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2016年1月31日日曜日

決して政府の言う事を信じない方がいい。
危機はある日突然やってくる。
by カイル・バス
(ヘッジファンド「ヘイマン・アドバイザーズ」)
サブプライム・バブルの崩壊によって頭角を現したヘッジファンドマネージャー
戦後の財産税は不動産や株なども対象とされていたが、当時は政府が国民の財産を把握することが難かしく、課税を逃れたケースもあったとされる。
その代表例が、貸ビル業から大手ディベロッパーへ飛躍を遂げた「森ビル」の創始者である森泰吉郎である。
森は1904年に東京で、米屋の傍ら貸家業を営む家庭に生まれ、裕福だったこともあり不自由なく大事に育てられた。
1923年に起きた関東大震災で実家の所有物件が殆ど倒壊した際に、コンクリート造による建て替えを父親に進言している。
また終戦直後に、焼け野原となった東京を見渡して、「貸ビルの需要が増える」と考えたという。
一方、森は食料を輸入するために日本の目玉産業の人絹(レーヨン)の輸出が活発になり、相場が儲かると見込んだ。
偶然かどうか怪しいが、預金封鎖の直前に全ての預金を引き出した森は、人絹を買い漁り、その後の相場急騰により元金が何十倍にも膨らんだ。
その資金を元手に、森は虎ノ門周辺の土地を底ねで買い漁った。
そして、「都心近くの東側から千葉に行くには、全て森ビルの土地を通らなければならない」と言われるようになった。
森泰吉郎は、1991年と1992年に米フォーブス誌の世界長者番付で1位に選出されている。
正しく「資産家は恐慌時に生まれる」のである。
マイナンバー制度は、元々は税と社会保険を効率化されるために導入される予定だったが、2015年3月10日の閣議でマイナンバーにもう一つの役割として、銀行口座への適用が決められた。
現時点では、マイナンバー運用開始から2年後の2018年に預金口座にも適用される。
財務省は導入から3年後の2021年を目処に、預金口座への紐付を義務化する方向で検討に入っており、不動産登記もマイナンバーで管理することが検討されている。
預金税が最初に導入されたのは、古代ギリシャまで遡る。
古代ギリシャでは、為政者の懐が苦しくなる度に1%から4%程度の預金税(資産税)が徴収された。
古代ギリシャ人は、預金税を払うことは「金持ちの証」だとして、喜んで預金税を納めたという。
日本橋にある日本銀行の貨幣博物館には、戸で医から原題にかけての様々な貨幣・紙幣が展示されている。
その中でもギネスブックにも登録されている世界最高額の紙幣として、1946年に発行された「10垓ハンガリー紙幣」がある。
垓という単位は、兆、京の上の単位で、10垓を数字で書くと0が21個も並ぶ。
1946年のハンバリーのインフレ率は96000垓%に達し、わずか1946年前半の半年の間に起こった。
当時の物価上昇の凄まじさの例として郵便料金の記録が残っている。
1945年5月1日に1ペンゲーだった郵便料金は、7月1日には3ペンゲー、翌1946年1月には600ペンゲー、3月に2万ペンゲー、5月に200万ペンゲー、7月には40兆ペンゲーになったという。
当時、1日で物価が2倍になる状況でも紙幣は流通しており、現金を手に入れた人は直ぐに使ったという。
過去に起きた国家債務危機について、1800年以降を中心とする膨大な長期データを収集し分析した大著『国家は破綻する』の中で、高インフレが続いた国では取引手段、価値の表示手段、価値の保存手段として、「ドル化」現象が起きると指摘されている。
「ドル化」は経済危機時における国際常識のようである。

第一次大戦後のドイツのハイパーインフレは有名だが、2009年1月のジンバブエのインフレは年率6.5×10の108乗であると報じられた。
これは、24.7時間こどに物価が2倍になっていくインフレ率である。
毎日、物価が2倍になっていき、1ヶ月後には10億倍ほ超えることになる。
2008年初頭に「1000万ジンバブエドル」紙幣が発行され、最悪期には物価が1ヶ月で10億倍、お金の価値が1ヶ月で10億分の1になってしまった。
2008年5月5日には「2億5000万ジンバブエドル」、10日後の5月15日には「5億ジンバブエドルけ紙幣が発行され、最終的に2009年1月には「100兆ジンバブエドル」が発行された。
公共政策が専門で国土審議委員会委員を務める根本祐二教授によると、今後の日本では今あるインフラを単純に更新するだけでも、毎年8.1兆円の投資を50年間続ける必要があるという。
しかし、2014年度予算では一般会計・特別会計合わせても、公共事業関係費は7.1兆円しかなく、高度成長期に造りまくった日本のインフラは、今後は朽ち果てていしかない。
世界で最初の本格的な紙幣は、10世紀の中国北宋時代に作られた「交子」と言われている。
内陸の四川で発行されたこの世界発の紙幣も、乱伐による悪性インフレを発生させている。
当時、中国で広く流通していたのは銅銭だったが、銅の産出が少ない四川では鉄銭を使用しており、高額の取引に向かなかった。
そこで商人から鉄銭を預かり、引換券として紙幣を発行したのである。
北宋政府は、商人からこの権利を取り上げ、紙幣「交子」を発行するようになったが、戦争や公共事業、宮廷の浪費にお金が必要となり、それを補うために政府が保有する銅銭の準備金の上限を超えて紙幣を乱発するようになり、インフレが起こった。
北宋の「交子」、南宋の「会子」、元の「交鈔」など全て同じ経緯で紙屑となり、インフレ→農民暴動→王朝崩壊という経過をたどるのである。
社会保障費と社会保険料収入の推移を見ると、2014年度現在では、社会保障給付費は107兆円に対して、社会保険料収入は64.1兆円となっており、その差額を国庫負担31.1兆円、地方税等負担11.9兆円、その他資産収入で補っている。
ちなみに2013年度までは「国庫負担」だはなく「国税負担」という表現となっていたが、税収ではなく国債で賄っていることから「借金負担」とは書けず「国庫負担」と改められた。
消費税収は1%につき2.5兆円の税収増になるので、国と地方の負担額43兆円を消費税で全て賄うとすると、現時点では17%必要となる。
しかし、社会保障給付費は今後も加速度的に増大し、厚生労働省は2025年度の社会保障給付を105兆円と推計している。
一方で、60兆円で頭打ちとなっている社会保険料は、労働人口が減り、今後も大幅に増やせないため、90兆円分を消費税で賄う必要が出てくる。
90兆円を2.5兆円で割ると、消費税は36%であり、消費税率は30%台になるのは必然である。
財政の専門家の多くが、この状況について指摘しており、『日本破綻を防ぐ2つのプラン』では、2050年の消費税率を31%と推計している。
また社会保障が専門の鈴木亘教授も、「このまま社会保障制度を抜本的に変えずに、消費税で国費分を賄ってゆくといれは、消費税は30%台になることは、ほぼ確実である」と指摘している。

民主党政権下の2011年6月1日に、当時、野党となっていた自民党が責任ある政治を標榜し、悪化し続ける我が国の財政に対する危機感から、財政悪化に対しての政策対応についてまとめた報告書「X-day プロジェクト報告書」というのがある。
X-dayとは国債暴落の日を意味する。
この報告書では、社会保障関係費の膨張が財政悪化の根本原因とされている。

