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2016年8月18日木曜日

京王線と井の頭線が交わり、渋谷、下北沢、吉祥寺といった人気エリアにダイレクトに行ける明大前駅は人気が高く、賃料水準も高い。
ちなみに現在は「明大前」という駅名であるが、戦前は「火薬庫前」という駅名だった。
甲州街道沿いに江戸時代に徳川幕府の煙硝蔵(鉄砲・火薬などの貯蔵施設)があったことに由来し、明治時代に火薬庫は陸軍管轄になった。
小田急線の成城学園前は都内でも高級住宅地として、確固たるブランドを有している。
昭和の初めまで雑木林な田畑が広がる田舎だったが、成城学園の創始者である小原国芳が駅周辺の土地を2万坪購入し、大規模な区画整理を行った。
ちなみに、小原は成城学園の関係者と対立して身を引き、同じ小田急線沿いに玉川学園を創設して宅地開発を行った。
小田急にある2つの学園都市は、同じ人物が開発したのである。
東急電鉄の母体企業は、渋沢栄一が設立した田園調布株式会社不動産資本会社である。
渋沢は、田園調布を理想の都市にする事を夢見ていたが、都心からかなり離れていて交通の便が悪すぎた。
そこで鉄道院出身で、当時は武蔵電気鉄道に務めていた五島慶太に鉄道建設をさせ、阪急電鉄の小林一三が顧問を務めた。
五島は百貨店や娯楽施設を作り、沿線の付加価値を高めつつ、他の鉄道会社を次々と買収し、現在の京急、小田急、京王、相鉄を傘下に入れた「大東急」と呼ばれる巨大鉄道グループを作り上げた。
五島は学校の誘致にも力を入れ、慶應義塾に7万坪以上の土地を無償譲渡して1934年に日吉キャンパスを開設させた。
また東京府青山師範学校(東京学芸大学)、東京府立高等学校(東京都立大学)も誘致に成功し、東急沿線は学園都市としての付加価値も高めていった。
両校の最寄り駅には「学芸大学」「都立大学」という学校の名前が付けられたか゜、現在は両大学ともに移転している。
そのため、駅名の変更をすべきという意見も出たが、地元住民の反対で見送られ、学園都市としてのブランドを維持するために、存在しない大学の名前を駅名に入れ続けている。
都営三田線は戦前より計画されていた路線だが、その建設工事は戦前、戦後ともになかなか進まなかった。
1968年にようやく開業したが、当初は巣鴨から志村(現在の高島平)のわずか10.4キロだった。
その後、巣鴨方面から建設され最後に残された三田から目黒間が開業したのは2000年だった。
30年かけて計画されていた全線を開業させることができた。
ちなみに、現在、都営三田線は目黒駅で東急目黒線と相互乗り入れをしているが、開業前の計画では五反田駅から東急池袋線に、板橋方面は東武東上線に乗り入れる予定となっていた為、三田線の線路幅は1067ミリで建設されている。
都営浅草線の線路幅は1435ミリ軌間で建設されており、本来ならば三田線も軌間を統一して車両を統一規格で製造するのがコスト面では当然であるが、当初計画の経緯より三田線はコスト高な路線となっている。
それにもかかわらず、東武東上線との相互乗り入れは破綻となってしまった。
1972年に入居が開始された高島平団地の誕生により、1976年に高島平から西高島平間の1.5キロを延長した。
ピーク時には高島平には7つの区立小学校があった。