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2016年12月31日土曜日

日本で自殺者は毎年3万人。
人口比で0.02%、4000人に1人の割合となる。
つまり確率的には、大家として4000室を持っていると自殺者に遭遇することになる。
徒歩5分の物件と徒歩10分の物件を比較すると、価値が4倍違うと考えられる。
不動産業界では徒歩1分は80メートルを目安にしてるのだ、駅から徒歩5分と徒歩10分の土地の面積は次の通りとなる。
徒歩5分  400メートル×400メートル×3.14=50万平方メートル
徒歩10分 800メートル×800メートル×3.12=200万平方メートル
土地の広さが4倍となるので、その分、競合物件が増え埋もれてしまう。
受験のために引っ越しするという状況は、つまり「住む場所」が資本になっていると理解できる。
かつては土地を所有することが、「富裕層」であることを維持するための手段だった。
しかし、現代の富裕層=資本家は、受験の条件の変化を受けて、引っ越しをする人々である。
つまり「土地」以上に「住む場所」が資本になっていると言える。
現代では、「教育」が富裕階層がその優位性を維持するために最もも有効な「資本」になっている。
『年収は「住むところ」で決まる』の著者であるエンリコ・モレッティは、「移住には投資と似た面がある」という。
投資とは将来的に自らの生産能力高めるとめに、現在の資本の一部を投下する行為だが、都市で暮らすことが自分を成長させる機会になる、いい仕事よ巡り逢う機会の確立を高くすることになる。
つまり住む場所が自己投資だと考えるのである。
また、都市社会学者のリチャード・フロリダも、「人種、教育、職業、収入と並んで場所が持てる者と持たざる者を分かつ要因」になっていると指摘する。
ニューヨークのような所得水準が極めて高い場所では、「教育」が移住の理由になっている。
経済学者のエドワード・グレイザーは、情報技術の発達が人と人との間の直接的なコンタクトの需要を生んでいると指摘する。
なぜなら、実際に人と人が体面して会う時間とは、「電子的なコミュニケーション時間を補うものだから」である。
つまり、FacebookのようなSNSを通じたコミュニケーションは人間関係の重要性を高めており、そこで深まった関係性がリアルな現実の場で以前よりも補完されるのである。
また、かつては年を重ねる度に、移動半径が広がり、小学校や中学校の地元つながりは疎遠になる事が多いが、電子ツールの普及と共に再び再構成されているという。
ケータイやスマホの普及により、近い距離の価値が高まった。
夜中に飲んでいるときにLINEで誰かを呼び出そうという場合、気安く声をかけめことがてぎるのは、15分の距離の場所に住んでいる友人である。
東京ではITベンチャーのオフィスは、主に渋谷と六本木に集中している。
IT企業で働く人達は、会社と近い場所に住み、仕事とプライベートが地続きの生活を送っている。
東京に拠点を置くITベンチャーは、近くに住む社員に何らかの家賃補助制度を導入している事が多い。
最初に、オフィス近くに住む社員への住宅補助を制度として広めたのは、サイバーエイジェントであり、この成功を見て多くのITベンチャーが制度として導入している。
サイバーエイジェントは、オフィスから2駅以内に住む社員に3万円の補助を出す制度を、2005年頃に福利厚生として導入し、この制度は「2駅ルール」と呼ばれている。
「2駅ルール」を導入して生まれたメリットに、社内コミュニケーションの活発化が挙げられる。
職住近接の生活の中で、社員同士が仕事終わりに飲みに行く機会が増え、「恵比寿会」や「三茶会」といった社内グループが生まれ、部署の垣根を越えた情報交換の場が生まれたという。
在宅勤務、テレワークに様々な企業が意欲的に取り組み、導入・拡充されつつある。
しかし、Yahoo!は2013年に在宅勤務の禁止を発表している。
Yahoo!が社員に向けた説明は、「在宅勤務により、スピードと品質が犠牲になります。私達はYahoo!として一つになるために顔を合わせる必要があるのです。」
現代の知識集約型産業における中心的な業務は遠隔化できないということをYahoo!は認識しているのである。
彼らが重視するものは、人と人の距離の近さによって生まれている。
『人は意外に合理的』の著者で経済学者のティム・ハーフォードは、「他人の近くにいること」で得られる効用は「頭がよくなること」であると指摘する。
なぜ頭が良くなるかというと、人は近くにいると「お互いに学びあう」からだという。
そして、「産業の知識集約度が高ければ高いほど、その産業は小さなエリアに集中する」という。
また『都市は人類最高の発明である』の著者エドワード・グレイザーは、都市に住むだけで3割増しの給与が得られると指摘する。
優秀な人が都市に集まるからではなく、都市に住むと人は「頭が良くなる」から生産性が高くなり、だから都市に住む人の平均給与が引き上げられるのだという。
都市への一極集中は、日本だけで起こっている現象ではなく、世界中の大都市で同時進行している現象である。
国連統計局のレポートによると、1950年には都市部人口が全体に占める割合は30%だった。
それが現在では世界の人口の半数は都市で暮らすようになり、2050年には66%になると推計されている。
世界的にも人類は都市で暮らすことを選択しようとしていることが分かる。
政策シンクタンクの日本創生会議が発表した「増田レポート」は、統計データを元に人口減少を調査し、多くの地方自治体の消滅可能性を示し、その衝撃は社会現象となった。
増田レポートをよく読めば、「拡散」を志向している訳ではなく、「多極」「集中」を打ち出していることが理解できる。
このレポートが推奨する将来の日本像は、県庁所在地クラスの都市にその周辺の人口を集積させ、東京への人口流出に歯止めをかけることで、人口減少を鈍化させることができるという提案となっている。
これに対して、現在進められている「地方創生」は、全ての地方自治体が生き延びようという、「地方への人口分散」を目指す方向に向かっている。
人口減少社会に必要なのは、「人口の集積」である。
地方創生において、明確に東京圏への流入を減らし、地方移住を増やすという「拡散」の方針が明確に打ち出されている。
地方創生が打ち出す基本目標は「2020年までに東京圏から地方への転出を4万人増加」「2020年までに地方から東京圏への転入を6万人減少」させることだという。
国土交通省・国土政策局の「国土のグランドデザイン2050」の関連資料「首都圏への人口集中・欧米諸国との比較」によると、総人口における首都圏人口の比率が、欧米先進国が軒並み20%以下であるにもかかわらず、日本だけが30%に近づいている。
一方で、国連統計局の「都市化率」では、80%に近いアメリカや、70%のヨーロッパ諸国に対して、日本は66%と低い。
さらに日本の都市化率の上昇は、1990年代以降、鈍化している。
経済合理性に任せておけば自然に大都市圏に集中していたはずの人と経済資源を人為的に地方に押しとどめようとする背政策が、「国土の均衡ある発展」という政策方針の正体である。
by 増田悦佐『都心回帰の経済学』
日本で戦後に人口が都市に集中したのは、高度経済成長期、バブル経済期、そして現在と、経済の状況がよい時期である。
景気がいい時代に都市部に雇用が生まれ、人口移動は景気と連動する。
好況期に人口集中が進み、不況期には人口集中は止まる。
1993年からの4年間は、東京圏への転入を転出が超過している。
選挙では「一区現象」と呼ばれるものがある。
選挙区において一区となる都市部においては、自民党のベテラン政治家でも革新勢力に苦戦、または負けることがある。
浮動票の割合が多い都市部の選挙は、地方よりもその時期の話題の政治問題に流されやすい。
逆に、都市部では地方ほど個々の選挙民の利益が政治によって決定しないので、利益誘導の政治は都市に向かない。
戦後の日本を作った都市政策は集中よりも分散に偏っていたといえる。
都心の分散の中心となる政策は、1950年代末に策定され、1970年代以降に整備されていく「副都心計画」である。
戦前から戦後にかけての新宿、渋谷、池袋は、皇居を中心とした半径5キロに分散している郊外の将棋用集積地でしかなかった。
1960年に決定した「新宿副都心計画事業」では、高層ビル街化の構想が具体的に示され、1970年代後半に新宿は最も集積度の高いビジネス街に生まれ変わる。
東京は都心からではなく、周辺の地域に分散しながら発展を遂げていくことになる。
東京都心への人口集中の受け皿となっているタワーマンションが急速に増えたのは、2000年以降のことである。
規制緩和の一環として「高層住居誘導地区」が1997年に成立し、容積率の上限が600%となり、日影規制が適用除外されたことにより、超高層住宅の建築が可能となった。
タワーマンションは供給数を伸ばし、2006年には全供給戸数に占めるシェアが19.3%まで伸びている。
極めて都心に近い場所に大量の住宅供給が行われているため、東京の地価高騰が押さえられている事は、タワーマンションの功績といえる
かつての「国土の均衡ある発展」という国策を「都心集中」に切り替えた理由の一つに、バブル経済期の都市政策失敗への反省があるという。
バブル期の東京都心部の土地は投機の対象となり、土地価格が異常なまでに高騰した。
当時の安すぎる土地保有税が土地活用の邪魔をし、多くの土地保有者は有効に活用するよりも転売目的で土地を休眠状態にしたのである。
オフィスのための土地を適切に供給することで地価の高騰を抑え、土地保有税を高くすることで土地活用のインセンティブを高めることができれば、このような事態は避けられた。
バブル時代に、都心が床不足になり、郊外の人口が増え、都心のドーナツ化が進んだ。
郊外化が都市経済、都市文化にとってマイナスでしかないことは近年は常識となっている。
このような反省を踏まえて、土地保有税を引き揚げ、都心集中を規制する方針の撤回がバブル後に行われた。
これにより、1990年大以降に急成長した家電量販店やファミリーレストラン、ファーストフード産業などの郊外型ビジネスモデルにとっては逆風の時代となり、都心型店舗へのシフトを余儀なくされている。
現在の都心中心部への人口集中が始まったのは2000年代半ば以降のことに過ぎない。
2000年代前半に、日本は国土政策における大きな転換を行った。
戦後から2000年代に至るまでずっと貫かれてきた「国土の均衡ある発展」という国策を放棄したのである。
都市に集積・集中をさせない法整備として1959年に「工場(等)制限法」が制定され、大都市圏における人口過密化を是正し、経済成長の恩恵を全国に平等に配分することを目的にしていた。
しかし、2002年に同法は廃止され、かつて郊外に移転していた大学が、キャンパスを次々と都心に戻し始めてしまう。
他にも、低成長時代に入ってから施行された「工場再配置促進法」も、都市部で発展するはずの工場に、補助金の支給や優遇金利による融資を行い、地方に移転させようという趣旨の法規制だが、同法も2006年に廃止された。
これらは産業の集積にかかわる規制緩和だが、住宅に関しての都心集中に対する規制緩和として、1997年の「構想自由宅誘導地区」の成立による容積率、日影規制の緩和により、人口の都心部回帰の受け皿としてのタワーマンション建設が急増することになる。