終戦後、日本政府は内国債のデフォルトを回避した一方で、「戦時補償特別税」という別の形で借金の踏み倒しをしている。
終戦時、日本政府は1000億円を超える戦時補償債務を抱えていた。
戦時補償債務とは、太平洋戦争中に政府が国内企業に対して、約束した債務で軍需品の未払い代金、建設工事の高時代、撃沈された船舶の補償などである。
当初、政府は戦時補償債務については、財産税を財源として返済する方針であったというが、連合国は戦争に加担した日本企業にも制裁が加えられるべきと、日本政府は連合国の要求を受け入れた。
形式上、戦時補償債務は全額支払う代わりに、国内企業の戦時国債補償請求権に対して100%課税されることになった。
表面上は、国民の財産権は侵害せず、国家の徴税権を行使し、債務をチャラにしたのである。
1946年10月に「戦時補償特別措置法」が公布され、戦時補償債務に対して戦時補償特別税が課税され、債務は100%踏み倒された。
1946年の財産税に関する論文「財閥解体・財産税と財閥家族資産の縮小」(鈴木邦夫)によると、純資産が10万円を超える世帯数は47万6489世帯であり、その純資産合計は1219億円だった。
1947年の日本の世帯数は1587万811世帯だったので、10万円超の世帯は全体の3%にすぎず、残る97%は非課税世帯だった。
仮に非課税世帯の平均純資産を過大に見積もって5万円とすると、これに対する財閥家族48世帯の平均純資産額の倍率は、課税前(1541万円)の308倍から課税後(237万円)の47倍へと、一ケタ少ない倍率となり、一般庶民との格差は大幅に縮小した。
1946年11月11日に財産税法が成立し、臨時財産調査令に基づき財産税額が決定され、10万円超の資産を保有している者が課税の対象となった。
課税の税率は、超累進課税で、最低の25%から14段階で設定され最高税率は1500万円を超える金額に対して90%でった。
当時の10万円は現在の4000万円、当時の1500万円は現在の60億円に相当する。
この90%の最高税率を適用された者は100人ほどいたという。
当時の大蔵省の発表によると、税額の第一位は住友財閥の住友吉左衛門とその家族で、課税価格が1億2000万円で財産税の税額が1億661万円と、資産が10分の1に激減し、残った資産は1300万円程度だった。
他に、税額の上位には三井高公、岩崎久弥などの財閥の当主がなを連ねた。
皇室は財産税課税の基準となる1946年3月3日時点で37億円(現在の価値で1兆5000億円)の資産を保有していた。
皇室財産はそれまでは、課税対象ではなかったが、GHQの指導により財産税の課税対象とされ、税額は33億円を超え、残った資産は4億円と現在の価値で1600億円に過ぎなかった。
そして、日本国憲法の発効と共に、わずかに残った皇室財産も黒曜かされ、皇室費用は国の予算に計上され、国会の決議を経なければならなくなった。
預金封鎖と新円切換と同時に、「臨時財産調査令」が公布され、旧円の使用期限の翌日、1946年3月3日時点の国民が保有する財産を申告させるというもので、財産税算定の基礎となる財産調査だった。
3月3日から4月2日までの一カ月間に、税務署または金融機関に「臨時財産申告書」を提出することが義務付けられ、日経新聞にはこの申告書の用紙が付いていたという。
50円以下り預貯金や有価証券、保険金額が1000円以下の生命保険は清国不要とれたが、当時の公務員の初任給から現在の価値に直すと、申告が免除されたのは預貯金や有価証券は2万円程度、生命保険は40万円程度までであり、殆どの資産が申告対象となった。
調査対象となった財産は、換金処分ができないように、臨時財産申告時に封さされ、証券などには申告済証紙が貼付され、臨時財産調査に応じなかった金融資産についてはその効力を失うという措置がされた。
預金封鎖、新円切換、臨時財産調査令により、国民の財産は政府に把握、凍結され、こうして財産税課税の準備が整えられたのである。
国民に財産税をかけるには、対象となる国民の財産を正確に把握する必要がある。
そのために1946年に日本政府が行ったのが、「預金封鎖」と「新円切換」でった。
1946年2月16日に、日本政府は総合インフレ対策として「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」を発表し、2月17日以降、全金融機関の預貯金を封鎖することが決定した。
預金流出を防ぐために極秘裏に準備が進められ、2月16日に国民に知らされた後、わずか1日で預金は封鎖された。
引き出しが許された金額は、月額で世帯主が300円、世帯員1人につき100円に過ぎなかった。
当時の公務員の初任給が500円程度だったので、現在の20万円程度と考えられる。
そして、新円切換と共に旧円は無効となり、旧円の使用期限は3月2日までとされ、預金封鎖から僅か2週間で手元の紙幣が無効となったのである。
この新円切換はの実施時期が、当初想定より半年繰り上げられた為、新円の印刷が間に合わず、証書ほ旧円に張り付けることで新円とみなす事となった。
この証書の貼り付けは、日銀や各地の金融機関で手作業で行われた。
この証紙そのものが闇市で出回ったという。
硬貨や小額紙幣は切換対象外だったので、小銭を集めるため、国民の多くが駅で少額切符を買っておつりを貰うため、駅に長い行列ができた。
急速なインフレの進行に伴い、終戦時に296億円あった日銀券の発行残高は1946年2月には618億円へと膨張し、わずか半年で倍増するという異常な状況だった。
しかし預金封鎖と新円切換により、1946年3月には154億円へと1ヶ月で4分の1に激減したのである。
それでもインフレは収まらず、日本政府はインフレを抑制するために貯蓄を奨励し、宝くじを発売することで、国民の浮動資金の吸収に努めたが、国民が引き出した新円は金融機関に還流することはなかった。
預金封鎖という国民に対する裏切り行為を行った日本政府を信用する者は誰もいなかったのである。
預金封鎖直後、1946年3月に154億円まで減少した日銀券の発行高は、1947年1月には1000億円を突破し、結局、預金封鎖、新円切換という一連の措置はインフレ抑制という表向きの効果を上げることはできなかった。
1846年の物価上昇率は514%、1947年は169%、1948年は193%とインフレの激しさは凄まじく、預金封鎖が解除された1948年7月には、預金の価値は17分の1になり、国民の財産は大幅に減ったのである。
政府は100年に一度はデフォルトを起こさなければならない
by アベー・テレ (18世紀のフランス財務大臣)
戦前から戦中にかけて、日本は日中戦争から太平洋戦争へと歴史上初めての総力戦ほ断行し、凄まじい規模の借金をした。
終戦前年の1944年にはGDP比で204%という規模に達していたが、終戦時1945年の債務残高の記録は残っていない。
記録としてあるのは、終戦から半年後の1946年2月16日に、突然、日本政府が預金封鎖を断行し、戦時国債のデフォルトと新円切換、そして最高税率90%の財産税によって、政府の借金と国民の財産を相殺し、1946年には政府の借金はGDP比で60%に急減している。
その後も日本政府は借金を減らし続け、1964年の東京オリンピックの頃には、借金は限りなくゼロに近づいている。

