Amazon

2015年8月13日木曜日

2010年から2012年にかけて内閣府に「幸福度に関する研究会」が設立され、「幸福度指標」が作成されている。
2年かけて幸福度に関する報告書がまとめられた結果、日本人には次のような傾向があることが分かった。
1.自らの幸福度を測る上で「家計」を重要事項として挙げた人は、そうでない人と比べて幸福度が低い。
2.家族、地域、職場、学校といった私達が参加する社会集団のそれぞれで10%前後の人が孤独感を感じており、孤独感の高い人は幸福度が低い。
3.社会課題の解決にかかわっていたり、関心を持っている人は、そうでない人よりも幸福度が高い。
報告書では、社会の中で何らかの「居場所と出番」が与えられて、社会に参加でき、社会の中で必要とれるていると自ら価値を感じることができ、孤独に陥ることがなく、社会と自分が何らか形でつながっていると感じられる状況が、幸せを感じる状況と結論づけられた。
ソーシャルデザインプロジェクト「issue+design」代表の筧裕介氏が、日本の各地域の幸福度を調べるために「地域しあわせラボ」という研究プロジェクトをやっている。
このプロジェクトの調査結果によると、なんと給与の額が高い県ほど幸福度が下がっているという。
幸せ度が最も高いのは沖縄県で、沖縄の平均給与は25万円で、平均給与30万円以上と高収入な愛知県や埼玉県は、それぞれ42位と40位になっており、幸せ度は再開に近い。
「お金は持っているが幸せを感じられない」人が多いというのが、今の日本の実情なのである。
逆に言うと、この調査結果は、物質的な豊かさとは異なる豊かさを求めている人が多いことを示しているともいえる。
国内のマーケット規模が小さい韓国は、国策としてアジア諸国で「韓流ブーム」を起こす戦略を推進している。
1999年には「文化産業振興基本法」を制定し、5000億ウォン(498億円)をコンテンツ産業に集中投資する基金を設立した。
2001年には同法を改正し、コンテンツ参議用を専門的に支援する政府機関である「文化魂胆津振興院」を設立した。
この国策の成功はデータを見ると明らかで、2005年から2011年までのコンテンツ産業の輸出額は、年平均22.1%も増加している。
ドラマや音楽だけではなく、ゲームなども含めたコンテンツ産業全体が、経済成長の一端を担う存在に成長している。
村全体が標高1000メートルを超える高度にあり、村役場が日本で最も標高の高い所にある長野県南佐久郡川上村は、村民の平均年収が2500万円の「奇跡の村」と呼ばれている。
この収入を稼ぐ源となっているのが、レタス栽培である。
川上村が日本有数のレタスの産地となったのは、それほど古い話ではなく、1947年以降に朝鮮戦争が始まってからである。
朝鮮戦争により、米軍向け野菜の需要が高まり、「野菜特需」が起こったことで、村のレタス農家は、米国式の野菜清算や輸送技術をいち早く取り入れ、レタス産地として成長していった。
その後、米軍特需が終わった後も、食生活の西洋化とレタス需要増加への対応や、台湾向けレタス輸出と、レタスを軸とした経済システムを構築し、「奇跡の村」と呼ばれるようになった。

円ドル相場が記録上初めて公式の文書に現れたのは、1874年(明治7年)で、日本の通貨単位が「円」に定められたのが1871年だから、それから3年後ということになる。
この時の円ドル相場は、1ドル1円だった。
これが急激に下がり始め、半値の1ドル2円にまで進んでいくのが、明治20年代から30年代のことで、西南戦争と日清戦争により明治政府が不換紙幣を乱造したことによりインフレが起こった事が原因である。
その後30年ほど安定した状態が続いていた円ドルレートは、満州事変などの中国での軍事行動により日本の信用が失われ、1ドル4円程度にまで下落した。
急激な円安が進むのは、太平洋戦争後のことで、敗戦後の急激なインフレが進み、一気に1949年には1ドル360円というレートで固定化される。
このように円ドルレートのトレンドは、日本という国の信用に関連してきた事が分かる。
不動産取引・調査会社のジョーンズ・ラング・ラサールの集計によると、2014年の中国人による日本国内の商業用不動産の購入額は、240億円を超え、前年の3倍以上に達している。
中国人による投資目的の不動産購入の勢いは止まらず、2015年2月には「目黒雅叙園」が推定1400億円で中国ファンドに買収され、2015年3月には「くいだおれ人形」で有名な「中座くいだおれビル」が香港の投資ファンドによって買収された。
内閣府が2015年2月に経済財政諮問会議に提出した「中長期の経済財政に関する試算」によると、アベノミクスが成功して名目GDP成長率が3%台後半で推移する「経済再生ケース」の場合、名目GDP成長率の上昇を追いかけるように名目長期金利も上昇し、やがて名目金利が名目成長率を逆転するシナリオとなっている。
2020年には名目GDP成長率が3.6%に対し、名目長期金利は4.0%となっている。
そして、その後名目成長率はほぼ横這いなのに対して、名目金利は2023年までに4.6%まで上昇すると試算されている。
