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2016年1月24日日曜日

国際連合には、今だに敵国条項が残っていて、第二次大戦の戦勝国と敗戦国という枠組みは、日本人が意識している以上に強固なものがある。
ドイツと日本が国連の常任理事国になれないのも、このためである。
敵国条項というのは、国連で、どこかの国が侵略を受けた時に個別的自衛権で戦うのは良いが、安全保障理事会に提訴が必要で、それなくして勝手に戦争をしてはいけないと決まっている。
ただし、相手が第二次大戦中の敵国だったら、安保理に関係なく攻撃しても良いというものである。
つまり仕組み的には、中国は日本に対して、安保理に提訴しないで攻撃が可能なのである。
1950年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約も「日本とその同盟国」を仮装敵国としていた。
第一次大戦後の国際連盟には、敵国条項はなかった。
国際連合は、第二次大戦中の枢軸国に対する連合国(ユナイテッド・ネーションズ)が、そのまま国際機関になった、戦勝国クラブなのである。
英語の「ユナイテッド・ネーションズ」を「国際連合」と訳したのは、当時の外務官僚が苦労して編み出した意訳で、意図的誤訳である。
中国では「連合国」と呼んでおり、日本も戦中は「連合国」と呼んでいたのにも戦後に外務省が「国際連合」と呼び方を変えたのである。
アメリカ南部の共和党が強い州には、アメリカの外に出たこともないような人が多い。
連邦議会の共和党議員の半数以上がパスポートを持っていない。
例えば、2008年の大統領選挙で共和党の副大統領だったセイラ・ペイリンは、アラスカ州知事になるまでパスポートを持っていなかったる
アラスカ州の州兵がイラクに派遣されて、その激励に行かねばならなくなり、その時に初めてパスポートを取得したのである。
このため副大統領候補になった時に、あまりにも国際感覚がないので特訓をしてら、「アフリカ大陸は1つの国だ」と思っていたのが、バレてしまったという。
アメリカには、南部連合へのノスタルジーが残っている。
南部諸州には、公共施設にアメリカ合衆国の国旗と州の旗と共に、南軍旗を掲揚する州が今だに存在する。
第二次大戦は、ナチズムというドイツの暴走をソ連とアメリカの物量によって抑え込んだとい戦争だった。
エリック・ホブズボームは、著書『20世紀の歴史』の中て、20世紀は1914年の第一次大戦開戦が始まりで、1991年のソ連崩壊が終焉となり、これを「短い20世紀」と呼び、「ドイツの世紀」だとしている。
ドイツという新興の帝国主義国をいかに封じ込めるか、ということに世界は必死になり、その過程でソ連という国家も出て来た。
第一次大戦と第二次大戦は、ひとつながりの「20世紀の31年戦争」とみなすべきで、2つともドイツをめぐる戦争で、結果的にはドイツを封じ込めることはできずに終わった。
現在のドイツを見ると、EUとユーロによって、欧州の覇権を実現させてしまっている。

アメリカの首脳が日本に来るときには、迎賓館には宿泊せずに、必ずアメリカ大使館の隣のホテルオークラに宿泊する。
迎賓館に泊まると盗聴される恐れがあると警戒しており、ホテルオークラには、通信設備を持ち込んで妨害電波を出したりしていると言われている。
ドイツのメルケル首相の出自は謎に包まれているが、その謎を解くには父親を知る必要がある。
メルケルは西戸竟のハンブルク生まれで、父親はルター派の牧師だった。
ベルリンの壁ができた後も、しばらくはルター派もカルヴァン派も、教会人事は東西共通だったので、牧師は自由に東西の移動ができた。
ところが1960年代末に、東ドイツが教会を分裂させて独自の教会を作り、西ドイツから東ドイツに赴任していた牧師たちは、東ドイツに留まるか西ドイツに帰国するか選択を迫られた。
