入の3分の1にもなっている。
アメリカのコロンビア大学は、マンハッタンで2番目の地主(1位は教会)であり、されを様々な目的で資産活用をしている。
アメリカの経済学者ゲーリー・ベッカー(1992年ノーベル経済学賞受賞)は、イラクに侵攻してサダム・フセイン政権を倒した後、アメリカはイラクの民主化政策を進めたが、それは間違いだと言っている。
長期的にみると経済が発展すれば民主化は進むというエビデンスはあるが、民主化すれば経済が発展するいうエビデンスはない。
だから、民主化を進めるのではなく、経済を立て直すことから始めるべきだという。
アメリカで2001年と2003年に消費刺激のために行われた「ブッシュ減税」の効果は無かった事を実験で明らかにした研究がある。
効果が無かった理由としては、「戻し税」という名前を付けたからだという。
「戻し税」と言われると、本来払わなくても良かったものを払ってて、損をしてたものが戻ってきただけと感じてしまう。
そして、所得が実質的に増えていないと思い、税金が戻ってお金が増えても使う気にならない。
この還付金を「ボーナス」と言えば、特別に入ってきたボーナスとして所得が増えたように感じ、喜んで消費に使うだろうというのである。
この研究から、日本の政策の失敗も説明できる。
2015年9月に財務省は消費税10%になった時の軽減税率の代わりに、マイナン派―を使った「還付金」という案を出して、世間から大きな批判を浴びた。
この時、名称を「還付金」ではなく、「ボーナスポイト」とすれば、良かったかもしれない。
民間企業では「還付」という名前のカードはなく、全て還付されるお金を「ポイント」として付加されるカードを発行している。