こうした金利上昇は国債利払い費の増加をもたらし、急激な財政収支の悪化を招く恐れがある。
この「中長期の経済財政に関する試算」ては、基礎的財政収支(プラマリーバランス)の赤字は縮小していくが、名目金利の上昇により、財政収支の赤字は2020年には27兆円に拡大、2023年には34.8兆円にまで拡大するとしている。
日本政府は現在、財政健全化の基準を「プライマリーバランスの赤字ゼロ」としているが、それを実現できたとしても金利上昇による利払い費の増加により、財政収支はさらに悪化する。
世界各国ではプライマリーバランスではなく、財政収支をベースにして財政健全化目標を設定している。
財務省の試算(2015年2月)では、金利が1%上昇すれば、国債の利払い費は1年後には1兆円、5年後には6.2兆円増えるという。
さらに金利が2%上昇すると5年後には12.8兆円増える。
金利が急騰し、もはや利払い費を払えないような状態となれば、国債発行によるそれ以上の資金調達ができなくなり、財政破綻という状態になる。
財政危機に陥ったギリシャでは、37%にまで国債金利が上昇し、政府は市場から国債によって資金調達が困難になった。
金利の上昇を引き起こすのは、財政状況の悪化だけではなく、インフレや経済成長も名目金利を上昇させる。
金融緩和をしている状況の下であっても、極端な円安が急速に進めば輸入原材料の価格が上がり、インフレとなり、名目金利を上昇させる可能性が出てくる。
金利の上昇は、国債価格の下落を意味しているおり、日銀の試算(2014年10月)では、金融機関が保有する国債の価格は金利上昇が1%であった場合でも7.6兆円下落(大手銀行▲2.6兆円、地域銀行▲3.0兆円、信用金庫▲2.0兆円)し、金利が2%上昇すれば13.4兆円も下落(大手銀行▲4.6兆円、地域銀行▲5.4兆円、信用金庫▲3.4兆円)する。
2014年12月1日に、消費税引き上げ延期を受け、三大格付け機関のムーディーズが日本国債の格付けを「Aa3」から「A1」に引き下げた。
その結果、中国や韓国よりも日本の格付けは下となってしまった。
日本国債の格付けを下げられても、2015年8月現在まで長期金利は上がっていないし、株価も上昇しているので、格下げの影響は全くなかったと言う人がいる。
現在のバーゼル規則の下では、自国通貨建ての国債の場合は、金融機関が保有してもリスクウェイトを0%とすることができる。
しかし、海外金融機関が日本国債を保有する場合は、下から2つ目の格付けとして、リスクウェイトを決める事となり、リスク資産と認識されるようになったのである。
更にムーディーズは、日本国債の格付け引き下げ直後に、三菱東京UFJ銀行、三井住友銀行など邦銀5行と日本生命など生保2社の格付けも引き下げた。
国債の格付けが原則キャップとなり、地方債や民間企業の社債は、それを超える信用格付けは取れない。
つまり、日本国債の格下げは地方債や社債の格付けにも影響し、日本企業の資金調達に影響を与えるのである。
金利は、通常であれば実質金利と将来の予想物価上昇率に、その借入主体が返済不能になるリスク(プレミアムリスク)が上乗せさせて決定される。
つまり、市場で決まる国債の価格は、将来の予想物価上昇率や市場が考える借主主体のリスクが反映されて決まるはずである。
本来、金利には市場からの警告メッセージが込められているはずある。
日本国債は通常であれば、相当な高金利になっても不思議ではない状況にもかかわらず、日銀の国債大量購入により、長期金利が0.5%以下と超低金利状態が続いている。
今や日銀は、国債保有残高を年間80兆円増やすために、市場で新規に発行する国債の9割を結果的に買入れねばならず、しかも物価上昇のために低金利を維持せねばならないので、高い価格でも国債を買わねばならない状況となっている。
このように日銀が意図的に作りだしている低金利に、財政破綻リスクなど反映されなることは無く、国債市場が発する警告を読み取る事ができなくなっている。
国債市場は日銀の大量購入により、金利水準が低すぎる結果、投資家が離れ、厚みが無くなり、金利が乱高下しやすくなり不安定となっていく。
今後ますます日銀の国債保有シェアは高まっていく。
SMBC日興証券・金融財政アナリストの松澤豪謙氏が2014年11月に内閣府に示した試算によると「日銀の保有シェアは、2014年6月には27%程度、2014年12月には31%程度に上昇し、4年後の2019年末には50%に到達する可能性」があると指摘している。
日本政府の債務残高がGDPの2倍を超えたのは、財政支出を拡大させてきた事が最大の原因ではあるが、本来ならば、これだけ国債を発行していれば当然金利が上がるところが、ずっと低金利が維持されてきた事も原因である。
景気後退局面が続き、日本の金融機関が貸し出す代わりに国債を買うという特殊な状況が続いたのである。
日本経済がデフレに陥った事で実質金利が上って行ったため、名目金利は下がっていく局面となった。
その結果、かつて高い金利で借りていた国債を低い金利に借り換えていく事ができ、借金の額はどんどん増えていくのに、利払い費が増えないで、むしろ減っていくという、普通では有り得ない逆転現象が生じていたのである。