2016年12月30日金曜日

生まれた場所、自分が育った場所から移動できる人と、移動できない人の間に、所得格差が開きつつある。
都市社会学者のリチャード・フロリダは、『クリエティブ都市論』の中で、社会的な階層の移動と地理的流動性は、密接にかかわると指摘している。
そして、それを踏まえた上で「移動する能力の有無によって、人生の可能性が大きく左右される時代が到来している」と指摘している。
アメリカ人は転居の理由に「就職または転職」を挙げるのは6人に1人以下であり、アメリカ人は自発的に移動を行い、新天地で後から仕事を見つけるのだという。
また、これまでの常識では収入格差は職業選択、それにつながる教育格差から生まれると信じられてきたが、『年収は「住むところ」で決まる』の著者でる経済学者のエンリコ・モレッティは、「今日の先進国では、社会階層以上に居住地による格差の方が大きくなっている」という。
個人の技能よりも住む場所の方が、重要になるつつあるという。
つまり、人は職業は何であれ、上手くいっている都市に移住すれば経済的恩恵を享受できるという。
「都市間格差」が広がる時代に、アメリカでは、いかに住む場所を選ぶかが、人生の成功において重要になるというのである。
毎日新聞とNHK、明治大学地域ガバナンス論研究室の小田切徳美教授による共同調査グループが実施した「地方移住」の政策による人口移動に関する実態調査がある。
調査の結果、2009年度に2864人だった「地方移住者」は、4年後の2013年度には8181人に、翌2014年度には1万1735人と、5年の間に4倍以上に増加していた。
ちなみに、2015年の東京から転出数は37万人、転入数が46万人であり、地方移住者増加数はごく僅かでしかない。
地方移住がブームのように感じるのは、メディアが大きく取り上げてるからである。
これは未来の破綻を突き付けられた地方自治体が、住宅支援、子育て支援金制度を導入すると共に、若い世代の誘致競争のPRマネーがメディアを潤しているからである。
戦後ほぼ一貫して都市部への人口一極集中は続いているが、現在起こっている東京一極集中は、これまでのものとは違った特徴を持った現象になっている。
かつてのような3大都市圏に人口が集まる状況は無くなり、東京圏だけに人口が集まるようになっている。
総務省が2016年1月29日に公表した2015年の住民基本台帳人口移動報告によると、東京圏への転入超過は11万9357人、前年比9949人増と、転入超過は20年続いている。
しかも転入超過の数は5年に渡って各大使、東京一極集中は加速度的な現象となっている。
一方で、名古屋圏は1090人の転出超過で3年連続の転出超過となっており、大阪圏は9354人の転出超過で、こちらも3年連続の転出超過となっている。
また現在の人口集中は、東京の中心部への集中なのである。
国勢調査の2010年~2015年の人口推移は、東京都は35万4000人増、神奈川県は7万9000人増、埼玉県は6万7000人増、値は源は8000人増である。
さらに、東京の中を個別にみると、23区の中で人口増加率(2015年1月現在)が高いのは、千代田区の5.1%、中央区の3.9%、皆さくの2.4%と、中心に位置する3区となっている。
東京周辺部でも既に人口減少段階に入りつつあり、東京都も2020年をピークに人口減少に突入するが、これら中心部の3区については、2030年まで人口増が予測されている。

