太平洋戦争末期には、日本のあちこちの都市が空襲を受けたが、絶対に空襲されない場所が2ヶ所だけあった。
箱根と軽井沢である。
なぜ、この2ヶ所が空襲されなかったかというと、中立国の公使館と大使館があったからである。
箱根の強羅にはソ連大使館があり、軽井沢にはスイス公使館があった。
箱根の強羅にはソ連大使館があり、軽井沢にはスイス公使館があった。
戦時国際法で、外交団が避難している場所はスイスを通じて、あるいはスペインを通じて、日本はアメリカに「ここに中立国の大使館がある」と連絡していた。
アメリカはそれを踏まえて、その地域には絶対に攻撃をしない。
アメリカはそれを踏まえて、その地域には絶対に攻撃をしない。
少しでも戦時国際法に関する知識があれば、絶対に安全な場所は軽井沢と箱根だと分かるのである。
だから、その時期に金持ちが逃げ込んだので、箱根・軽井沢はリゾートとして非常に発展した。
だから、その時期に金持ちが逃げ込んだので、箱根・軽井沢はリゾートとして非常に発展した。
1945~1946年ぐらいまでで軽井沢と箱根生まれという人がいたら、その人の親は非常に情報に精通していたということである。
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