西南戦争の経験から、日本が学んだ近代的な軍隊の在り方とは、総大将は軍事を知らなくてもいい、素人でもよく、幕僚がしっかり把握すれば、あとは戦略、戦術によって勝つ事ができるというものだった。
そこにドイツ型の参謀本部システムが入ってくる土壌ができるのである。
そこにドイツ型の参謀本部システムが入ってくる土壌ができるのである。
ナポレオン以来、最強と言われたフランス軍を1871年に普仏戦争で破ったプロイセン軍の知名度が急上昇するのが明治4年にあたり、ドイツ軍が強い理由が、「近代ドイツ軍の父」と呼ばれるモルトケ率いる参謀本部だった。
日本の陸軍はモルトケの弟子にあたるメッケルを招聘し、軍隊の近代化を急いだ。
モルトケの参謀本部は、部隊を指揮することはせずに、作戦を立てる部門として独立したもので、作戦(スタッフ)と部隊指揮(ライン)を分けるのが特徴だった。
モルトケの参謀本部は、部隊を指揮することはせずに、作戦を立てる部門として独立したもので、作戦(スタッフ)と部隊指揮(ライン)を分けるのが特徴だった。
しかし日本はこの参謀本部を独特の形で発展させてしまい、参謀の中で有望とみなされた人間が実質的にはラインになって軍を指揮してしまう。
総大将よりも参謀重視が日本の軍隊のスタートとなった。