2016年12月29日木曜日

23区で最高所得水準を誇るのは港区の903.7万円だが、一方で最下位の足立区は323万円と、2.8倍の格差があると指摘され、あまり評判がよくない。
しかし、足立区は実際には、日本のへ宇金に近い所得水準に過ぎず、異常なのは港区と考えるべきである。
足立区の所得水準が低いのは、クラスター分析によると、足立区のクラスターの18%、5万6000世帯が高齢者地区に分類されており、古くからの住民が住む地域だからなのである。
HOME'S総研が、住む場所の良し悪しを測る指標の必要性に気づき、開発した結果、「セクシュアス度」という指標を提唱している。
指標化しにくい「行きつけの店」が作れる街、歩いて楽しい街の姿が現れてくるような指標が「セクシュアス度」である。
「セクシュアス」とは官能的という意味だが、都市生活における身体性に関わる項目で、都市住民へのアンケートを行い、住民のアクティビティの豊かさで都市の魅力を測る物差しを提案しようという趣旨だという。
具体的にポイントとされる項目、アンケートの中身は以下となっている。
1.「共同体に帰属している」=ボランティアへの参加度やなじみの店の有無
2.「匿名性がある」=1人だけの時間を楽しんだり、昼間から酒を飲んだ経験
3.「ロマンスがある」=データやナンパの機会、路上キスの経験
4.「機会がある」=知人ネットワークから仕事に繋がった経験
5.「食文化が豊か」=地ビール、地元食材を使った店の有無
6.「街を感じる」=街の風景を眺めたり、喧噪を心地よく感じた経験
7.「自然を感じる」=高遠水辺、空気などに触れて心地よく感じた経験
8.「歩ける」=通りで遊ぶ子供達の超えを聞いた経験や寄り道の誘惑の有無
これらのポイ頓の合計点で示されるのが、街の「セクシュアス度」ということになる。
この「セクシュアス度」調査で、最も高いポイントを獲得した街は「文京区」で、2位は「大阪市北区」、3位は「武蔵野市」、4位は「目黒区」、5位は「大阪市西区」となっている。



Sensuous City[官能都市]  ―身体で経験する都市;センシュアス・シティ・ランキング

2013年に発表された「首都圏乗降客数上位200駅『2020年人口成長駅証券ランキング』」によると、2020年に成長性が高いと推計される駅商圏は、以下の駅となっている。
1位 月島
2位 人形町
3位 八丁堀
4位 葛西
5位 茅場町
逆に、人口が減少すると予測される駅は以下となっている。
200位 阿佐ヶ谷
199位 高円寺
198位 荻窪
197位 西荻窪
196位 中野
このランキングは、2020年の推計人口という将来データを基準として、現在の人口から増減数データに着目し、駅商圏の将来性を分析したものである。
東京の中心部への人口集中は、ここ10数年の間に起こり始めた現象に過ぎない。
最も都心である港区の統計データを見ると、高度経済成長期が終わると同時に、人口は減少している。
高度経済成長期には最大25万6000人となった港区の人口は、バブル経済の最中には19万人を割り、1996年には15万人割れの底となる。
その後、微増段階に入り、2006年から2016年までの10年間で、38%も人口が増加している。
しかも、2000年代以降の港区は、急速に住民の所得水準が高くなっていくという変化を見せる。
この港区の所得水準の上昇は、元々港区に在住している住民の所得が上がったのではなく、外から高額所得者が流入してきたことによってもたらされている。

