Amazon

2013年10月27日日曜日

家族の介護を理由に退職する「介護離職」が年間10万人おり、今後は更に増えるという。

総務省の「平成24年就業構造基本調査」によると、仕事をしながら介護をしている人は291万人。うち6割りが40代から650代の働き盛りの世代で、その4割が男性。

介護と仕事を両立するための支援制度として、下記の制度がある。
・介護休業(1回93日)は5.2%しか利用されていない。
→まとめて取得するしかなく、分割して休業できない。
・介護休暇(年5日)は6%しか利用されていない。

しかし、介護で休暇を取る際に、3割の人が年次有給休暇を取得している。
一方で、何の制度も利用せずに家族介護をしている人が5割いる。

介護保険サービスは、家族のうちの誰かが働いていない事を前提に制度が作られており、働きながら家族介護をするケースは考慮されていない。
人口の増加とともに、食料不足が心配されている。

肉食が増えると、エサとなる穀物が大量に必要になる。

鶏肉1キロに必要なトウモロコシは4キロ。
牛肉1キロに必要なトウモロコシは11キロ。

現在、慢性的な空腹状態などの飢餓に苦しんでいる人口は9億人。
一方、栄養過多で太りすぎの人口は16億人。
大日本愛国党総裁の赤尾敏は、照っても降っても、銀座の数寄屋橋交差点に停めた街宣車の上に立ち、演説をし続けていた。

彼だけは別格で、本来なら交通法違反にもかかわらず、警察も一ヤボなことは言わなかった。

街宣車は、この赤尾敏があみ出したもので、街中を大音量の軍歌を鳴らして走るものではなかった。

児玉誉士夫や笹川良一といった戦後に右翼の大物と言われた人達は、戦後になったから親米派に転向するが、赤尾敏は戦前から親米の立場を取り、アメリカと戦うべきではないと言い続け、東条内閣に反旗を翻している。
1960年10月12日、当時17才だった山口二矢(おとや)が、浅沼稲次郎・社会党委員長を日比谷公会堂で刺殺した。

実は、この時、山口はターゲットを「国賊三人組』(日本共産党書記長・野中参三、日教組委員長・小林武、浅沼稲次郎)に絞っていた。

山口は、ターゲットの自宅へ行き、大学自治会機関誌の編集部と名乗って面会を求め、刺し殺そうと考えていたが、3人が在宅しているタイミングを掴むことができなかった。

そんな中、電柱に貼られた共産党の演説会のポスターを見て、応援弁士として野坂が、1960年10月13日に新宿生活館に来る事を知り、テロを決定した。

ところが、前日の12日に読売新聞を見て、日比谷公会堂で「三党首立会演説会」の開催を知る。
山口は悩んだ末、顔を知られている可能性の高い共産党員の集まりよりは、本日12日の公開形式の演説会の方が、成功しやすいと判断し、急遽、ターゲットを野坂から浅沼に変更する。

ちなみに、12日の朝日新聞、毎日新聞には「三党首演説会」のことは書かれていなかった。
山口が12日に見たのが、読売新聞でなければ、浅沼は殺されず、翌13日に野坂が狙われた。

命拾いした野坂は、100歳を迎えてからスパイと認定され、共産党を除名された。
もし1960年に山口に殺されていたら、共産党の英雄として歴史に残っただろう。


『テロルの決算』 (文春文庫)
年間3万人の自殺者というのは、どうやら嘘であるらしい。
本当の数字を公表すると、さすがにパニックになるという事で、操作された数字を発表しているのである。

実際には、倍になるという。

例えば、交通事故死のうち、半数近くは自分の意思で、車を使った自殺と考えれる。
また、病院で亡くなった場合、病院で亡くなったのだから、遺族は病死としてもらうよう希望する。
行方不明者は年間8万人だが、そのうち数千人は失踪者となり遺体が見つからない。