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2016年9月25日日曜日

占守島は、千島列島の最北東端に位置する豆粒みたいな小さい島だが、その先には千島海峡をはさんでカムチャッカ半島、その東にはアリューシャン列島に至る。
だからこの島に置かれた日本の陸軍部隊の仮想敵国はアメリカだったが、1945年8月18日にソ連軍が攻撃を仕掛けて来た。
この日から21日まで4日に渡ってソ連との死闘が繰り広げられた。
実際に占守島では日本軍は奮闘しており、日本側の資料によるとソ連軍は3千人の死傷者を出したという。
その後、ソ連軍は手島列島へ進軍し、南千島の得撫島、北方四島が完全占領されたのは9月3日のことだった。
もし占守島で、ソ連軍を足止めできていなかったら、スターリンの思惑通り、北海道もソ連に占領されていたかもしれない。
ソ連の占守島へのこだわりは、クリル諸島という言葉が示す範囲にも関わっており、日本がいう北方領土とロシアのいうクリル諸島の範囲は異なる。
ロシアのいうクリル諸島とは、占守島はもちろん、北方四島までを範囲として指している。
ちなみにヤルタ会談では、ソ連の参戦と引き換えにクリル諸島がソ連に引き渡されることが英米との間で合意できていたが、その範囲がどこまでを指すかは、あいまいなままだった。

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