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2016年11月20日日曜日

日本政府の歳入が減っているのは間違いないが、歳入のうち社会保障収入の規模はむしろ急増している。
1990年には対GDP比で日本の社会保障収入は8%ほどだったが、2010年には12%を超えており、GDPに対する比率はスウェーデンを越えている。
歳入が増えないのは、税収入が停滞、現象してきているからであり、特に1990年前後からの税収入の減少は著しい。
この時期に導入された消費税と交換に、所得税の最高税率の引き下げと法人税率の引き下げの影響が大きい。
1990年前後は景気の後退が始まった時期でもあるが、税収入の低下は景気の後退によるものではなく、所得税や法人税の意図的な減税が最大の理由である。
日本政府の歳入の減少は、高齢者の増加による人口構造の変化だけが原因ではないのである。
日本では1990年代後半から平均賃金が低下し続けている。
1995年から2010年の雇用者報酬の変化を見ると、OECD諸国では平均で60%以上の伸びを示しているが、日本では10%以上も低くなっており、OECD主要国の中で唯一のマイナスになっている。
日本の平均賃金の低下は、非正規雇用の割合の拡大によってもたらされた。
日本の企業は、既にフルタイムで雇用されている人々の賃金はベースアップを押さえ、新たに労働市場に入ってくる女性と若者を非正規雇用にすることで生産コストの見直しに成功したのである。
OECDのデータにはフルタイム雇用者の可処分所得の「第1十分位」のレベルを加盟国間で比較したものがある。
第1十分位とは、所得が低いほうの10%のことで、フルタイム雇用者の可処分所得を低いほうから高いほうに並べて、それを十分割した場合の最も下のグループである。
OECDのデータでは、この第1十分位のレベルを、それぞれの国で「子どものいない独身の人」の可処分所得の真ん中に当たる所得を、それぞれの国の基準にしている。
日本の結果は、フルタイムの第1十分位は基準の63%である。
つまり日本のフルタイム雇用者で可処分所得が下から10%の人は、フルタイムに限らず独身・子供なしの人の中位の所得の6割しかもらっていないという事である。
この6割という割合は、OECD諸国の中で最低ランクである。
日本のフルタイム雇用者の中で収入が低いほうの人々は、フルタイムで働いているにもかかわらず、その社会全体でみてかなり低いレベルに入ってしまっいるのである。
そして、このフルタイム雇用者の中で収入が低い人々は、税金や社会保険料を払えば、貧困層に入ってしまう可能性が高い人々なのである。
日本における相対的貧困の特徴は、就労していても貧困に陥る可能性がとても高いということである。
中でも貧困率が高いのは、男性よりも女性であり、これは女性に正規雇用の人が少ないことが関係している。
就労していても貧困に陥りやすいのは、非正規雇用と自営業者とその家族従業者である。
就業している人の貧困率が高いのは、当初所得レベル゛てはなく、可処分所得レベルにおいてであり、税金や社会保険料を支払ったことで貧困に陥りやすくなる事を意味している。
現在の貧困層には、政府から税金や社会保険料を徴収されなければ、貧困に陥らなかった人々が多数含まれている。
日本てば非正規雇用の時間当たりの賃金は、平均して正規雇用の3割から4割少ないと試算されている。
正規雇用と非正規雇用のこれほどの賃金格差は、OECD諸国の中でも異例となっている。
配偶者、直系血族、きょうだいによる扶養だけでは足りらない時には、甥や姪は3等親の親族に当たるので、甥や姪の意思にかかわらず、家庭裁判所の審判によって、経済援助など扶養の義務を負わされることがある。(民法877条2項、申立手数料は800円)
ただし、家庭裁判所がその義務を負わせることが相当な「特別の事情」があると判断した場合でけで、例えば生前贈与を受けていたり、遺贈を受けたり、代襲相続人になることが予定されている場合などが予定されている場合が考えられる。
つまり、こうした事情がないときは、本人に生活保護を受給してもらう事も考えられる。
生活保護制度は努力の成果、結果や過程は問わず、単純に一定程度困っていたら必要な支援を支給する制度である。
若い頃は、稼いでいて羽振りが良くても、そこには感情や価値観、情緒的な判断は入らず、「いま困っているから保護を受けられる」という制度なのである。
民法730条において「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」と規定している。
また752条で、夫婦(配偶者)間の扶養義務、877条で親族間の扶養義務が定められている。
中でも配偶者間と未成年の子供に対する親の義務については、かなり強いもので、最低限度の生活水準の維持などを課している。
これに対して、きょうだい同士は、相手が扶養しなければならないような状態にあり、かつ自分にも扶養する「余力」がある場合は援助しないといけない、という二次的なものである。
きょうだいが生活保護の申請をした場合、法律上は生活保護よりも先に親族による扶養が求められており、福祉事務所から「扶養できますか?」と文書や電話で「扶養照会」がある。
扶養照会は3親等以内の親族に行うことができる。
親族ほぼ全員が対象とはなるが、調査にかかるコストや時間が大きいため、親・きょうだい・子供までが一般的で、どこまで調査するかは各福祉事務所の判断に委ねられている。
ただ、法的な強制力も罰則もなく、収入に応じた援助がくの基準もないので、金銭援助をしなくても罪には問われない。
今後は、マイナンバー制の導入によって、素早く扶養照会ができるようになるため、照会の範囲も広がる可能性はある。
なぜ日本で女児が好まれるのかと言えば、介護の不安を社会が受け止めてくれないからであり、これを上野千鶴子は、「介護保障のない日本の福祉制度のハンパさの産物」と指摘している。
事実、現在の介護保険制度は、家族の存在を前提にしてできている。
依存先が家族に限定されるからこそ、親は生存をかけて子供達の関係ら介入し、自らの依存先を確保しようとするのである。
現在は、親の介護を担うのは、息子の嫁ではなく、自分の娘が一般的になっているが、日本ではずっと昔から嫁が義理の親の老後の世話をしていたと思う人が多いが、それは歴史的にせいかくではない。
嫁が義理の親をみるのが一般化したのは、日本では近代以降、明治政府が民法で家を制度化してからである。
少なくとも江戸時代の武家では、息子が親の面倒を見ていた。
当時は、親の介護は公務に匹敵する武士の仕事であり、今でいう介護休業に当たる制度(「看病断(ことわり))が、諸藩において定められていた。
また、寝たきりの親の世話をする時にどんなことに気を付けるべきか、どのような食事をどのゆうに食べさせるのが良いか、といった介護技術を指南する男性向けのハウツー本も出回っていたという。
時代の長さ的にも古さ的にも、親の面倒を息子が見ていたという方が、伝統というにふさわしい老親介護の形なのである。
跡取りとなることを期待された長男以外、つまり次男、三男は、よその家に養子に出される事が昔は多かった。
養子の慣行が廃れたのは「多産少死」の時代となった戦後になってからである。
幕末頃の庶民の家の約2割が、家を残すために養子を取っており、武士の家では4割近くで養子を跡取りにしていたというデータもある。
総務省の労働力調査によると、親と同居の壮年未婚者(35~44歳)は、1980年の時点では39万人だったが、2014年には308万人に達している。
その多くが収入が低くて親と同居せざるを得ない人達であり、親が亡くなれば、すぐに貧困状態に陥る可能性がある。