2016年1月26日火曜日

現在の日本の高校教育では、世界史は必須だが、日本史は必須ではない。
そこで学習指導要領を変えて、日本史と世界史を併せて「歴史総合」という一つの教科として教えることが検討されているという。
しかし、この場合、世界史が国史に吸収される方向に行く危険性がある。
旧ソ連時代の歴史教育では、「ソ連史」しかなく、「世界史は最終的にソ連史に包摂される」という考えに基づく歴史観だった。
サウジアラビアの歴史教科書も、ソ連の教科書と似た作りになっていて、殆どがイスラムの歴史で、世界にはイスラムしかないという内容になっている。
近代の日本史の歴史の枠組は、「国史」「東洋史」「西洋史」で、これは『今昔物語』の天竺、震旦、本朝という分類を元にしている。
天竺の代わりが西洋史、震旦の代わりが東洋史、本朝が日本史で、三朝史観である。
文字の表記法は国家にとって非常に重要な問題となる。
中国共産党が画数の少ない簡体字にしたのかというと、表向きは識字率を高めるためだが、その本質は国民から以前の知識を遠ざけるためだった。
簡体字教育が普及すると、それ以前に使われていた繁体字が読めなくなり、共産党支配以降に認められた言説だけが流通するようになり、歴史を断絶させ、情報統制を行ったのである。
ロシア革命の後でも、ソ連はロシア語の表記を少し変えて、文字を4つ消してしまった。
ロシア革命前の宗教書や反共的な文書は図書館に収められているが、特殊な訓練を受けた人しかよめなくなっている。
ナチスドイツがひげ文字のアルファベットではなく、英語と同じ読みやすいアルファベットを採用したのも同様である。
戦後日本もGHQが招聘した教育使節団の勧告によって、漢字廃止、ローマ字表記にされてしまう可能性があった。
少し前まで一般的に使われる漢字を「当用漢字」と言っていたが、これはローマ字表記を採用するまで、当座の間だけ使ってよい漢字、という意味である。
それが「常用漢字」になったのは1981年のことである。
近代教育の始まりを考えると、「帝国」の存在と密接に関わってくる。
例えば大英帝国は、植民地経営のための優秀な官僚を育成するつめに、現地に高等教育機関を設立した。
バクダッド大学やハルツーム大学は、そのようにして設立されたものである。
これに対して、フランスでは現地の優秀な人材をフランス本国に呼び寄せて、本国の大学で教育をした。
この結果、今日においてイギリスに統治された国には大学があり、フランスに統治された国には、優秀な人材はいても良い大学はない。
ちなみに植民地統治に関して、最も酷かったのはポルトガルで、人材育成もインフラ整備も何もやっていない。
日本もイギリスに見習い、台湾に台北帝国大学、ソウルに京城帝国大学を作り、上海には東亜同文書院、満州には満州帝国大学、ハルビン学院を設立した。
しかし、沖縄に対してはフランス式を採用し、高等教育機関を作らなかった。大学だけでなく、高校さえも作らなかった。
師範学校を専門学校に昇格させているが戦争末期のことである。
これに対して、アメリカは沖縄統治に当たって教育を重視し、戦後すぐに英語学校を設置し、ミシガン州立大学から顧問団を招聘し、琉球大学を創設する。
沖縄のエリート層がアメリカに対して好意的なのは、日本が高等教育機関を作らなかったのに対して、アメリカは占領初期から沖縄のエリート養成を考えたことが大きい。
優秀な沖縄の学生をミシガン大学に留学させ、沖縄のエリートを育てたのである。大田昌秀元知事はアメリカ留学世代である。
現在は地場エリートは、沖縄県内の大学で再生産されていく構造になっており、沖縄県庁職員の半数は琉球大学出身で、県内の大学出身者を含めると、かなりの割合に達する。
イスラム国などのイスラム過激派は、「神の主権」を主張している。
間違いを犯す存在である人間が法律を作るなど、とんでもない間違いであり、民主主義はダメで、神様が主権者であり神は間違えない、という考えに基づいて「シャリーア」(イスラム法)を絶対視する。
だから「人権」の反意語は「独裁」ではなく、彼らにとっては「神権」になるのである。
キリスト教とイスラム教の大きな違いは「原罪観の有無」にあり、イスラムは原罪意識の無い楽観的人間観で、神が命じれば聖戦の名の下に、いかなる暴力も許されてしまう。
ウェストファリア条約をきっかけとして「人権」という概念ができたが、イスラム原理主義は、世界の歴史をウェストファリア条約以前の世界に戻そうとしていると考えられる。
第二次大戦末期に、アメリカの原爆開発は、まずウラン型が1個でき、プルトニウム型の原爆が2個できた。
プルトニウム型は量産体制に入っていたが、ウランの濃縮は時間がかかるため1個しかできていなかった。
ウラン型は構造が単純で間違いなく爆発するので、実験の必要はなく、温存しておくこととなった。
一方で、プルトニウム型は、誤差なく中心部に爆縮しないと上手く爆発しなてので、こちらは実験することになった。
当時、軍幹部は実験は不要で早く日本に投下するよう主張したが、開発者のオッペンハイマー博士が実験は必要だとして、1945年7月16日午前5時にニューメキシコのホワイトサンズという米陸軍の射撃場で実験を行った。
秘密裡に実験を行ったが。想定以上の大きな爆発だったため、200キロ離れた所でも爆音が聞こえ、窓ガラスが割れ大騒ぎとなり、付近の住民は被爆したという。
2015年は、核という人類史最大のパンドラの箱を開けてしまった年と言える。
きっかけは、英米独仏露中の六カ国とイランとの間で結ばれたイラン各問題に関する合意で、今後、世界中に核が拡散する恐れがある。
一般に、この合意は、1979年のイラン革命以来、続いてきたアメリカとイランの対立に終止符を打つもので、中東や世界に平和をもたらすものとして、ポジティブに評価されている。
しかし、この合意には「イランが核爆弾1個分の核物質を獲得するまでの期間が1年以上かかるようにする」という条項があるが、言い換えれば、将来、イランが核を持てる事を認めているのである。
この合意が成立した直後に、イエメンで内戦が激化し、シーア派勢力が活発化しており、イランが事実上の核カードを使い始めたことを意味する。
数年以内にイランの核保有をきっかけに、核拡散が起こる。
大きな動きとしては、サウジアラビアとパキスタンとの秘密協定の存在で、同じイスラム教スンニ派のパキスタンが核兵器を持つのは意義がある事として、サウジアラビアが開発費を支援し、イランが核兵器を持ったら速やかにパキスタンの核弾頭の一部をサウジアラビア領内に移すというものである。
この秘密協定が実行されると、カタール、オマーン、アラブ首長国連邦などもパキスタンから核を買い、エジプトとヨルダンは自力開発することになる。
『コーラン』にも『ハディース』にも核兵器を使ってはいけないとは書かれていない。
また、この中東の核拡散は極東にも影響し、北朝鮮の核に対抗して、韓国が核保有国を目指すことになる。
ドローンの技術進化により、兵器の体系も全く変わっていくことになる。
中国がいくら空母を建造しても、強力なドローンを開発してしまえば、空母など沈められてしまう。
日本帝国海軍の大艦巨砲主義と同じで、日本も航空機の時代になって空からの攻撃に耐えられない事を知りながら、大和や武蔵を建造してしまった。
中国が軍事的なエネルギーを空費する事自体は、日本にとって有利なことであるが、注意が必要なのは、せっかく空母を造ってしまったんだから使わざるを得ないという、不合理な合理主義が中国で作動してしまう危険性がある事である。
大和、武蔵を造ってしまった判断のゆがみと、勝てる見込みのない対米英戦を始めてしまうことは、どこかでつながっている。
「石油が無ければ戦えない、だから戦争をする」というのは、当人達にとっては合理的な判断なのである。
戦争の経済学からすると、敵を殺さない方がむしろ効率的となる。
だから非殺傷兵器の研究は進んでいる。
例えば、対人地雷は基本的に殺す目的ではなく、敵兵士の足が吹き飛んで苦しむような状態にさせ、周りの兵士が二人がかりで助け、合計三人を宣戦から離脱させる事を目的にしているので、わざと威力を弱く調整している。
旧日本軍がずっと三八式歩兵銃を使用し続けたのも、同じ理由である。
日露戦争に使用した旧式銃を第二次大戦でも、なぜ使用したのかという批判はあるが、物量が足りなかったという理由でけではなく、殺傷能力が弱いので、米軍に負傷者がたくさん出たからである。
世界史を振り返ると、戦争や兵器が歴史を変えて来たことが分かる。
フランス革命を通じて出て来たナポレオン率いるフランス国民軍は、圧倒的な強さを誇った。
それ以前の戦争は傭兵による軍隊だったので、身の危険を感じると逃亡する兵士が続出したと言われている。
しかし、ナショナリズムに突き動かされた国民の軍隊は、死を恐れないので強い。
しかし、現代では先進国では人命の価値が非常に高くなってしまい、戦争を避ける傾向がある。
ところが、イスラム原理主義を信奉する武装組織は、「聖戦」という概念を使うことで、人命のコストを下げることに成功してしまった。
戦死しても、殉教して天国に行けるので、死を恐れずに戦い続ける事が可能になっている。