2016年12月27日火曜日

「マイホーム願望」を統計データで確認すると、1955年の住宅事情調査では、住宅改善を希望する世帯の中で持ち家を志向する世帯の割合は52%だった。
それが、1966年には74%に、1969年には90%に上昇していく。
国土交通省の「建築着工統計調査報告」によると、戦後最大の着工戸数を記録したのは、1973年である。
戦前の1941年の大都市住宅調査によると当時の持ち家率は22%に過ぎず、戦前の都市部では住宅の大半が賃貸住宅だった。
それが、戦後に急速に持家率は高まり、1958年には71.2%と最大値となっている。
こうした持ち家率の上昇を後押ししたのは、1950年に施行された「住宅金融公庫法」によって、長期の固定金利の住宅ローンを供給した「公的援助」だった。
日本住宅公団も、賃貸住宅から住宅宅地分譲事業へ移行し、中間層の持家購入を促した一方で、低所得者向けの住宅供給は残余的な施策とされた。
明治末期から大正にかけて、東京の東側の城東地区一帯に住んでいたのは、元々貧した地方から東京に仕事を求めてきた流入者だった。
彼らは、日雇、土方、車夫、運送業などに従事する「都市下層民」で、当初は東京全域に点在していた彼らは、明治の中頃から「下谷・浅草区」に集まり、明治後半から次第に「本所・深川区」といった地域に定着し「貧民窟」を形成した。
大正時代には、彼ら貧民窟の住民の生活は大きく変わり、第一次世界大戦を機に、造船業を中心とした産業の発展期を迎え、本所・深川周辺は町工場が集積するエリアへと変化し、工場労働者となった下松の産業化を下支えする存在となっていった。
こうした町工場の周辺に労働者が住み、その街に商店街が発生し、下町となった。
東京の西が「新中間階級」が住む郊外の住宅地、東が「労働者階級」が住む下町という大まかな社会階層の違いが、東京の「西高東低」の原点だった。
東京が「西高東低」になった時期は、意外と古く、大正時代前後に始まる住宅地り郊外化が発端といえる。
1923年の関東大震災で東京の東側は壊滅的な状況となり、東京の住宅地が西に向かって行ったのは、この震災復興以降の以降のことである。
そして、鉄道網の発展ともに郊外化が東京の西側に向かって行った。
人が一生の間で引越しをする回数のことを「生涯移動回数」という。
簡単に算出することができない指標ではあるが、2003年に国立社会保障・人口問題研究所が出している「年齢区分別転居回数」などを根拠に、日本人の平均生涯移動回数を算定すると、4と5の間くらいになる。
この数値は、先進国の移動事情と比べると少ない数字で、アメリカの生涯移動回収はこの4倍になるという。
都市の規模が2倍になるごとに給与は10%増えるが、物価は16%高くなる

