大日本愛国党総裁の赤尾敏は、照っても降っても、銀座の数寄屋橋 交差点に停めた街宣車の上に立ち、演説をし続けていた。
彼だけは別格で、本来なら交通法違反にもかかわらず、警察も一ヤ ボなことは言わなかった。
街宣車は、この赤尾敏があみ出したもので、街中を大音量の軍歌を 鳴らして走るものではなかった。
児玉誉士夫や笹川良一といった戦後に右翼の大物と言われた人達は 、戦後になったから親米派に転向するが、赤尾敏は戦前から親米の 立場を取り、アメリカと戦うべきではないと言い続け、東条内閣に 反旗を翻している。
彼だけは別格で、本来なら交通法違反にもかかわらず、警察も一ヤ
街宣車は、この赤尾敏があみ出したもので、街中を大音量の軍歌を
児玉誉士夫や笹川良一といった戦後に右翼の大物と言われた人達は
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