2016年1月24日日曜日

国際連合には、今だに敵国条項が残っていて、第二次大戦の戦勝国と敗戦国という枠組みは、日本人が意識している以上に強固なものがある。
ドイツと日本が国連の常任理事国になれないのも、このためである。
敵国条項というのは、国連で、どこかの国が侵略を受けた時に個別的自衛権で戦うのは良いが、安全保障理事会に提訴が必要で、それなくして勝手に戦争をしてはいけないと決まっている。
ただし、相手が第二次大戦中の敵国だったら、安保理に関係なく攻撃しても良いというものである。
つまり仕組み的には、中国は日本に対して、安保理に提訴しないで攻撃が可能なのである。
1950年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約も「日本とその同盟国」を仮装敵国としていた。
第一次大戦後の国際連盟には、敵国条項はなかった。
国際連合は、第二次大戦中の枢軸国に対する連合国(ユナイテッド・ネーションズ)が、そのまま国際機関になった、戦勝国クラブなのである。
英語の「ユナイテッド・ネーションズ」を「国際連合」と訳したのは、当時の外務官僚が苦労して編み出した意訳で、意図的誤訳である。
中国では「連合国」と呼んでおり、日本も戦中は「連合国」と呼んでいたのにも戦後に外務省が「国際連合」と呼び方を変えたのである。
アメリカ南部の共和党が強い州には、アメリカの外に出たこともないような人が多い。
連邦議会の共和党議員の半数以上がパスポートを持っていない。
例えば、2008年の大統領選挙で共和党の副大統領だったセイラ・ペイリンは、アラスカ州知事になるまでパスポートを持っていなかったる
アラスカ州の州兵がイラクに派遣されて、その激励に行かねばならなくなり、その時に初めてパスポートを取得したのである。
このため副大統領候補になった時に、あまりにも国際感覚がないので特訓をしてら、「アフリカ大陸は1つの国だ」と思っていたのが、バレてしまったという。
アメリカには、南部連合へのノスタルジーが残っている。
南部諸州には、公共施設にアメリカ合衆国の国旗と州の旗と共に、南軍旗を掲揚する州が今だに存在する。
第二次大戦は、ナチズムというドイツの暴走をソ連とアメリカの物量によって抑え込んだとい戦争だった。
エリック・ホブズボームは、著書『20世紀の歴史』の中て、20世紀は1914年の第一次大戦開戦が始まりで、1991年のソ連崩壊が終焉となり、これを「短い20世紀」と呼び、「ドイツの世紀」だとしている。
ドイツという新興の帝国主義国をいかに封じ込めるか、ということに世界は必死になり、その過程でソ連という国家も出て来た。
第一次大戦と第二次大戦は、ひとつながりの「20世紀の31年戦争」とみなすべきで、2つともドイツをめぐる戦争で、結果的にはドイツを封じ込めることはできずに終わった。
現在のドイツを見ると、EUとユーロによって、欧州の覇権を実現させてしまっている。

