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2015年4月15日水曜日

不動産価格のデータが整備され、定点観測的に記録されているのは先進国だけで、特に中国の不動産価格のデータはアテにならない。
中国では、その年にその地域で取引された不動産の売買価格を、不動産面積で割ったのが、その年の不動産価格のデータとなっているという。
つまり、高額物件が多く取引されていれば、データ時用では不動産価格が上昇したようにみえ、逆に定額物件が多く取引されていれば不動産価格が下落したように見えてしまう。
GDPの動きと株価の動きを比べると、景気や経済と株価とに強い関連は無い。
特に日本では企業収益と株価も強い関係がない。
少なくとも短期的には景気、経済と株価の間には強い関連は無い。
過去の推移をみると、日本でもアメリカでも上場企業の時価総額の総和の上限はGDPの140%程度で、下限は日本で50%、アメリカで70%程度となっている。
つまり、日本の場合、いくら株価が高騰していても時価総額の総和がGDPの140%に近づけばやがてピークに達する可能性が高く、株価がどんなに暴落していてもGDPの50%なで落ちると、回復すると考えられる。
東京拘置所では、未決囚(被疑者・被告人)は自費で一部の食料品を購入できるが、そのリストの中に「リンゴ」は入っていない。
リンゴは外部の人が差し入れないと入手できない。
つまり、未決囚にとってリンゴが手元にあるということは、「外部に支援者がいる」という事を意味する。
東京拘置所の未決囚にとって、リンゴは単なる果物ではなく、外部との絆の象徴なのである。
戦前のマルクス主義には、2つの潮流があった。
第1は、日本共産党に近い「講座派」で、1930年代前半に岩波書店が刊行した『日本資本主義発展史講座』の執筆者が多かったのが、講座派という名称の由来となっている。
明治維新はブルジョア(市民)革命ではなく、絶対主義天皇制を強化するもので、日本は封建的構造を持っており、それが他国と異なる独自の日本資本主義の鋳型を構成していると考えた。
日本型経営論も思考の鋳型としては講座派と親和的である。
第2は、非共産党マルクス主義者が「労農派」という緩やかなネットワークを形成した。雑誌『労農』の寄稿者が多かったので、労農派と呼ばれた。
明治維新は不完全な形であったがブルジョア(市民)革命で、日本は高度に発展した資本主義国で帝国主義政策を展開していると考えた。
天皇制を含め日本的な特殊性は、近未来に世界的は簿で拡大する資本主義システムに取り込まれると考えた。
戦後、労農派は社会党左派や総評に強い影響を与えた。
また、1950年代末に日本共産党から分裂した新左翼も、講座派に対抗する観点から、労農派を拠り所にするようになった。
東京拘置所の独房には、ナイフ、フォーク、スプーン等の金属類を持ち込むことは禁止させている。
午前10時と午後3時に、雑役係の懲役囚が「カイカーン、ホウチキー」と叫ぶが、缶詰を開けることを「開缶」といい、囚人は看守と話したいことがある時は、報知器のボタンを押す。
「カイカーン、ホウチキー」とは、「缶詰を開けたい人は報知器を押してください」という意味なのである。
ちなみに囚人が購入、もしくは差し入れで受領できる缶詰は、プルトップ缶ではなく、缶切りで開ける伝統的なものだけである。
夏は冷房がない独房の室温は35度を超え、湿度も高いので、食パンだと差し入れから5~6時間でカビる。
独房は細菌の培養器のようになっているので、開缶後はなるべく早く食べた方が安全である。
政治家自身の知識の水準、知的構想力が高くなくても、権力さえ握っていれば、後知恵で理屈をつけてくれる有識者が現れてくる。
オットー・ケルロイターという、ワイマール憲法を改正せずに、実質的なナチス憲法を成立させるという悪知恵を出した、ナチス体制の立役者がいる。
ヒトラーに立法権を付与する全権委任法は、ワイマール憲法の緊急事態規定を悪用したものだった。
公民法に至っては、国民を「国籍保持者」と「帝国市民」に区別し、帝国市民にはドイツ人もしくはドイツ人と同一の血統を持つ国籍保持者のみがなれ、帝国市民のみが選挙権、官吏になる資格を持てた。帝国市民でないユダヤ系ドイツ人などの国籍保持者からは政治的権利を奪った。
さらに「血の保護法」でドイツ人とユダヤ人の結婚を禁止し、4人の祖父母のうち3人がユダヤ教共同体に属していると、本人の信仰に関わりなく完全ユダヤ人とした。
1936年7月31日以降に、ドイツ人とユダヤ人の間に生まれた非嫡出子は完全ユダヤ人とする規定が、普通法として定められた。
このような規定は、当然、ワイマール憲法に反する。
しかし、ワイマール憲法は形式的には、ナチス・ドイツ第三帝国の時代にも存続したのである。
ワイマール憲法のような模範的な人権が規定された憲法を、ナチスの暴力だけで無効にすることはできない。
暴力的な政治には、それを正当化する有識者が必ず存在するのである。
いつの時代もケルロイターのような知恵者が現れて、法解釈の名の下で民主主義を内側から破壊していく危険性があることを忘れてはならない。
ヒトラーは、中途半端な聖書進学の知識を持っていた。
19世紀以降の史的イエス研究の結果、イエスが唱えた教えをキリスト教という宗教に編成したのはパウロであることが明らかになった。
イエスは自らをユダヤ教徒と考えていた。
キリスト教の教祖はイエス・キリストであるが、キリスト教団(協会)の開祖はパウロなのである。
ヒトラーは、聖書神学者の一部にある反パウロ主義を、ナチズムに巧みに取り入れたが、ユダヤ教やキリスト教に関する知識は貧弱だった。
ヒトラーは、イエスの母親がユダヤ人だった可能性があると述べるが、ユダヤ人の自己理解では、母親がユダヤ人だとその子供は自動的にユダヤ人となる。
ヒトラーには、このようにユダヤ人に関する知識の基本が欠けているのである。
ヒトラーの「政治とは、ある民族がこの現世での存続を求めて行う生存闘争を実行していくうえでの技術である」という定義で重要なのは以下の3つである。
第1は、政治を「民族の現世での存続」、すなわち徹底的に世俗的性質の事柄であると規定していることである。自由、平等、正義などの現実の世界では実現しないが、しかし人間として追及した方がよいと考えられる超越的価値を、ヒトラーは政治の世界から追放した。
第2は、政治を「生存闘争」と規定していることである。ここから、生き残るためには、何をしても良いという結論が導き出される。
第3は、政治を「技術」と規定していることである。当初の政治的目的が、ユダヤ人の絶滅のようなことに設定されると、後は技術的にその目的を達成することができるように絶滅収容所を建設し、ユダヤ人輸送の列車運行計画を立てるという連鎖となる。つまり政治の邪悪な目的が、価値中立的な技術に解消されてしまうのである。