都営三田線は戦前より計画されていた路線だが、その建設工事は戦前、戦後ともになかなか進まなかった。
1968年にようやく開業したが、当初は巣鴨から志村(現在の高島平)のわずか10.4キロだった。
その後、巣鴨方面から建設され最後に残された三田から目黒間が開業したのは2000年だった。
30年かけて計画されていた全線を開業させることができた。
その後、巣鴨方面から建設され最後に残された三田から目黒間が開業したのは2000年だった。
30年かけて計画されていた全線を開業させることができた。
ちなみに、現在、都営三田線は目黒駅で東急目黒線と相互乗り入れをしているが、開業前の計画では五反田駅から東急池袋線に、板橋方面は東武東上線に乗り入れる予定となっていた為、三田線の線路幅は1067ミリで建設されている。
都営浅草線の線路幅は1435ミリ軌間で建設されており、本来ならば三田線も軌間を統一して車両を統一規格で製造するのがコスト面では当然であるが、当初計画の経緯より三田線はコスト高な路線となっている。
それにもかかわらず、東武東上線との相互乗り入れは破綻となってしまった。
1972年に入居が開始された高島平団地の誕生により、1976年に高島平から西高島平間の1.5キロを延長した。
ピーク時には高島平には7つの区立小学校があった。
ピーク時には高島平には7つの区立小学校があった。
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