アメリカの首脳が日本に来るときには、迎賓館には宿泊せずに、必ずアメリカ大使館の隣のホテルオークラに宿泊する。
迎賓館に泊まると盗聴される恐れがあると警戒しており、ホテルオークラには、通信設備を持ち込んで妨害電波を出したりしていると言われている。
ドイツのメルケル首相の出自は謎に包まれているが、その謎を解くには父親を知る必要がある。
メルケルは西戸竟のハンブルク生まれで、父親はルター派の牧師だった。
ベルリンの壁ができた後も、しばらくはルター派もカルヴァン派も、教会人事は東西共通だったので、牧師は自由に東西の移動ができた。
ところが1960年代末に、東ドイツが教会を分裂させて独自の教会を作り、西ドイツから東ドイツに赴任していた牧師たちは、東ドイツに留まるか西ドイツに帰国するか選択を迫られた。
大多数が西ドイツに帰国したにもかかわらず、メルケルの父親は東ドイツに残った数少ない牧師のうちの1人だった。
東ドイツには、自由ドイツ青年団という社会主義統一党の青年組織があり、通常は牧師の子供は入らないが、メルケルは入り、メシア語も上手い。
東ドイツの価値観が身についているメルケルは、東西ドイツ統一後に、あえて反共的なキリスト民主同盟に入党したのではないかとアメリカは疑っているという。
だからこそ、CIAがメルケルの電話を盗聴していたのである。
理由なく盗聴などすることはないので、何らかの疑念が持たれていることは間違いない。
単にドイツの首相だからというのではなく、メルケル個人の来歴に疑念を抱いているのである。
第二次大戦のスターリングラード攻防戦で敗北したドイツ第6軍のフリード・バウルス司令官は、上級大将だったが、ソ連軍に包囲され、「降伏を許してくれ」という電報をヒトラーに打った。
すると、ヒトラーは降伏を認めず、元帥に昇給させられてしまった。
ドイツの元帥は降伏しないという事になっていたからである。
「罰として格下げ」ではなく、「罰として格上げ」という、高度な人事がされたのである。
しかし、彼は降伏し、ソ連の捕虜となり、戦後にドイツに帰れるようになった時に、旧ナチス党が残っている東ドイツを選択した。
こういう土壌があるから、ネオナチが東ドイツから出てくるのである。
ドイツを理解する為には、旧西ドイツではなく、ドイツを純粋に体現していた旧東ドイツを理解する事が重要となる。
東ドイツは、社会主義統一党の独裁ではなく、実は複数政党制で、キリスト教民主同盟、国民民主党という名称のナチス党も存在していた。
社会主義の建前からすると、仮にナチス党であっても独占資資本主義を打倒すれば問題解決の助けになるという理屈だった。
意外と知られていないのは、実はソ連は最後のギリギリまで、ドイツに対して無条件降伏を要求しなかったことである。
無条件降伏だと、国民全体を敵として幸福させることになるが、ナチスドイツは指導部だけが悪いのであって、ドイツ人民は味方であって、指導部を変えるだけ、という形を取ろうとした。
そして、「自由ドイツ政府」というのをでっち上げて、ベルリン解放に入っていったのである。
旧西ドイツでは、共産党は非合法で、社民党や青年社会主義同盟も反共的だっだが、統一後のドイツは、旧東ドイツの社会主義統一党の流れを汲む左翼党がドイツ議会の第三党となっている。
イスラエルという国は、周囲のアラブの国に比べてると相当しっかりしているが、イスラエルに住んでいるユダヤ人全員がしっかりしているという訳ではない。
建国初期にドイツ系のユダヤ人が移民してきて、国の基礎を築いたからという説が、正しいと言われている。
逆に、戦後のドイツは、それまでにあった国の重要な要素を半分失ってしまった。
元々の土着のドイツ人の知識人と、ユダヤ人の知識人によって作られた国だったのが、戦後はユダヤ系の優秀な人材を失ってしまったのである。
ドイツでは日中のテレビ放送が始まったのは、この10年くらいのことである。
昼間はみんな働いていて、テレビを見る人がいない、という事で放送自体がなかったという。
ギリシャを「ヨーロッパ」と考えるのは間違いで、現在のギリシャは19世紀に恣意的に作られた国家なのである。
19世紀から20世紀の諸島にかけて、ロシア帝国と大英帝国が中央アジアの覇権をめぐって対立するグレートゲームの中で、オスマン帝国を如何に解体していくかという話の中で、ギリシャが作られたのである。
当時、ロシア領の黒海沿岸にすんでいたギリシャ人で、一方、オスマン帝国の現在のギリシャに相当する領域に住んでいた人々は、帝国内のキリスト教のミレット(共同体)に入っていたので、ギリシャ人というよりも「オスマン帝国のギリシャ正教徒」という意識を持っていた。
1829年に古代ギリシャの滅亡以来、1900年ぶりにギリシャは独立を果たすが、国民はDNA的にはトルコ人と変わらない。
アナトリアにいた正教徒をギリシャに移し、ギリシャにいちムスリムをアナトリアに移すという住民移動を行って、人造国家を設立し、王もドイツのバイエルンの王子を連れて来た。
言語も、古代ギリシャ語とは全く異なり、ソクラテスやプラトン、アリストテレスとも関係はない。
アベノミクスに伴う円安は、韓国から見れば「為替ダンピング」である。
しかし、基軸通貨に高い影響力のある通貨でないと為替ダンピングはできないので、韓国ウォンでは不可能である。
為替ダンピングを行う能力のある国は、アメリカ、EU、イギリス、日本だけである。
琉球は、明との間に朝貢関係があり、明の使節が那覇の久米村に住み、外交活動や貿易を行っていた。
明が滅んで清になると、清の使節は琉球に移住していない。
清は明と違い、高級官僚を帝国周辺まで派遣するだけの余裕がなかったと思われる。
その後、明の遺臣がそのまま琉球に残って、久米村で独自のアイデンティティを形成していくことになった。
前知事の仲井眞弘多氏は、明の遺臣の血筋である。
中国が海洋大国を目指す根拠にしているのは、明時代の鄭和の大航海である。
鄭和がメッカまで巡礼した際に開いた航路だからという「明の栄光」の歴史を根拠にしている。
鄭和は雲南のイスラム教徒だったが、明に捕らえられ、宦官にされてしまったが、永楽帝に重用されて大艦隊を率いることになる。
宦官にされたということは、裏を返すと、信頼されていたという事である。
能力の高い人間を使うには、宦官にするか独身制を導入するが合理的だった。
そうしないと、財力や権力の世襲が生じてしまうからである。
例えば、ローマ教会は、宦官の代わりに独身制を採用し、外に子供を作っても独身が建前だから、後継ぎとして認められなかった。
沖ノ鳥島は、東京から南に1740キロ離れた孤島である。サンゴ礁に囲まれた岩場だったが、波による浸食が進み、現在は高潮時に海面に顔を出すのは、北小島と東小島の2つだけとなっている。
更に浸食が進んでしまい2つの小島が満潮時に水面下に沈むと、「島」として認められず、単なる「岩」となってしまう。
「岩」は領海の基点にはなるが、排他的経済水域の基点にはないので、40万平方キロの経済水域が消滅してしまう。
領海の幅を測定するための基線は干潮時だから、ここは周囲11キロの立派な「島」として国連から認定されている。
周りをチタン製ネットと波消しブロックと、コンクリート製の護岸で覆って保護し、波にさらわれないようにしている。
日本政府は、2010年に「特定離島整備法」を制定して港湾整備を始め、総額1500億円をかけて国策工事が行われている。
モンゴルとチベットは、19世紀には共に大清帝国の一部だったが、一方はソ連の支援を受け、モンゴル人民共和国として独立し。もう一方は英国の影響かにありながら中国内部に留められ、今ではこの2つを関連づけて論じられることは殆どない。
ところが、実はモンゴルはチベット仏教の国で、13世紀にモンゴル帝国を築いた時に、タペット仏教に帰依している。
「ダライ・ラマ」という称号は、元をたどればモンゴル語で、16世紀のモンゴル諸部族の指導者からチベットに贈られたものである
伝統的なアラブの考え方では、カリフになれるのはアラブ人の「クライシュ族」というムハンマドの一族だけである。
カリフいう称号は、もともと「預言者ムハンマドを代理する者」という意味である。
カリフ制度は、90年前までオスマン帝国に残っていたが、近代トルコの父であるアタチュルクが廃止して以来90年間、イスラム世界にカリフ制度は存在しなかった。
イスラム国の指導者、バグダディは自分の姓にクライシュ族の血を引くことを示す「クライシ」を入れて、自分にはカリフを名乗る正当性があると主張し、2014年6月29日にカリフ宣言をして、アラブ世界に衝撃を与えた。

2016年1月23日土曜日

アラブは石油が見つかる以前は眠ったような状態だった。
日本の御木本幸吉が養殖真珠を発明したことによって、現在のアラブ首長国連邦の辺りの真珠採取業は壊滅状態となった。
仕方ないので彼らは海賊業を始めて、「海賊海岸」と呼ばれていたのを、イギリスが押さえつけていたのである。
ところが、1938年にサウジアラビアで石油が見つかって以来、あっという間に裕福になり、石油がアラブの地位を押し上げ、中東はアラブ知友晋に動いていく事になった。