大多数が西ドイツに帰国したにもかかわらず、メルケルの父親は東ドイツに残った数少ない牧師のうちの1人だった。
東ドイツには、自由ドイツ青年団という社会主義統一党の青年組織があり、通常は牧師の子供は入らないが、メルケルは入り、メシア語も上手い。
東ドイツの価値観が身についているメルケルは、東西ドイツ統一後に、あえて反共的なキリスト民主同盟に入党したのではないかとアメリカは疑っているという。
だからこそ、CIAがメルケルの電話を盗聴していたのである。
理由なく盗聴などすることはないので、何らかの疑念が持たれていることは間違いない。
単にドイツの首相だからというのではなく、メルケル個人の来歴に疑念を抱いているのである。
第二次大戦のスターリングラード攻防戦で敗北したドイツ第6軍のフリード・バウルス司令官は、上級大将だったが、ソ連軍に包囲され、「降伏を許してくれ」という電報をヒトラーに打った。
すると、ヒトラーは降伏を認めず、元帥に昇給させられてしまった。
ドイツの元帥は降伏しないという事になっていたからである。
「罰として格下げ」ではなく、「罰として格上げ」という、高度な人事がされたのである。
しかし、彼は降伏し、ソ連の捕虜となり、戦後にドイツに帰れるようになった時に、旧ナチス党が残っている東ドイツを選択した。
こういう土壌があるから、ネオナチが東ドイツから出てくるのである。
ドイツを理解する為には、旧西ドイツではなく、ドイツを純粋に体現していた旧東ドイツを理解する事が重要となる。
東ドイツは、社会主義統一党の独裁ではなく、実は複数政党制で、キリスト教民主同盟、国民民主党という名称のナチス党も存在していた。
社会主義の建前からすると、仮にナチス党であっても独占資資本主義を打倒すれば問題解決の助けになるという理屈だった。
意外と知られていないのは、実はソ連は最後のギリギリまで、ドイツに対して無条件降伏を要求しなかったことである。
無条件降伏だと、国民全体を敵として幸福させることになるが、ナチスドイツは指導部だけが悪いのであって、ドイツ人民は味方であって、指導部を変えるだけ、という形を取ろうとした。
そして、「自由ドイツ政府」というのをでっち上げて、ベルリン解放に入っていったのである。
旧西ドイツでは、共産党は非合法で、社民党や青年社会主義同盟も反共的だっだが、統一後のドイツは、旧東ドイツの社会主義統一党の流れを汲む左翼党がドイツ議会の第三党となっている。
イスラエルという国は、周囲のアラブの国に比べてると相当しっかりしているが、イスラエルに住んでいるユダヤ人全員がしっかりしているという訳ではない。
建国初期にドイツ系のユダヤ人が移民してきて、国の基礎を築いたからという説が、正しいと言われている。
逆に、戦後のドイツは、それまでにあった国の重要な要素を半分失ってしまった。
元々の土着のドイツ人の知識人と、ユダヤ人の知識人によって作られた国だったのが、戦後はユダヤ系の優秀な人材を失ってしまったのである。
ドイツでは日中のテレビ放送が始まったのは、この10年くらいのことである。
昼間はみんな働いていて、テレビを見る人がいない、という事で放送自体がなかったという。
ギリシャを「ヨーロッパ」と考えるのは間違いで、現在のギリシャは19世紀に恣意的に作られた国家なのである。
19世紀から20世紀の諸島にかけて、ロシア帝国と大英帝国が中央アジアの覇権をめぐって対立するグレートゲームの中で、オスマン帝国を如何に解体していくかという話の中で、ギリシャが作られたのである。
当時、ロシア領の黒海沿岸にすんでいたギリシャ人で、一方、オスマン帝国の現在のギリシャに相当する領域に住んでいた人々は、帝国内のキリスト教のミレット(共同体)に入っていたので、ギリシャ人というよりも「オスマン帝国のギリシャ正教徒」という意識を持っていた。
