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2014年6月29日日曜日

アメリカのプロスポーツの総収入

NFL(アメフト)  90億ドル
MLB(野球)    70億ドル
NBA(バスケット) 38億ドル
NHL(ホッケー)  29億ドル
MLS(サッカー)  2億8000万ドル
この30年間に、中国では国民一人当たりGDPが200ドルから5400ドルに増え、人口の50%が住民の平均所得が地方の3倍条である都市に住むようになっている。
インドでは、2004年に首相に就任したマンモハン・シンが財務大臣だった1991年に経済改革を進められた。

シンが改革を始める前の1991年には、ビリオネアは1人しかいなかったが、2012年には48人になっている。

2012年に最も金持ちだったムケシュ・アンバニの財産は223億ドル。

インドのビリオネア48人の純資産を合わせると、インドのGDPの14%に等しかった。
これはアメリカのビリオネア424人の純資産のアメリカのGDPに占める割合と同じである。
生きた時代の異なる人物の所得を比べるのは難しい。
ブランコ・ミラノヴィッチは、アダム・スミスの考え方に注目し、その国の労働者を何人雇えるかを計算する手法を考案した。

ローマで最も富豪として有名だったマルマス・クラッススの資産は、歴史家のプリニウスの見積では1億7000万から2億セステルティウスだったとしている。
これはローマ帝国の領土全体の資産にほぼ等しかった。
ミラノヴィッチの計量法を用いると、クラッススの財産はローマ人の平均年収3万2000人分に匹敵する。

アンドリュー・カーネギーの富はUSスチールを買収した1901年に最大だった。
USスチールの持ち株は2億2500万ドルの価値があったが、それによって手にする年収は、当時のアメリカ人の平均年収4万8000人に匹敵した。

ジョン・D・ロックフェラーは、財産が最も多かった1937年の年収は14億ドルであり、当時のアメリカ人の平均年収11万6000人に等しかった。

しかし、この3人とも、2011年の『フォーブス』誌の長者番付の1位となったメキシコ人のカルロス・スリムにはかなわない。
その資産額は690億ドルで、そこから得る収入はメキシコ人の平均年収の40万人に相当した。
彼の資産はメキシコの年間経済生産の6%に匹敵する。

最も稼いでいた頃のロックフェラーでも、その資産はアメリカの年間経済生産の2%に満たなかった。
21世紀のアメリカ最大の勝者であるビル・ゲイツでさえも0.5%に届かない。
マッキンゼー・アンド・カンパニーの研究部門、マッキンゼー・グローバル研究所は、2011年にビックデータに関する143ページの報告書を公表し、「ビクッデータはイノベーション、競争、生産性のためのフロンティア」であることを宣伝した。

この報告書に驚くべき事実が記されている。

1つは世界中の録音された楽曲を全て記録する容量を持つディスクデライブは600ドルに満たない価値であること。

もう1つは2010年に世界の人がパーソナルコンピューターやノートブックPCなどのデバイスに蓄積した新しいデータは6エクサバイトに上ること。
1エクサバイトとは、アメリカ議会図書館に蓄積された字用法の4000倍以上を記録できるほどの容量である。

マッキンゼーの予測では、「深く分析する能力」があって、ビクッデータの利用を必要とする人材は、アメリカ国内だけでも2018年までに14万人から19万人不足するとしている。

このビックデータの革命的利用法に、いち早く気づく人々の中から富裕層が出てくることになる。
革命への対応に伴う経済的な付加価値は、スーパーエリートと他の人々との格差を拡大する。

ロシアの自由市場への移行は10年間に、17人のビリオネアが誕生したが、GDPを40%引き下げだ。

ロシアは資本主義を導入して20年間で、100人のビリオネアが誕生し、全世界のビリオネアの8%を占めるようになり、このロシアのビリオネアの個人資産を合計すると、ロシア経済生産高の20%に等しかった。
ジョージ・ソロスは世界でもトップクラスの投資家である。

1969年から2000年までの30年間で、ソロスのクォンタム・ファンドの年平均利益率は31%だった。
1969年にソロスに1万ドルを託していれば、2000年には4300万ドルになっていたということになる。

エドモン・ド・ロチルド・グループ傘下のファンドであるLCHインベントメントの調査によれば、投資家としてのソロスは世界一成功していて、その2010年の利益総額は、ウォーレン・バフェット、ウォルトディズニー・カンパニー、アップルをも上回っている
2011年、ゴールドマン・サックスの収益の42%は被雇用者の給与となった。
被雇用者一人当たりの平均年収は36万7057ドルだった。