2016年1月20日水曜日

経済のグローバル化に伴う税のフラット化によって、所得税、法人税の累進性が削がれた結果、高齢化社会に向けての社会保障の充実は、消費税、相続税などに依存する比重が大きくなっている。
しかもその負担増を受け止めるべき富裕層と多国籍企業は、国内での課税を巧みに逃れている。
この結果、そのような手段を取れない勤労庶民と国内中小企業だけが、社会保障の負担を強いられることになり、消費税増税などによって、この傾向は今後増々拡大していくことになる。
米国の場合、市民権を持つ永住者は、たとえ海外に移住しても、その後10年間は米国人としての納税義務が継続する。
米国永住権を放棄しても10年間に30日以上、米国に滞在したり、一定条件のもとで永住権放棄自体が租税回避とみなされた場合は、居住者同様の納税義務が発生する。
スペイン、イタリアではタックス・ヘイブンへ出国する場合にのみ、居住者並みの納税義務が課されている。
大企業の株式保有者の多くは富裕層であり、法人税の減税は企業の内部留保を通じて、富裕層の金融所得と金融資産の増大に貢献することとなる。
しかも金融所得は総合課税ではなく、分離課税であり、所得税の累進課税の枠組みから外れており、金融所得が多い富裕層にとって有利な税率となっている。
2013年12月末時点から提出義務付けられた国外財産調書は、日本国内に居住し海外に5000万円以上の資産を有する個人が対象である。
報告対象となる資産には、動産不動産を始め特許権や漁業権などの法的権利、銀行、保険、信託などの金融取引、株や債券など有価証券など、あらゆる資産が含まれている。
しかし、外国の金融機関経由で日本株式を購入すると、報告の対象にはならない。
また、あくまでも個人が対象とされているので、法人を利用して個人資産を移転してしまえば、提出義務を回避できてしまう。
2014年8月に国税庁は、国外財産調書の提出数を公表したが、その数は5539人で保有する国外財産の総額は2兆5142億円だった。
米国では海外に1万ドル以上の資産がある納税者はIRS(米国内国歳入庁)への報告が義務付けられている。
韓国では2010年に海外金融口座制度が導入され、2011年6月から申告が開始され、10億ウォン以上の金融口座が対象となっている。
2013年の世界の富裕層の分布(The global weaith pyramid)
保有資産額       人口    人口比率  富の占有率
100万ドル以上    3200万人    0.7%    41.0%
10万から100万ドル  3億6100万人   7.7%    42.3%
1万ドルから10万ドル 10億6600万人  22.9%   13.7%
1万ドル以下      32億700万人   68.7%    3.0%
さらにトップ0.7%の超富裕層3200万人の国別分布
アメリカ  1321.6万人  42%
その他   - 12%
日本    266.5万人   8%
フランス  221.1万人   7%
ドイツ   173.5万人   5%
英国    152.9万人   5%
イタリア  -       5%
中国    112.3万人   4%
豪州    112.3万人   4%
カナダ    93.3万人   3%
スイス    61.0万人   2%
スウェーデン -      2%
スペイン   -      1%
台湾     30.9万人   1%
グローバル・タックスとは全世界を対象とする課税であり、その実施には徴税主体となる超国家的機関が必要となる。
グローバル・タックスの先行事例としては、航空券連帯税があり、世界に先駆けて2006年にフランスが導入し、現在9カ国で導入されている。
税の徴収は航空会社に対して参加各国で実施され、最終的に世界保健機関(WHO)に集められる。
そして、この税の導入と同時に設立された国際機関のNITAID(ユニットエイド)が、最終的に参加国からWHOに蓄えられた税収の使い道を決定する仕組みである。
ユニットエイドは、「エイズ・結核・マラリアという感染症で苦しむ途上国の人々のため、医薬品・診断技術の価格を下げて、広く供給が行き届くようにする」目的で設立され、既に世界96カ国で成果を上げている。
この税の導入によって、航空券連帯税の課税が世界中で始まっており、フランスおよび韓国を訪れた日本人観光客への課税で年間10億円の税収を上げたと推定されている。
日本は導入国ではないが、日本人が知らない間に航空券連帯税を納税しているのである。
金融取引に対する税の扱いに変化の兆しがある。
グローバルな資本取引のうち、投機的な取引の抑制を目指す「トービン税」が、導入に向けてEUで検討され実施時期が迫っている。
ジェームズ・トービンは、1981年にノーベル賞を受賞し、ケインジアンとして有名なアメリカの経済学者である。
トービンは、1972年に、投機目的での短期的な資本取引を対象に、税を利用して取引を抑制する方法を提唱した。
トービン税の発想は、1929年の大恐慌の引き金となったニューヨーク証券取引所の株課大暴落が、ロンドン証券取引所の暴落に比べて激しかった理由ょ調べていたケインズが、株式売買にかかる取引税の有無がその原因ではないかという点に着目したことに由来する。
当時、英国では有価証券取引に重い取引税が課税されており、この取引税が市場の流動性を低下させる効果を持っていた。
国際的な資本取引に、1%程度のわずかな率の取引税を課すのであれば、実需に基づく資本取引では取引回数が少ないため、殆ど負担にならないが、裁定取引のような価格差を利用して利益を得る投機的な取引においては、取引回数が多くなるので、コスト負担が増えてしまい、短期的な登記取引を抑制する効果が規定できると考えられている。
消費税は国内取引における財またはサービスの移転に注目して課税が行われる。
しかし、Amazonなどの海外事業者から電子書籍を購入すると、国内の自宅のPCで購入しているにもかかわらず、消費税は発生しない。
原因は、消費税法が成立した1988年当時、海外の事業者と国内の消費者が頻繁に直接取引を行うということを、税務当局が想定していなかったからである。
結果、現行の消費税法では、原則通り海外との取引を不課税取引として、消費税の対象とはしなかったのである。
実際に現実的に課税権が及ぶ有効範囲は領土内に限られている。
その為、海外に子会社を設立し、そこにサーバーを設置して、アクセスしてきた日本の消費者にサービスを提供するネット事業者が増えている。
楽天の電子書籍サイトKoboは、カナダ籍の会社をM&Aしたこともあり、カナダの販売子会社扱いとなっていて、サーバーもカナダに設置されている。つまりAmazonと同じ条件で勝負ができるのである。
2013年度の国内電子書籍の市場規模は936億円、前年比28%増となっており、この推移で市場規模を試算すると2018年には2790億円に達する。
これだけの市場規模での課税機会を放置することは、税務当局にとって有り得ない規模になってきている。
日本では、どこの銀行にでも口座を開設することが可能であり、複数の銀行で複数の口座番号が存在する。
その結果、日本国内での個人の銀行預金の口座数は、普通預金で3億300万口座、定期預金で4億7300万口座と、合計で7億8600万口座にのぼる。
さらに、信用金庫に1億3600万口座、ゆうちょ銀行に3億7700万口座がある。
これらを合わせると13億の個人口座が存在している。
先進諸国においては、税と社会保険料は一体徴収して、行政コストを抑える事が主流になりつつある。
これらの国々では、何らかの番号によって個人情報の管理が行われている。
米国は1936年、スウェーデンは1947年、英国は1948年、フランスは1945年、イタリアは1977年、ドイツは2003年に、国民背番号が導入された。
米国では社会保障番号で銀行の個人口座は管理されている。
TJN(Tax Justice Network)は、公表されたGDP推計値と世界銀行の地下経済規模の報告データを使用して、1999年から2007年の9年間にわたる各国の地下経済の推計を行っている。
これには合法的な組成回避も含まれている。
ランキングは、地下経済によって徴収漏れが発生し、その結果失われた税収の多い順となっている。
第1位はアメリカで地下経済規模は1兆254億ドル、喪失した税収は3373億ドルとなっている。
日本は7位で地下経済規模は6000億ドル、失われた税収は1700億ドルと推定されている。
ちなみに、2位のブラジルと4位のロシアの地下経済の規模は、その国の政府支出を上回る規模となっている。
現時点で各国の税務当局に有効な対抗策がない租税回避スキームとして、「ダブル・アイリッシュ・ダッチ・サンドイッチ」という手法がある。
このスキームは、1980年代後半にAppleが初めて行い、現在ではGoogleやFacebookなども採用している。
Googleはこのスキームによって、2011年だけで20億ドルの法人税支払いを逃れている。
2014年4月に、習近平、温家宝などの中国共産党指導者の親族が、英領バージン諸島に、2000年以降だけでも推定で1兆から4兆ドルの資産を蓄財していると報道された。
英領バージン諸島におけるオフショア法人のオーナーや出資者を国籍別でみると、米国籍3713人に対して、香港および中国籍が2万1321人と実に6倍に達しているという。
1930年にスイスのバーゼルに設立された国際決済銀行(BIS)は、第一次世界大戦に敗れたドイツの戦争賠償支払いの為に設立された国際金融機関だったが、その後、ナチスの再軍備に資金協力していたことで有名である。
第二次大戦が始まり、ナチス支配が欧州全体に広がり、ナチスはオランダやベルギーの中央銀行から金塊を掠奪し、スイス中央銀行やBISに持ち込んだ。
国際取引の決済通貨として利用できなくなったライヒスマルクに代わって、スイスフランでの戦争物資の調達が可能になる事を意味した。
BISはイングランド銀行や日本銀行などの第一次大戦の戦勝国である出資銀行へ第二次大戦中も配当を継続しつつ、ナチスドイツにも協力していたのである。
ちなみに、スイスは金融業界だけでなく、産業界も重火器や医薬品などの軍事物資をナチスへ提供し、戦争協力をしている。
1934年に成立したスイス銀行法により、スイスの金融機関は秘密性を国際的な競争優位の源泉とした。
そして前年の1933年にドイツでナチス政権が発足し、富裕なユダヤ人は財産を守るためスイスの銀行へ殺到したが、その多くが収容所へ送られ最後を遂げた。
大戦後に、難を逃れたユダヤ人遺族らが、記憶と遺言を頼りに、預金払い戻しを求めてスイスの銀行と交渉した。
しかし、銀行は銀行法の守秘義務を楯に、その要求に応じなかった。
これに対して、ユダヤ人団体は集団訴訟を提訴し、資産返還活動を行った結果、1998年に和解となり、UBSとクレディ・スイスの2行が12億5000ドルの賠償請求に応じた。
これにより、矯正収容所送りとなった1万6000人のユダヤ人匿名口座の4億9000万ドルが、本人または遺族に返還された。
さらに、銀行に保管されていたナチスがユダヤ人から掠奪した資産2億500万ドルの払い戻しにも応じた。
つまりスイスの銀行は、戦後53年間もナチスの資産を保管し続けていたのである。
訴訟の間、スイス銀行法による銀行員の守秘義務の強化が、亡命ユダヤ人の資産をナチスから守ることに貢献したという、身勝手な宣伝を繰り返していた。
信託の歴史は古く、イングランドやスコットランドの騎士が十字軍としてエルサレムへ出征する際に、母国に残した妻子のために土地の管理運営を信頼の置ける第三者に任せたのが、その始まりだという。
また、イスラム法にも「ワクフ」と呼ばれる、信託のシステムがある。
信託による所有権の分離効果により、信託が何重にも繰り返されると、真の所有者である受益者を外部から特定することを困難にできてしまう。