by ティム・ハーフォード 『人は意外に合理的』

2016年12月26日月曜日

悩んでも悩まなくても、結果は変わらないことが多い。
決定の正しさは、悩んだ時間とは無関係で、長時間悩んでも正解率は上がらないことが多い。
経営における意思決定は、スピートが全てである。
間違えに気づけば、直す意思決定を素早くすればよい。
「考える」というのは、「体験から得たデータを頭の中から探してくる時間のこと」であって、体験していない人は、そもそも考えらない。
多くの体験をしている人だけが、「考える」ことができる。
新しい事を試みる時に、成功する確率が50%とした場合、たとえ当てずっぽうでも50%の確率で当たることになる。
失敗したら、もう一度やり直すと失敗確率50%の半分の25%ととなるので、成功確率は75%ととなる。
このように考えていくと、6回も失敗すれば、成功確率は99%になる。
経営で大切なのは、失敗しないことではなく、トライ&エラーを繰り返しながら、少しづつ正解に近づいていくことである。
銀行の格付けが7以下の会社(業績が不安定な要注意先)が、3年間125%以上の増収増益をすると資金ショートによって黒字倒産する。
会社の利益の半分は税金で、残り半分、つまり利益の25%を予定納税として納付することになる。
残りは利益の25%になるが、この25%が在庫や売掛金になっていたら、借入金の返済さえできなくなってしまう。
会社には最低でも、月商と同額の現金を用意しておく必要がある。
ちなみに、リーマンショックによって倒産した上場企業のうち、3分の2が黒字倒産だった。
今や世界最大のベンチャーキャピタルは、かつて自らが起業した経験を持つ「アンドリーセン・ホロウィッツ」である。
インターネット閲覧ソフトのネットスケープを開発したマーク・アンドリーセンと、オプスウェアのCEOを務めたベン・ホロウィッツが、2009年に創業したVCである。
同社は、共同創業者の二人が自分達の資金を元に投資しているため、全て他人から預かった資金を運用している大手VCより決断が速く、リスクも取れるという強みがある。
ヘアケア製品で、メーカー別シェアNO1を誇る花王のセグメント。
〇「アジエンス」美容に感心のある若い女性/高級志向
同ブランドの中でも髪質によって「軽やかに仕上がるタイプ」と「しっとり仕上がるタイプ」にセグメントされている。
また、さらに「より高い美容意識を持つ女性」をターゲットに、「アジエンスMRGURI」シリーズを2015年秋に投入。
〇「エッセンシャル」20~40代の女性/髪質が気になる層
「ダメージケア」というコンセプトで誕生したブランドで、酷く痛んだ毛先までしっとりまとまる「リッチダメージケア」、乾燥しがちな紙もふんわり潤う「エアリーモイスト」、さらさら軽やかやわらかな指どおりの「フリー&スムース」の3つに更にセグメントしている。
〇「セグレタ」40代の女性/高級志向
髪のアンチエイジング機能を持たせることで、特に40代の女性にターゲットを絞っている。
〇「メリット」フケかゆみが気になる層
1970年、フケ・かゆみ防止機能を前面に打ち出して登場し、一躍人気ブランドとなった。
他にも頭皮トラブルほ防ぐための薬用シャンプー「キュレル」、メンズヘルスケアブランド「サンセス」など、ターゲットを絞った商品をセグメンテーションしている。
セグメンテーションの真逆に、「どんぶり」をぶつけたのが1989年にライオンが発売したリンスインシャンプーの「ソフトインワン」である。
「これ1本あればいい」という「どんぶり戦略」が功を奏し、今なお売れ続けているロングセラー商品となっている。
よく「レストランを開きたい」と言う人がいる。
しかし、レストランの厨房で1日23時間は働く覚悟がなければ、また稼ぎがまったくなくても「この仕事が本当に好きだから」と言えるようでなければ、やめたほうがかいい。
by フィル・ナイト(ナイキ創業者)
ナイキは、スタンフォード大学でMBAを取得したフィル・ナイトが創業した会社で、創業時は日本メーカー「オニツカタイガー」(現在のアシックス)からスポーツシューズを輸入販売していた。
ところがその後、オニツカタイガーの販売権を失ってしまい、独自ブランド、独自デザイン、独自供給源を持たざるを得なくなった。
その選択が、ナイキ(当初の社名はブルーリボンスポーツ)を誕生させ、世界を席巻していくこととなる。
ナイキが世界的企業に成長した1つの要因は、人気スポーツ選手のすぼんたーになった事であり、その1人が「バスケットボールの神様」と称されるマイケル・ジョーダンで「年間50万ドルの5年間契約」という当時としては破格のオファーを提示し、アディダスと契約するとみられていたジョーダンとの契約を勝ち取る。
ペットフード協会の「2014年全国犬猫飼育実態調査」によると、ペットの飼育数は、犬1034万6000匹、猫995万9000匹。
またペットの室内育成の割合は、犬80.5%、猫85.8%と年々増加している。
2014年のペット用品市場は1兆4412億円となっている。
年少人口(0~14歳)が1639万人なのに対して、犬と猫の飼育数は合計で2030万匹と、犬猫の方が多い。
アメリカのペット用品工業会(APPA)の推計によると、アメリカ国内の2015年のペット市場規模は606億ドル、全世帯数の65%にあたる7970万世帯でペットが飼育されている。
日本の「できちゃった婚」の割合は、25歳未満で5割にのぼり、全体では結婚しているカップルの2割が「でき婚」である。(2010年国立社会保障・人口問題研究所「第14回出生動向基本調査」)。
しかし実際には、妊娠した場合、「でき婚」か「中絶」かを迫られ、事実婚を社会的に認めていない日本では、中絶を選択するケースも多い。
一方で、シングルマザーとして生きていくには、現在の日本の社会制度では生活の困窮が避けられない。
フランスでは、出生率を回復させるために、家族関係に対GDP比で3%の予算を使っている。日本は1%しか使っていない。
フランスでは子供の数が増えれば増えるほど、育児給付の金額が大きく増加すると同時に、所得税が減税されるため、子供の数が増えるに従って家計はプラスに作用する仕組みになっている。
日本の合計特殊出生率は1.42(2014年「人口動態統計」)であり、この数字はOECD34ヵ国の中でも下位であり、急速に少子高齢化が進んでいく。
現在の社会状況に変化がなければ、今後30~40年後には労働人口が大幅に減少していき経済が縮小し、国債デフォルト、ハイパーインフレのリスクが高まることは極めて正確に予見できる。
「伝説の経営者」と呼ばれたGEのジャック・ウェルチは在任期間の20年で売上を5倍に増やした。
その後、2001年に後指名されたジェフリー・イメルトは、就任後5年間で60%も利益を増やした。
2014年時点で、GEは世界175ヵ国に30万人の従業員を抱え、1486億ドルの売上を誇る企業となっている。
2015年11月の発表によるとAirbnbを使って日本を訪れる外国人旅行者は年間52万5000人で、前年比5倍以上となり、物件数も2万1000件と前年比4倍近くに増えている。
新幹線の新駅はこれまで地元の陳情が理由であることが多かった。
例えば1988年に誕生した「三河安城駅」(総事業費137億円)、「新富士駅」(総事業費133億円)は共に、請願駅であり、総事業費は地元が負担した。
ところが、2003年10月に開業した品川駅は地元の要望はなく、総事業費950億円を全てJR東海が負担した。
2013年の東海道新幹線の1日平均乗客数は東京駅が9万3354人、京都駅3万4490人、新横浜駅が3万817人に対し、品川駅は3万3000人と多い。
JR東海としては、JR東日本に対抗して、「自分の駅」を東京に開業する念願もあったが、その先にはリニア中央新幹線の始発駅を品川駅にしてしまうという、隠し玉まで用意されていたのである。
ニューヨークを拠点に、起業家にオフィススペースをレンタルしている「WeWork」は、事務所を又貸し、礼金や保証金が必要なく、面倒な契約手続きもネットで簡単にできてしまう。
顧客の中心は起業家で、事務所、会議室等の共有スペースを提供している。
ニューヨーク、サンフランシスコ、オースチン、ロンドン、テルアビブ、トロントなど30ヶ所を超えるオフィススペースを持っていて、2万3000人の顧客が利用しているという。
月額45ドルから数千ドルのオフィスまであり、それとは別に350ドルで無制限級友エリア・オプションがある。
このオプションは、空きがある限り、世界中のどの「WeWork」も1ヶ月間無制限に使用できる。
同社は創業してわずか5年で、推定企業価値6000億円の会社に急成長している。
世界各国でタクシー業界に挑戦状を叩きつけているのが、スマホのアプリを使ったタクシー配車サービスの「ウーバー(Uber)」である。
ウーバーは2009年にアメリカで設立された会社で、スマホの専用アプリから近くにいるタクシーを呼ぶことができるという短銃んサービスを提供している。
呼ぶとやってくるのは、ウーバー保有のタクシーだけではなく、同社と契約している個人タクシーや一般ドライバーが運転する車である。
世界共通のアプリで、自国語で行き先を指定でき、支払は事前登録したクレジットカードで自動決済され、運転手に直接支払う必要はない。言葉が通じない外国でも、ぼったくられる心配がないのである。
乗車料金もサービスの種類でセグメントされており、ボストンで3マイル(5キロ)を利用した場合、高級ハイヤーの「ウーバーブラック」なら25ドル、普通タクシーだと15~20ドル、一般ドライバーの自家用車に相乗りする「ウーバーX」なに7~10ドルと事前に料金の目安も表示される。
利用者数は急拡大し、日本など世界68ヵ国、360都市で100万人以上の登録ドライバーが存在している。
「先行的な企業」を見つけ出すのに便利な「デトロイトテクノロジーFast500」というランキングがある。
世界最大の会計事務所デトロイト・トウシュ・トーマツが1990年代から行っているTMT(テクノロジー、メディア・通信)業界の急成長企業を売上成長率でランキングしており、企業が5年間で何%成長したかが分かる。
例えば北米1位で2009年から2013年で12万3678%の伸び率となった「モバイルアイアン(MobileIron)」は、2007年にカリフォルニアのマウンテンビューで創業された会社で、2011年には日本法人が設立されている。
この会社はIT関連ソフト開発やITコンサルティングを行っているが、特徴はスマートフォンなどのモバイルに特化しており、日本でもJALグループや資生堂、高島屋が導入している。
ちなみに、日本はアジア・太平洋地域でトップ500に入った企業は45社しかなく、中国は100社、インド、タイ本は90社、オーストラリア74社、ニュージーランド51社、韓国47社を下回っている。
日本に鉄砲が伝わったのは、桶狭間の戦いの17年前の1543年で、ポルトガル人を乗せた南蛮船が種子島に漂着した際に手にしていたのが、当時の最先端の武器である火縄銃だった。
当時の日本人は、すぐに火縄銃の国産品を作り、瞬く間に全国に広がり、戦国時代には日本は50万丁以上を所有していたと言われる。
これは当時としては、世界最大の十保有数である。
つまり、50年足らずで世界のトップに躍り出たのである。
世界で初めて「カメラで写真を撮った」のは、1826年にフランスのニエプスという科学者だったと言われている。
やがて1841年に「ネガ・ポジ法」、1851年には「湿板写真法」、1871年には「写真乾板」という方法が発明され、1880年代にフィルムが登場した。
その後20世紀末まではフィルムカメラ全盛の時代となっていく。
日本で最初に普及したデジタルカメラは、1995年3月発売の「QV-10」(カシオ計算機)で、フィルムカメラが誕生してからデジタルカメラに移行するまで100年以上の歳月が経過している。
その後、2000年11月にJ-PHONEからデジタルカメラ付き携帯電話「J-SH04」(シャープ)が発売されて以降、デジタルカメラは携帯電話の機能の1つになってしまった。
もちろん、デジカメの技術開発は続いており、「QV-10」の総画素数25万画素から、2015年9月にキャノンは2億5000万画素のCMOSセンサーを開発しており、20年で1000倍になっている。
小さな穴を通して外の景色を見るというカメラの概念が巻変えだされたのは紀元前で、カメラが誕生するまでに1800年以上の年月がかかった。
フィルムカメラからデジタルカメラに移行するまでに100年。
携帯電話に取り込まれるまでに5年。
こうした変化スピードの信じられない速さことが、デジタルの特徴そのものなのである。
日本ではVISAに比べるとアメックスが使える店舗は多くないが、日本以外のビジネスマンが使用しているのは、圧倒的にAMEXである。
理由は、アメックスは法人全体の決済も請け負っているからで、アックスと契約している企業は、社員全員にアメックスカードを持たせ、出張の支払を全てアメックスで支払わせることで、経理処理が容易になるのである。
また、アメックスは企業ごとにディスカウントレートが違ってお、ホテルやレンタカー会社、レストランと個別に交渉して、ヘビーディスカウントを可能にし、企業によっては20%オフや50%オフという提案をしてくる。
企業にとってみれば、アメックスのカードを社員に持たせるだけで、出張費が安くなるのである。
また、アメックスは大都市の一流レストランの最も良い席をプラチナカードメンバーのたるに常にリザーブしており、上客がその街を訪れた際には、予約まで請け負ってしまい、トラベル・コンシェルジュの役割も果たしてくれる。
アメックスが、クレジットカードの世界シェア4位でありながら、一貫して「ステイタス性では世界ナンバーワンのクレジットカード」と言われ続けている理由がここにある。
日本ではまだ、アメックスが日本企業の法人部門を取り込めていないので、アメックスの強さが分からないだけなのである。

