Amazon

2016年1月26日火曜日

第二次大戦末期に、アメリカの原爆開発は、まずウラン型が1個でき、プルトニウム型の原爆が2個できた。
プルトニウム型は量産体制に入っていたが、ウランの濃縮は時間がかかるため1個しかできていなかった。
ウラン型は構造が単純で間違いなく爆発するので、実験の必要はなく、温存しておくこととなった。
一方で、プルトニウム型は、誤差なく中心部に爆縮しないと上手く爆発しなてので、こちらは実験することになった。
当時、軍幹部は実験は不要で早く日本に投下するよう主張したが、開発者のオッペンハイマー博士が実験は必要だとして、1945年7月16日午前5時にニューメキシコのホワイトサンズという米陸軍の射撃場で実験を行った。
秘密裡に実験を行ったが。想定以上の大きな爆発だったため、200キロ離れた所でも爆音が聞こえ、窓ガラスが割れ大騒ぎとなり、付近の住民は被爆したという。

0 件のコメント:

コメントを投稿