原爆製造のきっかけは、第二次大戦中にドイツの科学者が発表したウランの技術開発論文だった。
この論文を基にして、米国が1942年10月に全米から1万人の物理学者と数学者を集め、総力を挙げてウランの核分裂を利用した爆弾の開発「マンハッタン計画」に取り組んだ事だった。
米国は3年で原爆の実用化に成功し、ウラン濃縮によって製造できるウラン型原子爆弾と、ウランを原子炉で燃やすことによって出てくるプルトニウムを精製して製造できるプロトニウム型原子爆弾の2種類を開発した。
そして、1945年8月にウラン型原爆を広島に、プルトニウム型原爆を長崎に投下した。
ところが、マンハッタン計画で集められた科学者の中に、ソ連のスパイが紛れ込んでいた。
計画には英国の科学者も派遣されており、その中に社会主義を支持する研究者が、米国での原爆開発情報をソ連に伝えたとされている。
これにより、第二次大戦後に、東西冷戦を背景に原爆開発が両陣営で加速することとなった。