2016年12月23日金曜日

セブン-イレブンのプライベートブランド「セブンプレミアム」の年間販売額は、開始時の2007年の800億円から、2014年には8150億円にまで拡大している。
イオンのPB「トップバリュー」の販売規模を既に上回り、近い将来、国内小売のPBとして初の1兆円超えが見込まれている。
セブン-イレブンは、熱狂的なファンを持つ「ガリガリ君」をPBに取り込んでしまい、「セブンプレミアム」史上初の共同開発商品で、PBにもかかわらず、本来の製品ロゴとPBロゴが並ぶパッケージで売出している。
缶コーヒーについては、2010年にまずUCCと手を組み、「ブランド買い」が多い缶コーヒーファンを取り込む戦略で、「セブンプレミアム」の缶コーヒーね年間販売額は4900億円まで拡大に成功した。
さらに2014年には業界2位のサントリー「BOSS」と組み「ワールドセブンブレンド」を売り出し、缶コーヒーの年間販売額は8750億円まで増やしている。
にもかわらず、2015年には業界1位の日本コカ・コーラ「ジョージア」と手を組んだ。
またセブン-イレブンのPBは進化し、2010年9月には「セブンプレミアム」のワンランク上の「セブンゴールド」を誕生させ、「金の食パン」「サントリー金のビール」など高価格商品を販売している。
「金の食パン」は単価が250円と通常の食パンの倍近い価格ながら、発売2週間で65万個を売り上げている。
セブン-イレブンは2013年1月に、コンビニ発の本格コーヒーを100円で提供する「セブンカフェ」を開始させている。
「セブンカフェ」は現在では、年間7億杯販売されており、単純計算で700億円となっている。
セブン-イレブンは、「セブンカフェ」をスタートさせる前に、全国1799店舗で試行販売を行った結果、客数が増え、調理版の売上が3割増、スイーツは2割増となったという。
セブン-イレブンのヨーロッパ進出は、北欧に偏っていて、デンマーク189店舗、スウェーデン185店舗、ノルウェー156店舗となっている。(2015年12月末)
ストックホルムのセブン-イレブンは、街並みに溶け込んでいるが、スタバックス並みのカフェと併設されている。
オーストラリアでは、セブン-イレブンはガソリンスタンドと組み合わさっている。
ICカード乗車券は、1992年にフィンランドのバス会社が導入したのが、世界初だが、ソニーの「FeliCa」は1988年に研究が開始されている。
1994年には香港のオクトパス社が採用を決定し、その3年後の1997年から「オクトパスカード」として導入されている。
JR東日本の「Suica」が2001年開始なので、ソニーの「Felica」は10年以上先行していたのである。
しかも、ソニーは共同出資会社「ビットワレット」を設立し、電子マネー「Edy」を2001年から開始している。
この「Edy」は「Felica」の技術である。
ちなみに「Edy」は将来、ユーロ(Euro)、ドル(Dollar)、円(Yen)に並ぶような世界通貨となることを目指して、それらの3通貨の頭文字を取って命名されている。
しかし、ソニーはEdyの事業そのものを楽天は売却してしまった。
もし、ソニーが大きな視点を持ってビジネス展開をしていたら、「Felica」は世界標準を取っていた可能性もある。
ペンシルバニア大学ウォートン校のジェリー・ウィンド教授は、共著『インポシブル・シンキング』で、固定観念をいかにして打ち破るかを説いている。
「百聞は一見にしかず」という諺があるが、決してそうではなく、既にあるものを見る前に固定観念でがんじがらめになっており、見たものを固定観念通りに解釈してしまうという。
固定観念にとらわれているということは、これまでの発送から抜け出せないということなのである。
固定観念にとらわれやすいからこそ、そこから抜け出した一握りの人間が、情報格差によって成功する事ができるのである。
新興国へのBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)は、生産工場からホワイトカラーや専門職に広がっている。
英語が公用語のフィリピンでは多くの知的ワーカーが誕生している。
多国籍企業の会計士はアメリカ人ならば月給5000ドルの高給取りの部類だが、フィリピンなら数百ドルである。
実際に、既にアジア最大の会計事務所はフィリピンにある。
金融アナリストやIT管理者などの専門職も同様で、アメリカ人の金融アナリストならば月給7000ドルだが、インド人なら1000ドルで済み、IT管理者はアメリカ人が月給1万ドルで、インド人は500ドルで済む。
インドのアラヴィンドは、「西洋の下位中流層の多くがファストフードを買えるように、途上国の人にも手が届く白内障施術を提供する仕組みを作る」という信念のもとに設立された眼科専門病院である。
アメリカで白内障手術を受けると1600ドルかかるが、アラヴィンドでは10ドルで受けられる。
10ドルという低価格を実現するために、白内障手術の機器と医師を24時間稼働させ、相対的に価格を低く抑えることに成功している。
この病院の眼科手術は医師1人あたり年間平均2000件という。
一方のアメリカでは年間200件程度である。
その代わり、アラヴィンドでは予約を入れると「〇日の午前3時50分に来院してください」と、深夜・早朝の時間を指定されることもあるという。
インド最大手のアポロ病院グループは、インド初の株式会社病院てせ、病院数は50を超え、クリニックは100以上、病床数8500床、医師4000名を要するアジア最大規模である。
特に心臓手術が有名で、グループ全体で累計5万5000件の心臓外科手術を行い、成功率は99.6%と公表している。
他にも、タミル・ナドゥ州にある眼科専門のアラヴィンド、デリーを拠点とするマックス・ヘルスケア、バンガロールを拠点として骨髄・腎臓移植を数多く手掛けるマニパル・ホスピタルズといった株式会社病院は、インド国内に数百か所もある。
インドのメディカルツーリズムの市場規模は30億ドル、訪印患者数は年間23万人と世界第5位となっている。
その市場規模は2018年には60億ドル、訪印患者は40万人に増えると予測されている。
メディカルツーリズムの先進国はタイだが、インドはタイよりも医療費が安い。
例えば肝臓移植手術をアメリカで受けると50万ドル、タイでは7万5000ドル、インドでは4万ドルで済む。
平均すると、インドの医療費はアメリカの10~20%である。

