Amazon

2016年9月19日月曜日

ソ連と北朝鮮の国境地帯には多くの朝鮮人が住んでいたが、ノモンハン事件の後、日本のスパイになる可能性があるとして、中央アジアに強制移住させられており、その後、誰も住まわされていない。
ロシアと北朝鮮の国境地帯は、豆満江の向かい側で、決して悪い土地ではないが、わざとペンペン草が生えるように放置して、緩衝地帯にしている。
だから、朝鮮半島に何かあった場合、ロシアは難民で悩む必要がない。
スターリンによって、シベリアや中央アジアに強制移住させられていたチェチェン人やイングース人は、1956年のスターリン批判の後、名誉回復して元の土地に帰還する事ができた。
しかし、朝鮮人の名誉回復はせず、帰還も認めなかった。
ゴルバチョフ時代になってようやく、強制移住があったことは認めたが、帰還には未だに消極的である。
実際に戻ってきても何のインフラも無いので、その結果、北朝鮮からの難民が絶対に入って来ないという仕組みを作ることに成功したのである。
ソ連は満州国の存在自体を認めていなかったにもかかわらず、チタやハバロフスクには満州国や日本の領事館があった。
そこに日本は、陸軍中野学校出身の工作員を派遣していた。
日本の勢力下ではなかったにも関わらず、両都市に日本の領事館が置かれており、それをソ連は認めていた。
人生の楽しみとは知的力量、実体験豊富な人との出会いにあり、そして話を聞きながら自分も考える、楽しいおしゃべりをすることにある。
by 半藤一利