2016年1月19日火曜日

アメリカのデラウェア州には、2013年の人口91万人に対して、100万社以上の法人が登記されている。
これは米国の株式公開企業の50%以上、また米国大手企業のフォーチュン500の実に64%に及ぶ。
しかし、デラウェア州の法人税率は、全米ベスト10入りするほどの高税率である。
デラウェア州が法人を引き付ける理由は、州の会社法にある。
会社の設立手続きは数日で完了し、費用面で格安で、届け出には会社名と設立年月日、登録代理人だけでよく、会社の帳簿は州内に置く必要がない。
取締役は1人でもよく、法人でも良い。
株主総会、取締役会は州外で開催してもよく、地域的な制限はない。
経営者に対する株主代表訴訟で発生する損害賠償責任は、会社定款で制限することができる。
LLCはパス・スルー税制により法人課税されないので、出資者が米国に居住していない非居住者の場合は、税金は米国内で生じた所得にしか発生しない。
また、デラウェア州に法人を設立し、そこへ商標権や特許権のような無形資産を移転した場合、ロイヤリティや使用料などの利益にデラウェア州は課税しない。この無形資産にはなぜか貸付金も含まれている。
従って、使用料を受け取るデラウェアのLLCは無税である一方で、使用料の支払い側ではその額は経費扱いとされ、課税所得を低く抑える事ができる。
そして、使用料を受け取ったデラウェアのLLCが使用料支払い法人に高利で資金を貸し付けた場合、その貸付で生じる利息収入は、デラウェアのLLCでは無税扱いであり、利息を支払う側では経費となり、納税額を圧縮できる。
このように、デラウェア州では、米国内でも租税回避の起点となるとともに、富裕外国人などの非居住者や外国法人の隠れ蓑として利用可能な制度が用意されている。
オフショアセンターの規模について、いつくかの推計がある。
TJN 11.5兆ドル オフショアの個人資産
IMF 1.7兆ドル オフショア経由のポートフォリオ投資
しかし、個人資産についての他の推計では、8兆ドルとするものもある。
租税回避地として認識されている国と地域の多くが、英国ないし英国王室と何らかの関係がある。
英国王室との関係は、英連邦、英連邦王国、英国王室属領の3つに分類される。
英連邦は、英国本国とかつて植民地であった独立主権国家から構成され、インド、シンガポール、オーストラリア、南アフリカなど53カ国。
英連邦王国は、英国国王を自国の国王に頂く英国連邦加盟国のことで、英連邦王国は英連邦に含まれる。
英国王室属領は、イギリス国王の直轄地で、極めて高度な自治権が認められており、英国の法律は原則で適用されないため、英連邦には属さず、独自の憲法すら制定している。
英国王室属領は、英国政府からの財政的支援は受けておらず、英国政府は王室属領の安全保障上の責任は負うが、そのための防衛・外交に関する経費は王室属領が自ら負担している。
他にも、英国には王国属領と同様に自治権を有する特殊な地域が存在する。
現在ロンドンを管轄する地方自治体「Greater London Authority」の行政機関の下に、行政単位として32の区がある。
しかし、これらとは別に中世のロンドン旧市街にあたる地区を管轄する「City London Corporation」という別の行政機関が存在し、特殊な自治権を有している。
ここは「シティ」と呼ばれ、ロンドンの金融街であり、シティはマグナ・カルタをイングランド国王だった「失地王ジョン」に承諾させて以来、自由と自治の根拠地となって以来、自治都市なのである。
伝統的に英国国王がシティに立ち入るには、事前にロンドン市長ではなくシティのロンドン市長の許可が必要となる。
1950年代には米国の国家税収の3割を占めていた法人税収入は、2009年にはたった6.6%にまで落ち込んでいる。
2011年には、米国の総税収のうち、法人税は9%、所得税は37%となっている。
ちなみに日本の場合は、法人税12%、所得税は18%である。
NPOのCTJ(Citizen of Tax Justice)は、フォーチュン500にランキングされた米国大企業のうち2008年から2012年の5年間に継続して高い収益性を上げた288社を調査した報告書を公表しており、下記の事は判明した。
・この5年間に288社の法人税の実際の負担率は19.4%しかない。
・288社のうち、ボーイング、GEなど26社はこの5年間、全く法人税を支払っていなかった。また96社の実際の負担率は10%以下だった。
・これらの企業のうち海外で利益をあげている企業の3分の2強が、米国本国よりも外国政府へ多くの法人税を支払っていた。
・Appleは米国国内の利益に対して36.5%の法人税を支払っていると主張するが、海外利益に対する税率は3.4%でしかない。
・Googleは、米国国内での利益に47.4%の税率を支払う一方で、海外利益の税率は3.3%に過ぎない。
・Microsoftは、売上の半分以上が米国内からであるにも関わらず、その利益は全体の4分の1に過ぎず、海外利益の税率は8.8%に過ぎない。
法定実効税率はあくまでも表面税率の話であり、企業が実際に負担している税率ではない。
日本の税額は、以下の計算で決定される。
税額=(企業利益-益金不算入-損金算入)×税率-税額控除
益金不算入は、企業が収益として認識するもののうちで、課税を免除されたもので、代表的なのは法人間での受取配当がある。
損金算入は、企業会計では費用として認識しないものを税務上の費用である損金として計上を認めるものである。
税額控除は税額を直接減額することである。
この損金算入と税額控除は、租税特別措置法に基づいている。
2011年度の租税特別措置による減収は1兆9300億円で、うち税額控除が4800億円、特別償却などで5000億円、準備金の損金算入は5800億円だった。
法人税減税は、日本の法人税が世界各国と比較して高い事を前提にした議論である。
法人に課される税には、国税と地方税があり、両方を合わせた全ての税率を法定実効税率という。
法定実効税率を国別に比較すると、
          合計    国税   地方税
米カリフォルニア州 40.75%  31.91%  8.84%
日本        35.64%  23.71%  11.93%
フランス      33.33%  33.33%  -
ドイツ       29.55%  15.83%  13.72%
中国        25.00%  25.00%  - 
韓国        24.20%  22.00%  2.20%
イギリス      24.00%  24.00%  -
シンガポール    17.00%  17.00%  -
つまり国税だけを比べると、日本の税率はそれほど高くないが、日本の法定実効税率が高いのは、地方税が原因なのである。
  

