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2016年9月25日日曜日

1945年9月2日に、東京湾に錨を下したミズリー号での調印の時、マッカーサーは短い演説をしている。
外務省による正式な記録は、随行員だった加瀬俊一が訳したもので、「自由と寛容と正義を実現する世界の樹立せられんことを期待す」が一般的に参照される。
しかし、この演説の訳し方には、「自由と寛容と公正さへの願いが叶えられる世界となりますように」ともう一つ有り得る。
原文のJusticeを「正義」と訳すか「公正」と訳すかで、外交ではよく問題になる。
日本語のニュアンスでは、正義と公正は必ずしも同じではなく、「正義の味方」とは言うが「公正の見方」とは言わない。
公正取引委員会はあるが、正義取引委員会はない。
正義の方が規範原理があって倫理的な意味がより強区ね日本語の場合、公正というのは「公平」に近い。
justiceにあたるロシア語の「スプラベドゥリーボスチ」にも、正義と公正の両方の意味がある。
北方領土の交渉で、1991年9月にエリツィン大統領から海部総理宛てに親書が届き、「戦勝国と敗戦国の区別なく、法と<スプラベドゥリーボスチ>の原則によって、北方領土問題を解決したいと思いますけと書いてあった。
これを提案したのはクナッゼというロシア外交官の中でも有数の日本専門家であり、マッカーサーの演説を意識していると思われる。
日本政府は、エリツィン書館を「法と公正」と訳していたのを、ある時期から「法と正義」とするようになった。
「公正」とすると、現在、北方領土に住んでいるロシア人の人権を保全するというニュアンスが出てくるからで、「法とと正義」であれば、法的な解釈が正義だという意味が強くなる。
このようにジャスティスは正義と公正のどちらに訳すかで、意味が異なることから、外交上では注意が必要なキーワードとなる。

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