1829年に古代ギリシャの滅亡以来、1900年ぶりにギリシャは独立を果たすが、国民はDNA的にはトルコ人と変わらない。
アナトリアにいた正教徒をギリシャに移し、ギリシャにいちムスリムをアナトリアに移すという住民移動を行って、人造国家を設立し、王もドイツのバイエルンの王子を連れて来た。
言語も、古代ギリシャ語とは全く異なり、ソクラテスやプラトン、アリストテレスとも関係はない。
アベノミクスに伴う円安は、韓国から見れば「為替ダンピング」である。
しかし、基軸通貨に高い影響力のある通貨でないと為替ダンピングはできないので、韓国ウォンでは不可能である。
為替ダンピングを行う能力のある国は、アメリカ、EU、イギリス、日本だけである。
琉球は、明との間に朝貢関係があり、明の使節が那覇の久米村に住み、外交活動や貿易を行っていた。
明が滅んで清になると、清の使節は琉球に移住していない。
清は明と違い、高級官僚を帝国周辺まで派遣するだけの余裕がなかったと思われる。
その後、明の遺臣がそのまま琉球に残って、久米村で独自のアイデンティティを形成していくことになった。
前知事の仲井眞弘多氏は、明の遺臣の血筋である。
中国が海洋大国を目指す根拠にしているのは、明時代の鄭和の大航海である。
鄭和がメッカまで巡礼した際に開いた航路だからという「明の栄光」の歴史を根拠にしている。
鄭和は雲南のイスラム教徒だったが、明に捕らえられ、宦官にされてしまったが、永楽帝に重用されて大艦隊を率いることになる。
宦官にされたということは、裏を返すと、信頼されていたという事である。
能力の高い人間を使うには、宦官にするか独身制を導入するが合理的だった。
そうしないと、財力や権力の世襲が生じてしまうからである。
例えば、ローマ教会は、宦官の代わりに独身制を採用し、外に子供を作っても独身が建前だから、後継ぎとして認められなかった。
沖ノ鳥島は、東京から南に1740キロ離れた孤島である。サンゴ礁に囲まれた岩場だったが、波による浸食が進み、現在は高潮時に海面に顔を出すのは、北小島と東小島の2つだけとなっている。
更に浸食が進んでしまい2つの小島が満潮時に水面下に沈むと、「島」として認められず、単なる「岩」となってしまう。
「岩」は領海の基点にはなるが、排他的経済水域の基点にはないので、40万平方キロの経済水域が消滅してしまう。
領海の幅を測定するための基線は干潮時だから、ここは周囲11キロの立派な「島」として国連から認定されている。
周りをチタン製ネットと波消しブロックと、コンクリート製の護岸で覆って保護し、波にさらわれないようにしている。
日本政府は、2010年に「特定離島整備法」を制定して港湾整備を始め、総額1500億円をかけて国策工事が行われている。
モンゴルとチベットは、19世紀には共に大清帝国の一部だったが、一方はソ連の支援を受け、モンゴル人民共和国として独立し。もう一方は英国の影響かにありながら中国内部に留められ、今ではこの2つを関連づけて論じられることは殆どない。
ところが、実はモンゴルはチベット仏教の国で、13世紀にモンゴル帝国を築いた時に、タペット仏教に帰依している。
「ダライ・ラマ」という称号は、元をたどればモンゴル語で、16世紀のモンゴル諸部族の指導者からチベットに贈られたものである
伝統的なアラブの考え方では、カリフになれるのはアラブ人の「クライシュ族」というムハンマドの一族だけである。
カリフいう称号は、もともと「預言者ムハンマドを代理する者」という意味である。
カリフ制度は、90年前までオスマン帝国に残っていたが、近代トルコの父であるアタチュルクが廃止して以来90年間、イスラム世界にカリフ制度は存在しなかった。
イスラム国の指導者、バグダディは自分の姓にクライシュ族の血を引くことを示す「クライシ」を入れて、自分にはカリフを名乗る正当性があると主張し、2014年6月29日にカリフ宣言をして、アラブ世界に衝撃を与えた。