2016年12月22日木曜日

ソニーは「ウォークマン」を世に送り出し、世界の音楽シーンを変革した。
このウォークマンを生み出した背景には、アメリカの若者たちが大きなラジカセを手に持って街を闊歩しているのを見て、「この人達は歩きながら音楽を聴きたいのか」と気が付いたという。
世界には、日本人が知らない事が、まだまだ無数にある。
その情報格差に注目すれば、新しいアイデアが出てきてビジネスチャンスにもなる。
ソニーの創業者の一人である盛田昭夫は、社用車で成田空港に向かっていた時に、空港から数キロ手前でオービスを見つけた。
盛田は間髪を入れず秘書室の電話をして、「成田空港の手前にスピード取締りのカメラがついている。捕まらないように注意しろと全社に知らせておけ」と命じたという。
情報共有していないことで、社員が不利益を被るのは損だと考えたという。
コヒーの味の一番の決め手は水質であり、コーヒー豆の産地はあまり意味はない。
ブルーマウンテンのような高級豆でも、コロンビア産の廉価な豆でも、良質の水で淹れると、殆ど違いが分からない。
シャープは一時は液晶テレビの国内シェア8割を占めていたリーディング・カンパニーだった。
2001年に商品化された液晶テレビ「AQUOS」が人気を呼び、2002年に2兆円だった売上は、2007年には1.5倍の3兆4177億円と急拡大した。
2004年には総投資額1000億円の液晶製造工場の亀山第1工場が稼働する。
シャープは、事業の軸足を液晶テレビに移し、結果2002年に売上850億円、出荷台数90万台だった液晶テレビは、2006年には売上6135億円、出荷台数603万台となり、同年に亀山第2工場が稼働する。
「亀山モデル」ブランドが、世間を賑わせたシャープ絶頂期となる。
しかし、2008年秋のリーマン・ショック後に、液晶パネルは年率30%の価格下落に見舞われ、コモディティ化し値下げ競争に巻き込まれていった。
技術的に優れていても、ユーザーから見た時に差を感じられなければ、「差異」にはならない。
「自社が何を提供できるか」から発想するのではなく、「ユーザーが何を求めているのか」を問い続けねばならない。
西武信用金庫は、減り続ける中小企業の後継者育成支援の教育事業も行っている。
〇西武事業継承支援センター
事業承継問題の解決のために、多分野の専門家や連携機関のノウハウを活用できるワンストップサービスを設置している。
〇西武事業支援センター
戦略論や財務論、企業経営論など3回のシリーズで、年間9回に渡りワークショップ形式で後継者セミナーを開催し、それぞれ20人以上参加している。
〇西武ニューリーダーズクラブ21(SNL21会)
「若手経営者育成会」とも呼ばれ、一部の新店舗を除き、63支部にSNK21が設置され、次世代を担う若手経営者へ地域の人脈・ネットワーク作りの場を提供している。
会員数は1793社を超え、年に一度、全会員を一同に会したセミナー・懇親会を開催している。
西武信用金庫の入社志願倍率は100倍と、人気企業となっている。
入社説明会に参加希望する学生は毎年2万人、実際にエントリーする学生は1万人を超えている。
全国の信用金庫の一人当たり直接人件費の平均490万円に対し、西武信用金庫は626万3千円と非常に高い。
これに退職金や失業保険を含めると850万円となる。
西武信用金庫には72支店(2016年9月現在)あり、本店長の年収4千万円から、一番下の支店長の1200万円まで序列がある。
32歳で年収500万円から一気に年収1300万円の支店長に、抜擢された者もいる。
他にも20代で年収1000万円の者もおり、清掃を担当する職員にも期末賞与が支払われる。
ちなみに西武信金の職員数は1200人程度である。
<2013年 信用金庫の不良債権比率ランキング>
         不良債権比率  預金残高  貸出金額
1位 遠軽信用金庫   1.63%  2695億円  1337億円
2位 目黒信用金庫   1.84%  1524億円  852億円
3位 西尾信用金庫   2.21%  9568億円  4379億円
4位 大阪商工信用金庫 2.29%  3398億円  2380億円
5位 中栄信用金庫   2.50%  3683億円  1382億円
6位 西武信用金庫   2.84% 1兆4151億円  9940億円
信用金庫267の中で、6位の西武信用金庫は、預金量、貸出金額からすると、実質的に信用金庫ではトップといえる。
ちなみに西武信金の不良債権比率は、2015年3月期には2.34%、2016年3月期には1.74%となり、信用金庫業界の平均6.3%の3分の1以下となっている
預貸率とは、預金者から預かった預金のうち、どのくらい銀行の経営活動の中心てせある融資に回っているかを示す数値で、銀行の本業の効率さを表している。
特に信用金庫は、地元活性化を推進する存在として、最も大切な指標となる。
西武信用金庫の預貸率は、銀行の平均値を超え、信用金庫ではトップとなっている。
<西武信用金庫の預貸率の推移>
2011年  68.9%
2012年  70.3%
2013年  70.2%
2014年  71.5%
2015年  72.9%
2016年  76.1%
金融機関全体では、銀行114行の2015年3月期の国内銀行の預貸率は6年連続で低下しており、平均で67.74%となっている。
大手銀行の9行の預貸率の平均は65.05%、第二地銀の平均は73.26%、信用金庫の平均は47%である。
ちなみに、預貸率が前年度と比較して上昇している銀行は70行ある。
金融庁は、10年後に全国の地方銀行の6割が貸出や投資信託販売などの本業が赤字に転落するという試算を公表している。
これはマイナス金利導入による貸出金利の低下の影響もあるが、現在は多くの地銀が国債や株式の売却で高水準の利益を維持しているが、10年後には地銀の経営は成り立たなくなるという内容である。
実際に2015年3月期決算で地銀の4割が赤字となっている。