2016年1月18日月曜日

アメリカの税引前の総所得に占める上位納税者の割合を見ると、大恐慌の1928年に最高値を示しており、上位1%の所得占有率は19.6%、上位10%の占有率は46.09%である。
大恐慌直前のアメリカでは、実に全申告所得の46%が、たった上位1割の納税者に集中していたのである。
その後、大恐慌発生による経済低迷により、占有率は徐々に下がっていき、1941年以降は第二次世界大戦に向けて戦争増税が始まり、上位1%が10.54%、上位10%でも31.56%まで占有率を下げている。
そして戦後のケインズ経済学の到来とともに、政府主導による所得再分配政策が始まり、高額納税者の所得占有率は低下し、1973年には上位1%の所得占有率は最低の7.74%、1979年に上位10%で最低の30.51%となった。
1981年に始まったレーガノミクス以降全ての共和党政権で、富裕層への減税措置が実施された結果、1998年には上位1%の占有率は14.58%、上位10%では41.44%まで回復し、大恐慌以前の水準に戻り、格差社会が復活している。
華族、財閥、豪農、戦争成金などの戦前の富裕層をまるごと破滅させた財産税は凄まじく没収的だった。
財産税は、1946年3月3日午前0時現在に所有する資産に対して、「戦時利得の除去及び国家財産の再編成に関する覚書」に基づき、課税が行われた。
課税最低限は10万円で最低税率は25%、1500万円を超えると90%の最高税率という超累進的な税だった。
納税対象は約4万6000人で、当時の全世帯数の3%弱に相当し、課税対象資産の総額は1198億円、課税金額は406億円弱、実行税率の平均は33.9%だったが、1500万円以上の富裕層では88.7%の税負担となった。
ちなみに、2012年の相続税と比較すると、亡くなった被相続人の数は5万2000人、その課税対象資産の総額は10兆7000億円で、納付された相続税額は1兆2445億円で、実効税率は11.6%だった。
2012年の世帯数は5417万世帯だったので、相続税が課税された世帯は僅か0.09%でしかない。
この数字を比較しただけで、懲罰的な税制だったことが理解できる。
高福祉・高負担の国であるスウェーデンの家具製造販売会社で有名なIKEAの創業者イングバル・カンプラードは、1973年から40年間も租税回避目的でスイスに移住していた。
妻の死を契機に本人はスウェーデンへ帰国するが、彼の資産は既に税金対策済であったため、帰国したスウェーデンでの課税は多くないと報道されている。
ちなみに彼は、2010年にフォーブスの世界富豪ランキングで第11位、総資産は230億ドルである。
世界で初めての所得税は1798年にイギリスで導入され、導入理由はナポレオン戦争に向けての戦費調達だった。
1862年に、本部アメリカで所得税と相続税が導入され、これも南北戦争の戦費調達が理由だった。
その後、この連邦政府による所得税は憲法違反とされ廃止となったが、第一次世界大戦への参戦を機に復活し、その後は恒久的な税制として定着した。
最初の近代戦だった南北戦争は長期化し、財政の負担能力が重要となった。
実際に南北戦争ではロンドンの金融市場が南部連合の信用リスクを重視した結果、資金調達が叶わず、南軍の戦争継続が困難となって終結を迎えている。
日本でも明治維新後、税の創設が相次ぎ、所得税は征韓論に連動した海軍拡張論の軍艦建造費の調達のため1887年に導入された。
1905年には相続税が、日露戦争の戦費調達のために導入された。
米南軍連合とは違い、日本政府はロンドン金融市場からの船尾調達の継続に成功し、幸運にも日本海海戦で勝利できた。
このように税と戦争は密接な関係があり、税は時代の要請によって創設されるのである。
プライベート・バンキングのシェアは、スイス27%、イギリスおよび王室属領24%、アメリカおよびカリブ19%、に対してルクセンブルクは6%にすぎない。
しかし、欧州の投資ファンドのうち32%をルクセンブルクは抱えている。
国家間の資本移動に関して、「ルーカス・パラドックス」と呼ばれる近年のグローバル経済に特有の現象がある。
この現象は、資本が豊かな経済先進国から資本が不足している貧困国へ移転するのではなく、経済先進国に資本が留まる現象を指している。
かつてパックス・ブリタニカと呼ばれた英国を頂点とするグローバリゼーションが19世紀から第一次世界大戦勃発まで存在したが、当時は資本が過剰な国からの直接対外投資の25%は貧困国向けだった。
しかし、現在の資本が過剰な国から低開発国向け直接対外投資は5%に過ぎない。
ルーカス・パラドックスが発生する原因で有力なのが、IT技術の出現による経済構造の変化が挙げられる。
世界に展開された事業拠点に、通信ネットワークを張り巡らし、管理コストの重層性を排除でき、世界レベルで事業の効率化が可能となった。
今日、有利な投資案件の多くは経済先進国にあることが多く、資本は経済先進国に留まり続ける。
人口わずか52万人のルクセンブルクの2012年の一人当たりGDPは10万386.37ドルと、世界1位である。
ちなみに1980年は世界5位で、一人当たりGDPは1万7736.86ドルだったので、この32年間で590%という驚異の経済成長を遂げたことになる。
金融立国で最も成功したルクセンブルクのGDPの8割が、金融とその関連サービスで占められている。
国内には153もの金融機関があり、そのうち9割が外国銀行となっている。
ルクセンブルクは、国際金融センターを築いた結果、自国の労働人口31万人に対し、フランスなど周辺国から毎日13万人もの人々が通勤している。

2016年1月17日日曜日

2017年4月から導入される軽減税率の平均的な家計の軽減額は、第一生命経済研究所の試算によると、年間1.3万円程度しかないという。
また、この軽減税率の導入に必要な財源1兆円の確保は先送りしてしまっている。
消費税増税の使徒として、低所得高齢者と障害者への月額5000円の福祉的給付金の支給、医療介護にかかわる自己負担額に家計単位で上限を設ける「総合合算制度」(予算額4000億円)は、軽減税率導入によって見送られるようである。
高齢者までカバーできる消費税で社会保障費を賄うという社会的合意は、リセットされたようである。
2016年はスターバックスが日本に進出して20周年の節目となる。
東京のスターバックスで働く従業員の7割が学生で、全国平均でも学生が6割を占める。
以前はマクドナルドで働く事が社会現象だったか、今ではスタバで働く事が社会現象になりつつある。

2016年1月16日土曜日

地方自治法に基づいて「住民訴訟」という制度がある。
住民訴訟の事件として有名なのはも津地鎮祭訴訟や愛知県玉串訴訟があるが、どちらも地方公共団体が宗教的な儀式に公金を支出したことを争った例である。
総務省の説明によると、住民訴訟は「住民からの請求に基づいて、地方公共団体の執行機関又は職員の行う違法・不当な行為又は怠る事実の発生を防止し、又はこれらによって生じる損害の賠償等を求めることを通じて、地方公共団体の財務の適正を確保し、住民全体の利益を保護することを目的とする制度」だという。
ところが、地方公共団体に対しては、このような制度があるが、国に対してはこのような制度は存在しない。
つまり、地方公務員には国家公務員との比較において十分な行政能力は無いので、このような制度を設けて、住民主導で地方公共団体の活動をチェックする必要がある、ということのようである。
1978年3月30日に最高裁第一小法廷は、住民訴訟について「住民の有する右訴権は、地方公共団体の構成委員である住民全体の利益を保障するために法律によって特別に認められた参政権の一種であり、その訴訟の原告は、自己の個人的利益のためや地方公共団体そのものの利益のためにではなく、専ら原告を含む住民全体の利益のために、いわば公益の代表者として地方財務行政の適正化を主張するものであるということができる」という判決を下している。
この判決からも、国に対する住民訴訟制度がないことの合理的説明は困難であることが理解できる。
参政権は憲法の定める国民の基本的人権の一つだからである
国の予算に関する問題の一つとして、国会の議決に法律的効果がないという事が挙げられる。
決算が国会に提出されて決算委員会や本会議で、どのような扱いになろうとも、何ら法律的な効果はなく、責任問題は生じることはない。
法律的効果がないことの結果として、何年度の決算が国会でいつどのような取扱い段階になっているのか、誰も関心を持たないという状況になっている。
つまり当初予算は有名無実になっているのは、国の決算制度に理由があるのである。