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2017年3月11日土曜日

佐藤優氏の仕事場には、1930年代に出地平凡社の『大百科事典』と、第二次世界大戦後の1950年に出た4冊の補巻が置かれているという。
平凡社は、戦前は日本の軍神・杉本五郎のベストセラー『大義』の発行元でもある。
「尊王精神ある処、常に我在り」という杉本の有名な言葉があり、この本を「教典」とする大義会という右翼団体もあった。
しかし、日本がポツダム宣言を受諾して、新憲法ができると、戦前の枠組みで作られた百科事典では対応できない。
早急に新しい百科事典を作る必要があり、変化があった項目でけに絞って収録したのが、補巻である。
例えば、憲法、天皇、共産主義、といった項目が全面的に書き改められ、新項目には基本的人権、原子爆弾、勤労動員、学童疎開、国際連合、五・一五事件、ゲッペルス、コールド・ウォー、現代仮名遣いといった言葉が加えられている。
補巻は1945年8月15日を境に、日本の社会のどの部分が変わったかを検証するのに便利な資料である。
よく百科事典は時代遅れであり、Wikipediaがあれば良いのではないかと考えている人がいるが、それは間違いである。
wikiはハワイ語で「素早い」、pegiaはギリシャ語で「教育」を意味する語で、wikipediaは「素早く教育する」を意味している。
つまりスピードを重視し、常に新しい情報に更新されて進化していく。
これに対して、百科事典を意味するencyclopediaは、ギリシャ語のencycloに由来し、円環をなしているという意味がある。
円環であるためには、ある段階での知を輪切りにしなければならない。だから、ある時代の知識の集大成として、閉じている。
重版の際にも、数字の秋晴追加などの微調整は行うが、独立した事項の関連性をそのまま保つために、分類や項目立ての編集方針は踏襲し、進化しない。
進化しないがゆえに、ひとつの時代の知的な体系を提示することができる。
現在の日本の「知」は新自由主義的である。
この状況は、ベストセラーになって映画化された「ビリギャル」に、よく表れている。
小学校4年生くらいの学力しかなかったビリギャルのさやかちゃんが成功した要因は、私立の中高一貫校に通っていたのと、お金に余裕がある家庭環境だったことが挙げられる。
さやかちゃんが通っていた塾の授業料は、一括納入で百数十万円もする。
塾だけではなく、私立高校の学費もあるので、年間で200万円近いお金を用意できる経済力がないと、ビルギャルは成功しない。
そして、さやかちやんの母親は、受験勉強で授業中に寝ていて学校に呼び出された時に、「学校しか寝る場所がないんです。寝かせてください」とモンスターペアレントのような振る舞いで抗弁して譲らなかった。
この母親のおかげで、塾の勉強に特化できる環境ができた。
公立高校だったら、まず無理である。
つまり、これは新自由主義時代の受験産業の物語なのである。
小学校4年生ぐらいの学力しかなくても、お母さんがモンスターでも許容する私立学校に通わせ、塾に行かせられるお金の余裕があったからこそ、私立大学の名門である慶應に行くチャンスが生まれた。
しかし、本人にとって必ずしもハッピーとは思えない。
「大学で学ぶ」ではなく、「大学に受かる」ことが目的だからである。
統計学も経済学も何一つ理解できず、入学歴だけで高等教育の知識を何も身に着けられず、卒業することになってしまうリスクがある。
若い人だけでなく、日本社会全体で「読む」という行為に大きな変化が生じているという。
スマートフォンの普及と関係しているという仮説がある。
一昔前までは、インターネットにアクセスできる人とできない人の間で、大きな情報格差が生じると言われていた。
これについては、新聞を丹念に読む習慣がついてれば、情報を入手する時期が遅れても、情報の質には問題はない。
むしろ深刻な情報格差は、日常的に電子媒体を用いる人の間で生じている。
主にパソコンを利用している人は「読む力」を維持することができているが、主にスマートフォンから情報を得ている人の「読む力」が落ちている。
スマホを多用する人はTwitter、LINEなどのSNS、ショートメールメッセージサービス(SMS)を利用する事と関係している。
SNSやSMSでは、限られた語彙しか用いられず、単文、体言止めが多い。しかも絵文字やスタンプで感情を表現する。
ここで用いられているのは「話し言葉」で、日常的に簡単な話し言葉しか用いていないと、急速に「読む力」が退化する。
「読む力」は表現力の基本であり、「読む力」以上の「聞く力」「話す力」「書く力」を持つことはできない。
ネット環境が充実した結果、知的退行が起きている。
このような状況から抜け出すためには、自覚的に「読む力」を強化しなくてはならない。