2016年12月20日火曜日

「儲」ける
とは
「信」じる「者」
という事である。

2016年12月15日木曜日

If today were the last day of my life,
would I want to do what I am about to do today ?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、
今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?)
by スティーブ・ジョブズ
一般にはあまり知られていないが、2015年度税制改正で国税当局は、富裕層を狙い撃ちする方針を鮮明にしている。
富裕層の海外資産を把握するとめ、国家間の「自動的情報交換制度」を導入し、海外への税逃れには「国外転出時課税制度(出国税)」を創設した。
自動的情報交換制度は、2017年以降、個人と非上場企業が海外に持つ金融口座の内容が、海外の税務当局かを通じて、国税庁の「国税総合管理(KSK)システム」に入力されることになっている。
つまり国外財産調書の記載をごまかしていれば、国税庁のKSKシステムで判明し、厳しい追及を受けるのである。
この自動的情報交換制度は、OECD租税委員会が主導し、英、独、仏、シンガポールなど合意した101ヵ国・地域の税務当局が非居住者の金融口座情報を相互に交換し合うことになっている。
情報交換の時期は2017年から実施する国と、その翌年から実施する国に分かれている。
シンガポールの場合、日本の居住者がシンガポールの金融機関に持つ預金、証券口座の保有者氏名、口座残高、利子・配当年間受入れ総額などが、2018年からシンガポールの国内歳入庁を通じて、日本の国税庁に年1回、自動的に入ってくる。
日本の富裕層を驚かせたのは、2012年度の税制改正に盛り込まれた「国外財産調書制度」だった。
この制度は、海外に5千万円を超す資産を持つ日本国民に対し、2013年度の確定申告から、海外資産の内訳明細書を税務署に提出することを義務付けた。
親告すべき海外資産とは、国外支店口座にある預金、株式、債券、不動産、貴金属、国外で契約した生命保険に至る。
この海外資産について虚偽の申告記載をしたり、申告書ほ提出しなかった場合、1年以下の懲役または50万円以下の罰金が科せられる。
日本の個人金融資産は総額1700兆円で、その1%としても17兆円が海外に移動していると考えられる。イタリアの場合は5%が海外に流れていた。
国税庁の発表によると、制度施行時の2013年申告分の「国外財産調書」の提出数は5539件(財産総額2兆5142億円)に過ぎなかったが、2014年分は8184件(財産総額3兆1150億円)と、5割も提出数が増えている。
2013年分の申告は罰則が猶予されていたが、2014年分からは故意の不提出や虚偽記載に罰則規定が適用された影響も大きい。
国外送金等調査書は、国税調査官には「コクソウキン(国送金)」と呼ばれているという。
1回に100万円を超す国内金融機関への入金や国外金融機関への送金があった場合、日本の税務署は、その金額や入送金者名、目的を金融機関に報告させている。
金融機関からの報告に基づいて、税務署は納税者に質問文書を送り付ける。
送金が多額であれば、無申告の資金を国外に送ったり、秘密の国外財産を日本に戻したりしたのではないかと疑うのである。
税務署の「お尋ね」を受けて、素直に修正申告をすれば単純な申告漏れで済まされるが、しらを切り続けると、悪質な所得隠しの疑いを持たれ、厳しい追及と重加算税が待っている。
国税庁の追及はさらに、100万円以下の海外送金についても及んでいる。
「ミニマルサ」と呼ばれる国税局資料調査課は、強制調査権を持たない代わりに、定期的に金融機関に出向き、名寄せをして追跡を続けている。
1000万円を100万円以下に小口に分散送金すれば、バレないと思っていても、国税は把握している。
国税庁の海外での「長期出張者」の活動実態の一部が会計検査院によって暴かれたことがある。
2006年に、その出張旅費に関して国税庁の海外拠点が厳しい実地調査やヒアリングを受けた。
その際に公表された会系検査院の「平成18年度決算検査報告」を見ると「保秘」至上主義の国税庁にとって、実に手痛い内容であったかが理解できる。
「国税庁は、外国における税務行政、税制等の研究、公開情報の収集、短期出張者の支援等の用務を行う職員のために、現地で事務所を借上げている。
この現地事務所は、事務室、居室等を備えていて、長期出張者は日当、宿泊費等の支給を受ける一方で、この現地寺家所で宿泊し、ここを拠点に用務及びその用務のための活動を行っていた。旅行命令簿及び旅費請求書には現地事務所の所在地は記載されていなかった。
国税庁は、平成17、18年度に米国のワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスに長期間出張させた計6人の職員に計3910万円の旅費を支払っていた」
そして、会計検査院は、国税庁の「長期出張者」の日當、旅費の計算上の誤りを突き、この6人に払った旅費のうち計566万円が無駄遣いにあたる、と指摘した。