金融危機の直前に40億ドルもの損失を出したモルガン・スタンレーの場合、2010年の収益における被雇用者の給与の割合は51%。

リーマンブラザーズを買収したバークレーズでは34%、クレディ・スイスでは44%である。
かつては単なる出納係や事務員だった銀行家が、富裕層の仲間入りをするきっかけを作ったのは、第二次大戦後の10年間に現れた3人の存在だった。

彼ら3人はアメリカの東海岸のホストんからボルティモアまで、距離にして800キロも離れていない範囲に住んでいた。

1人目は47歳のジャーナリストのアルフレッド・ウィンズロー・ジョーンズで、1949年にヘッジファンドの概念を考案した。

2人目はフランス出身のジョルジュ・ドゥリオで、ハーバードビジネススクールの教授だった。
彼は1946年に復員軍人によって立ち上げられた事業に個人投資を促す方法として、ベンチャーキャピタルの概念を考案した。

3人目はヴィクター・ポスナーで、高校を中退していたが、1950年代に先駆けて敵対的買収会社(現在はプライベート・エクイティと穏やかな名称で呼ばれる)を経営し始めた。
知識経済への移行に伴い、「労働する富裕層」が増加している。

つい金のアメリカ人の富裕層の収入の2/3を労働で得ている。

100念舞うの大富豪の場合、労働による収入の割合は1/5程度だった。

ドラッカーは1994年に『アトランティック』誌に「知識社会では、被雇用者、すなわち知識労働者は、生産の道具を所有する」と記している。

ドラッカーは、「マルクスの洞察によると工場労働者は生産の道具を所有できず、され故に搾取されるとしているが、知識経済ではこのロジックは崩壊する。
知識社会での投資対象は知識労働者の知識であり、独立して職業を実践する事が可能となる。」と説明している。
チャーリー・チャップリンは舞台俳優から映画俳優に転身し、収入が数千倍に増えた。

チャップリンの1916年から1917年の収入が67万ドルだったのに対して、レオナルド・デカプリオの2010年から2011年の収入は7700万ドルだった。

チャップリンの収入を現在の物価に換算すると、デカブリオの収入は6倍になる。
テクノロジーとグローバル化のおかけで、レディー・ガガは多くの聴衆を獲得している。

2011年のシングル「ボーン・ディス・ウェイ」は5日間で100万枚売れた。
2011年に彼女は全世界でアルバム2300万枚、シングル6400万枚を売り上げていた。

また2010年5月から2011年5月に25カ国で137回のコンサートを行い、その収益は1億7000万ドルとなった。

『フォーブス』誌の概算では、彼女の2010年の所得は9000万ドルで、アメリカの平均世帯収入の1800倍だった。
2012年に発表された『フォーブス』誌の長者番付によると、ビリオネア1226人のうち、女性は僅か104人である。
ビリオネアの妻、娘、未亡人を除くと、さらに少なくなる。

所得下位99%においては、世界のどの国においても、女性の方が稼ぎがよく、学歴も高く、権力が高い。

ハーバード大学は1973年に女子学生を初めて受け入れたが、2004年の新入生は男子より女子の方が多くなっている。

1990年卒業生で、卒業から15年後に金融と経営に携わっていた者は、男性が38%、女性が23%だった。
2007年になると金融と経営に飛び込む女性は43%、男性は58%に跳ね上がった。
2005年のハーバード大学の卒業者のうち年収100万ドル以上の者は、男性が8%、女性は2%だった。
ハーバード大学卒業生の間でも所得格差は広がっている。

2005年のハーバード大卒男性の年収の中間値は16万2000ドルで、国内所得分布の上位10%に含まれていた。

しかし、彼らのうち8%は労働市場における所得が100万ドルを超え、上位0.5%に入っていた。

この差をつくる重要な要素は、金融業界の者とそれ以外の者との間の溝で、金融業界の者の所得は同窓生の所得の195%に上っている。
今日のアメリカでは、高所得になるほど実行税率が下がる事になっている。

2009年の年収に対して、支払った所得税の割合は、所得上位1%が23%、上位0.1%が21%だった。

さらに、最上位の400人に関しては17%に満たなかった。

富裕層にとっては重要な収入源となるが、低所得層ほど重要度が低下する
「キャピタルゲイン課税率」は2012年には15%だった。
様々な国からエリートが集まる教育機関の運営に外国人がかかわるようになってきている。

オックスフォード大学には外国人の寄付によって創設された2つの教育機関がある。

1つはロシア出身の金属・石油産業の大物、レン・ブラヴァトニック(ハーバードMBA)が7500万ポンドを寄付して設立された「ブラヴァトニク・スクール・オブ・ガバメント」で、ハーバード大学ケネディースクールのライバルを自称している。

もう1つは、ワフィク・サイード(シリア出身、サウジアラビアの富豪)からの2000万ポンドの寄付によって設立された「サイード・ビジネススクール」である。