国家総動員法を最初に考えたのは、陸軍きっての秀才だった永田鉄山だった。
永田は1935年に統制派の頭目と目されて、相沢三郎中佐に刺殺されてしまうが、陸軍の中心にいて徹底的な改革を行った人物である。
そして、ゼネラリストとしての才能を発揮して、戦争は軍隊だけでやるものではなく国家が総力を挙げてやるもの、だから国民の士気もまた戦力だ、という考えに辿り着く。
大正の中頃には『国家総動員に関する意見』という克明に研究した冊子を出している。
大正の中頃には『国家総動員に関する意見』という克明に研究した冊子を出している。
こうした永田の考えに共鳴した陸軍の中堅・若手将校が「一夕会(いっせきかい)」と呼ばれる派閥を作り、陸軍中央で勢力を伸ばしていくのである。
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