1960年10月12日、当時17才だった山口二矢(おとや)が、浅沼稲次郎・社会党委員長を日比谷公会堂で刺殺した。
実は、この時、山口はターゲットを「国賊三人組』(日本共産党書記長・野中参三、日教組委員長・小林武、浅沼稲次郎)に絞っていた。
山口は、ターゲットの自宅へ行き、大学自治会機関誌の編集部と名乗って面会を求め、刺し殺そうと考えていたが、3人が在宅しているタイミングを掴むことができなかった。
そんな中、電柱に貼られた共産党の演説会のポスターを見て、応援弁士として野坂が、1960年10月13日に新宿生活館に来る事を知り、テロを決定した。
ところが、前日の12日に読売新聞を見て、日比谷公会堂で「三党首立会演説会」の開催を知る。
山口は悩んだ末、顔を知られている可能性の高い共産党員の集まりよりは、本日12日の公開形式の演説会の方が、成功しやすいと判断し、急遽、ターゲットを野坂から浅沼に変更する。
ちなみに、12日の朝日新聞、毎日新聞には「三党首演説会」のことは書かれていなかった。
山口が12日に見たのが、読売新聞でなければ、浅沼は殺されず、翌13日に野坂が狙われた。
命拾いした野坂は、100歳を迎えてからスパイと認定され、共産党を除名された。
もし1960年に山口に殺されていたら、共産党の英雄として歴史に残っただろう。
『テロルの決算』 (文春文庫)
実は、この時、山口はターゲットを「国賊三人組』(日本共産党書記長・野中参三、日教組委員長・小林武、浅沼稲次郎)に絞っていた。
山口は、ターゲットの自宅へ行き、大学自治会機関誌の編集部と名乗って面会を求め、刺し殺そうと考えていたが、3人が在宅しているタイミングを掴むことができなかった。
そんな中、電柱に貼られた共産党の演説会のポスターを見て、応援弁士として野坂が、1960年10月13日に新宿生活館に来る事を知り、テロを決定した。
ところが、前日の12日に読売新聞を見て、日比谷公会堂で「三党首立会演説会」の開催を知る。
山口は悩んだ末、顔を知られている可能性の高い共産党員の集まりよりは、本日12日の公開形式の演説会の方が、成功しやすいと判断し、急遽、ターゲットを野坂から浅沼に変更する。
ちなみに、12日の朝日新聞、毎日新聞には「三党首演説会」のことは書かれていなかった。
山口が12日に見たのが、読売新聞でなければ、浅沼は殺されず、翌13日に野坂が狙われた。
命拾いした野坂は、100歳を迎えてからスパイと認定され、共産党を除名された。
もし1960年に山口に殺されていたら、共産党の英雄として歴史に残っただろう。
『テロルの決算』 (文春文庫)
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