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2015年7月11日土曜日

太平洋戦争末期には、日本のあちこちの都市が空襲を受けたが、絶対に空襲されない場所が2ヶ所だけあった。
箱根と軽井沢である。
なぜ、この2ヶ所が空襲されなかったかというと、中立国の公使館と大使館があったからである。
箱根の強羅にはソ連大使館があり、軽井沢にはスイス公使館があった。
戦時国際法で、外交団が避難している場所はスイスを通じて、あるいはスペインを通じて、日本はアメリカに「ここに中立国の大使館がある」と連絡していた。
アメリカはそれを踏まえて、その地域には絶対に攻撃をしない。
少しでも戦時国際法に関する知識があれば、絶対に安全な場所は軽井沢と箱根だと分かるのである。
だから、その時期に金持ちが逃げ込んだので、箱根・軽井沢はリゾートとして非常に発展した。
1945~1946年ぐらいまでで軽井沢と箱根生まれという人がいたら、その人の親は非常に情報に精通していたということである。
田辺元の『歴史的現実』は2001年に、こぶし書房という革マル派系の出版社から復刻されている。
解説を書いているのが、革マル派の指導者の黒田寛一である。
ちなみに革マル派や中核派、革労協、つまり社会党・社青同解放派の指導者達の思想は、人を殺す思想を作ったから、ものすごく重要である。
本物の思想は、人を殺す。
人を殺すぐらいの力がないと、思想としては実際の力を持たない。
人を殺す思想とは、殺人を奨励するような思想ではなく、思想を受け入れる人間を大義名分のために、その思想のために自分の命を捧げるという気持ちに、必ずさせるのである。
自分の命を捧げるということは、自分の命を大切にしない人ということになる。
そういう人は、他人の命はもっと大切にしない傾向が強い。
人殺しの思想の前提には、必ず自己犠牲が入るのである。
戦後の70年前後の新左翼運動で影響力を持ったリーダー達の思想は、1930年代の日本の思想と構造が似ているところがある。
田辺元の『歴史的現実』は1940年に岩波書店から出版され、大ベストセラーになった。
特攻隊の青年たち、学徒動員の人達が、この『歴史的現実』をポケットの中に入れて突っ込んでいった。
読むと分かるが、個々人の生命は有限であるが、悠久の大義、国家のために命を捧げるならば、それは永遠になるという論理を『歴史的現実』から導き出したのである。
その後、田辺は1941年から何も書いておらず、大学の講義以外の公開講演をしていない。
1944年になって、「懺悔道」について講演をし、その時点で戦争にどうして負けたのかを真剣に考えるのである。
そして戦後に、自分は間違えていたという『懺悔道としての哲学』を出版し、これがまた大ベストセラーになった。
岩波書店は『懺悔道としての哲学』など、田辺が戦後に出したものは復刻しているが、『歴史的現実』は大ベストセラーになったにもかかわらず、復刻していない。
戦時体制に協力した本を、岩波は復刻しない傾向が強く、例えば京都学派の高山岩男の『世界史の哲学』も、1942年に岩波書店から出ていたが、復刻していない。
ミュンヘン大学のオットー・ケルロイター教授の『ナチス・ドイツ憲法論』という本も出していたが、復刻していない。
危機を突破するために神学は非常に重要である。
なぜなら、神学は何度も危機を克服してきているからである。
ずっと続いている宗教は、それだけ危機を切り抜ける知恵を内在しているのである。
マルクスが『資本論』で説明したように、株は犠牲(架空)資本に過ぎない。
株自体は何の価値も生み出さない。
そもそも資本主義は生産を基本とする運動によって利潤を獲得していく。
これを現実資本の運動と言い換えることも可能である。
「持っているだけで儲けになる」という株は、現実資本から株式資本に利潤が移転しただけの犠牲資本に過ぎない。
「危機」は英語で「crisi」(クライシス)だが、そのものとなったギリシャ語の「クリーシス」には、分かれ道、重篤などの意味がある。
今まで未分化だったものが分化されるので、そのうちどちらかを選択しなくてはならない。
その時の選択で運命が大きく変化するのである。
危機はだいたい事後的に分かる。
「あの時は危機だった」とは、危機を克服した時だけ分かる。
危機を克服できないと、そのまま破滅してしまうからであり、危機だったかどうかという反省できる機会すらなくなるのである。