日米関係の緊張が最高潮に達していた1941年12月26日(日本時間27日)に、アメリカの春国務長官から突き付けられ、日本が対米英蘭開戦を決意した「ハル・ノート」の中に「Chinaから撤兵せよ」という条件があった。
この「China」がどの範囲を指すのか、日本政府も軍部も当然、満州が含まれていると考えた。
ところが、戦後になってアメリカから「満州は含まれていなかった」という説が伝わってきた。
それを聞いた開戦当時の国務大臣・企画院総裁の鈴木貞一中将は、「そんなバカな! もしそうであったなら戦争に踏み切る必要は無かった」と天を仰いで言ったという。
アメリカは満州国を承認していなかったので、当然のこととして満州国は含まれていると、東条内閣は判断したという。
言葉というものが、外交的に正しく判断できるかどうかで、歴史は変わるのである。
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