金利低下局面で、財政の痛みを感じる事無く借金を増やす事が可能であった為、政府は国債の残高を止めどもなく膨らませて行くことができた。
更にここに来て、日銀が異次元の量的緩和により、膨大な額の国債を買い始めた為、国債発行額が増えているのに、利払い費は増えないという、普通では考えられない異例な状況によって、金利の上昇を防いでいる。
日本の長期国債の残高は2015年末には800兆円を超える。
短期国債も含めば、国債残高は1000兆円を超える。
これに地方政府の債務も合わせた政府全体の長期債務残高は、2014年末で既に1000兆円を突破している。
このように日本政府の債務残高はGDPの2倍(GDP比232.5%)に達しており、これほどの政府債務を抱えている国は、他にジンバブエしかない。
ギリシャが発端となり、2010年から2011年にかけて欧州で経済危機が起こった。
国債の元利金支払いの資金繰りの為、国際的な支援を求めたギリシャは、財政再建計画を立て、実際に下記の政策を実施した。
・公務員給与35%カット、更に定年間際の人を中心に公務員3万人の給与を4割カットし、1年後に解雇
・公務員の年金支給開始年齢の引き上げ
・年金引上げ、月1000ユーロ以上なら20%カット
・所得税の非課税基準を年収1万2000ユーロから5000ユーロへ
・消費税の一般税率を19%から23%に、食品など日用品は9%から13%へ
・不動産税を新設し、徴収を確実にするため新税を電気料金と共に徴収
・連帯税の新設、収入に応じ1~5%を支払う
・自治体合併、約1000の市町村を3分の1にし、57の県を13州に
これらの緊縮政策について、2013年5月に国連人権理事会はギリシャを調査した結果、国民の人権を侵害していると警告した。
調査によると、国民の10%以上が、1日の生活費が1ドル以下という極貧状態になっていたという。
更に社会保険の予算が削られ、3分の1が国民健康保険制度を利用できていないと報告されている。
ギリシャは2014年5月には、対外的デフォルトを避ける事はできたものの、財政緊縮策により国内的デフォルトに陥ったのである。
その結果、2015年1月には緊縮財政路線の転換を主張する急進先連合が総選挙で勝利し、政権交代となった。
国の財政破綻には、対外的デフォルトと国内的デフォルトの2種類ある。
ギリシャの場合は対外的デフォルトであり、外国に対する借金が払えないという状況をいう。
日本の終戦直後のデフォルトは、国内的デフォルトである。
但し、日本は戦時中に外国債の利払いを停止してしまったので、その時点で対外的デフォルト状態であったと言えるが、戦争がその事実を隠してしまった。
この国内的デフォルト状態は、1942年から1952年まで10年間も続き、終戦時点での国債保有状況は、その99%を日銀と政府の預金部が引き受けていた。
そこで政府がしたことは、「財産税」という大規模課税だった。
主な課税対象は金融資産で、税率は最低25%から最高90%と、富裕層課税ではなく全国民から搾り取るという懲罰税だった。
国債を殆ど国内で保有しているから安全だと言う人が多いが、財政が行き詰ると、最後の調整は、当然、国民が被ることになるのである。
第二次大戦後に日本では財政破綻が起こった。
終戦直後に、日本は極度の物不足となり、日銀引き受けによる公債発行などもあり、ハイパーインフレが生じた。
このインフレ対策として、1946年2月17日に「金融緊急措置令」と「日本銀行券預入令」が公布され、預金封鎖が実施された。
そして5円券以上の日本銀行券(旧円)が失効し新円に切りかえられた。
新円には銀行預金のみが引き換えられたので、旧円は手元に残せず、全て銀行へ預け入れざるを得なかった。
更に新円の引き出し金額は厳しく制限され、当初は毎月、世帯主は300円、その他は世帯員1人当たり100円と決められた。
働いている者に払われる新円も500円限りだった。
東京のヤミ米の価格は1946年3月時点で1升67円だった。
この預金封鎖は2年以上続いたのである。
復興金融公庫が発行した復興債を日銀が引き受けた結果、インフレは更に拍車がかかった。
そのインフレの凄さは、日銀が作成していた「東京小売物価指数」を見ると、1945年の指数は3.1、それが翌年には18.9、次の都市には51.0と跳ね上がり、1951年には実に310.0と6年間で100倍になったのである。
この国民生活を崩壊させたインフレの一方で、皮肉な現象が起こる。
終戦直弧の国債残高は一般会計総額の5倍程度であったが、このインフレによって、その額は4分の1にまで減った。
つまり戦時国債を保有していた国民にとっては、その資産の大半を失うことになったのである。
国家財政の破綻のツケから逃れられる国民は基本的にはいない。
国の借金は財政破綻と共に無くなり、国民の犠牲のもとに、政府は国家財政を立て直すことができる。
日本国債の大部分を保有しているのは、日本国民であり、国家財政を立て直すために超緊縮財政、つまり大増税と歳出削減を行うことになる。
国家財政が破綻して痛みを受けるのは、国ではなく国民となる。
財政破綻による全てのツケは、国民に回らざるを得ない。