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2017年1月31日火曜日

日本銀行は1882年に開業した。
その以前の段階で日本国内には「国立銀行条例」に基づいて国から認可を受けて開業した民間銀行が150以上存在していた。
これらの「国立」民間銀行に明治政府は富国強兵・殖産興業のための資金供給機能を委ねたのである。
西南戦争が勃発すると戦費調達ニーズが発生し、「国立」民金銀行たちは必至で輪転機をフル稼働させ、紙幣が増刷されてしまった。
国立銀行条例が初めて制定された1872年時点では、明治政府は開業認可を求める銀行に紙幣の金貨や銀貨への兌換性を義務付けてしたが、1876年に国立銀行条例を改定し、民間銀行による不換紙幣の発行を認めてしまった。
これにより歯止めなきインフレ経済化になだれ込む恐れが出てきてしまい、それを回避すべく1881年に大蔵卿に就任した松方正義は、直ちに財政緊縮と通貨価値の回復に奔走するのである。
そして1882年、松方の差配の下で日本銀行が開業する。
3年後の1885年には初めての日銀券となる「大黒札」が銀との兌換紙幣として発行された。
この日本銀行開業とともに、従来の国立民間銀行紙幣や政府紙幣は全て回収整理処分され、1899年をもっていずれも運用停止となった。
これをもって日本銀行が日本唯一の発券銀行となったのである。
社会保障という用語や概念が本格的に定着するようになったのは、世界的にみても20世紀に入ってからのことである。
ただし国家が国民の生活や健康に関して一定の役割を果たすという考え方そのものについては、16~17世紀のイギリスの救貧思想にルーツを見出すことができる。
16世紀半ばに、初めて救貧法が制定された。
英語では「Poor Law」であり、直訳すると「貧乏法」となる。
貧困世帯の人々のための収容施設が設置されたり炊き出し活動が組織された。
この段階での公的な救貧活動は、あくまでも施し的観点から行われていた。
社会保障という言葉が本格的に使われ始めたのは、1935年にアメリカで「連邦社会保障法」が制定された時からだと言われている。
日本では日本国憲法(第25条第2項)で初めて社会保障という言葉が使われるようになる。
日本の社会保障制度は日本国憲法制定を起点として、戦後史とともに、根を下ろしていくことになったのである。
2009年度から統計の整理の仕方が変更され、それまで「社会保障費」とされていたのが「年金医療介護保険給付費」に、「失業対策費」とされていたのが「雇用労災対策費」という項目名となっている。
特に気になるのは「社会保障費」とされていたのが「年金医療介護保険給付費」という非常に具体的な表現に変わっている点である。
「社会保障と税の一体改革」の政策方針が打ち出されているが、その中で消費税率の引き上げに伴う増収分を「社会保障4経費」に充当することになっている。
社会保障4経費とは、年金・医療・介護、子育てのことを指す。
一体改革に向けて体制整備が具体的に動き出したのが2014年度だったことを振り返ると、それに先立って2009年度から「高齢者3経費」を浮かび上がらせるために、用意周到に統計改変が行われた可能性がある。
赤字国債は本来であれば毎年度ごとに「特例公債法」という法律を国会に上程し、その可決成立を経なければ発行できない。
しかし2013年度からは、いちいち特例公債法を成立させなくても当該年度の当初予算が成立するとともに赤字国債を発行できるようになってしまった。
当初は2013年度から2015年度の時限立法だったが、2016年度予算の提出に合わせて、この体制を2020年度まで続ける改定案も国会に上程され、成立してしまった。
よって、現在はいちいち国会で説明しなくても赤字補填のために国債発行が可能となってしまっており、もはや「特例」ではない。
17~19世紀の欧州では、「窓枠税(窓税)」というものがあった。
窓が多い家には裕福な人が住んでいるという前提の下に、課税水準が決められていた。
この税制から逃れるために、人々は窓を埋め潰すことで対抗したという。
日本企業は巨額の内部留保を貯めこんでいる。
日本の企業部門全体の純貯蓄(貯蓄-投資)の規模は、GDP比で8%に達しており、先進諸国の中でも突出して高い。
欧米主要国の平均値はGDP比で2%という事を考慮すると、日本企業の貯蓄ポジションは群を抜いている。
アダム・スミスも著書『国富論』の第5編の中で、消費に関する課税について言及している。
消費税課税を人々の所得を直接的に、そして所得水準に比例して公平・公正に課税する能力のない国々の苦肉の方便だと言っている。そして、このような課税のやり方は、消費の消費支出が彼らの所得水準に比例していることを前提にしている、とも言っている。
つまり、消費税課税はあくまでも所得に対する直接課税の代替税だと位置づけており、そのような代替税に立世ならければ税金が取れない徴税吏たちを揶揄しているのである。
このくだりで、アダム・スミスは「臣民の所得をしっかり把握できない国家」という言い方をしている。
『国富論』が書かれた時代は君主国家の時代であり、ある国家の国境内に住んでいる人々は全て国王の臣下だった時代である。
そのような時代だったので、間接課税は直接課税の代替物とみなされたわけである。
日本の2016年度予算では、一般会計歳入総額は96兆7218億円になると想定されている。
うち租税及び印紙収入は57兆6040億円と59.6%しかない。
内訳は所得税が18.6%、消費税が17.8%、法人税が12.6%、その他が10.6%となっている。
つまり、所得税と消費税の割合はほぼ等しく、両者で歳入総額の36%、租税収入の6割を占めている。
法人税収の割合は、歳入総収入の12%、租税収入の2割しかない。
国民の所得にかかる税金と消費にかかる税金で、税収全体の6割を賄っているのである。
日本の2016年度予算では、一般会計歳入総額は96兆7218億円になると想定されている。
うち租税及び印紙収入は57兆6040億円と59.6%しかない。
内訳は所得税が18.6%、消費税が17.8%、法人税が12.6%、その他が10.6%となっている。
つまり、所得税と消費税の割合はほぼ等しく、両者で歳入総額の36%、租税収入の6割を占めている。
法人税収の割合は、歳入総収入の12%、租税収入の2割しかない。
国民の所得にかかる税金と消費にかかる税金で、税収全体の6割を賄っているのである。
『国富論』の中でアダム・スミスは
「神の見えざる手」というような言い方をしていない。
国家というものが国民の経済活動に対して、やたら介入する、つまり「見える手」をもって国家が国民の経済活動を引っ掻き回してはいけないと主張している。
決して市場原理に任せておけば全てが上手くいくと言っているのではない。
国家が人々に「愛国消費」とか「愛国投資」を強要するというようなことをしてはならない。
そんなことをしなくても、人々がその欲するところに従って行動することが、国々にとっても良い結果を生む、と言っている。