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2016年1月24日日曜日

ギリシャを「ヨーロッパ」と考えるのは間違いで、現在のギリシャは19世紀に恣意的に作られた国家なのである。
19世紀から20世紀の諸島にかけて、ロシア帝国と大英帝国が中央アジアの覇権をめぐって対立するグレートゲームの中で、オスマン帝国を如何に解体していくかという話の中で、ギリシャが作られたのである。
当時、ロシア領の黒海沿岸にすんでいたギリシャ人で、一方、オスマン帝国の現在のギリシャに相当する領域に住んでいた人々は、帝国内のキリスト教のミレット(共同体)に入っていたので、ギリシャ人というよりも「オスマン帝国のギリシャ正教徒」という意識を持っていた。
1829年に古代ギリシャの滅亡以来、1900年ぶりにギリシャは独立を果たすが、国民はDNA的にはトルコ人と変わらない。
アナトリアにいた正教徒をギリシャに移し、ギリシャにいちムスリムをアナトリアに移すという住民移動を行って、人造国家を設立し、王もドイツのバイエルンの王子を連れて来た。
言語も、古代ギリシャ語とは全く異なり、ソクラテスやプラトン、アリストテレスとも関係はない。

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