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2014年2月1日土曜日

1927年の昭和恐慌では、銀行が次々と潰れたが、その原因は大蔵大臣の失言だったという有名な話がある。

銀行は全て潰れたわけではなく、潰れた銀行の預金が、三井銀行、住友銀行、三菱銀行、第一銀行などのビッグ5に集中した。
つまり、恐慌は全ての人にとって悪い訳ではく、ビッグ5にとっては千載一遇のチャンスとなった。

ちなみに、最初に潰れた東京渡辺銀行の経営者は、今の経営者とは全く違い、全ての財産を差し出し、全財産を捨て、先祖の墓前で自殺しようとしている。
「勝手くるぞと勇ましく」(露営の歌)とか、「七つボタンは桜に錨」(若鷲の歌)とか、戦時中の軍歌のヒットメドレーの殆どを作曲した古閑裕而は、戦後、反省のかけらもなく、平和の鐘を歌う「長崎の鐘」や、早稲田の「紺碧の空」を作った。
自らの体験から「戦争で得たものは憲法だけだ」と言っていた城山三郎は、佐藤栄作内閣の頃に、公安部が作った「寄稿の望ましくない著作家」というリストに載せられていた。

また、自らも勲章に拒否反応を示しただけできなく、『粗にして野田だが碑ではない』の石田禮助や、『運を天に任すなんて』の中山素平など、財界人で勲章を固辞した人の伝記小説を書いた。

城山が紫綬褒章を断る時、夫人に「おれは国家というものが、最後のところで信じられない」と述懐したという。
城山三郎の代表作『落日燃ゆ』は、少年城山自身を戦争に駆り立てたのは誰なのかを、追求した結果、A級戦犯にたどり着いた。
そして、軍人ではない広田弘毅に的を絞った。

『自ら計らわず』と題名をつけようとしたほど、広田は自分の為には弁明しない男だった。
軍人政治を押さえようとした広田が軍人と一緒にA級戦犯とされ処刑されたが、それを受け入れた広田こそが、城山が望んだ、ありうるべき指導者の姿だった。

『落日燃ゆ』
ナポレオンが、「琉球王国には軍隊がなかった」という施設からの報告を受けて、「そんな国が本当にあるのか」と首をひねったという逸話がある。