日本銀行は1882年に開業した。
その以前の段階で日本国内には「国立銀行条例」に基づいて国から認可を受けて開業した民間銀行が150以上存在していた。
これらの「国立」民間銀行に明治政府は富国強兵・殖産興業のための資金供給機能を委ねたのである。
これらの「国立」民間銀行に明治政府は富国強兵・殖産興業のための資金供給機能を委ねたのである。
西南戦争が勃発すると戦費調達ニーズが発生し、「国立」民金銀行たちは必至で輪転機をフル稼働させ、紙幣が増刷されてしまった。
国立銀行条例が初めて制定された1872年時点では、明治政府は開業認可を求める銀行に紙幣の金貨や銀貨への兌換性を義務付けてしたが、1876年に国立銀行条例を改定し、民間銀行による不換紙幣の発行を認めてしまった。
国立銀行条例が初めて制定された1872年時点では、明治政府は開業認可を求める銀行に紙幣の金貨や銀貨への兌換性を義務付けてしたが、1876年に国立銀行条例を改定し、民間銀行による不換紙幣の発行を認めてしまった。
これにより歯止めなきインフレ経済化になだれ込む恐れが出てきてしまい、それを回避すべく1881年に大蔵卿に就任した松方正義は、直ちに財政緊縮と通貨価値の回復に奔走するのである。
そして1882年、松方の差配の下で日本銀行が開業する。
3年後の1885年には初めての日銀券となる「大黒札」が銀との兌換紙幣として発行された。
この日本銀行開業とともに、従来の国立民間銀行紙幣や政府紙幣は全て回収整理処分され、1899年をもっていずれも運用停止となった。
3年後の1885年には初めての日銀券となる「大黒札」が銀との兌換紙幣として発行された。
この日本銀行開業とともに、従来の国立民間銀行紙幣や政府紙幣は全て回収整理処分され、1899年をもっていずれも運用停止となった。
これをもって日本銀行が日本唯一の発券銀行となったのである。
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