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2017年11月7日火曜日

社会保障制度の原点は、16世紀の貧困法であり、ビスマルクにある。
しかし、貧困法は最下層の人間を放っておくと疫病を広げてしまうとか、暴動を起こすかもしれないとか、そういう状況を抑え込むために、一定の生活を保障せねばまずいという発想で、施しという形でできた。
ビスマルクの社会政策は、鉄血宰相が考え出した社会保障制度だから、要するに革命を起こさせないためのものだった。
今の世の中の社会保障や人権の擁護は、それを超える必要がある。
IMFが最近、グローバル社会は格差の拡大に目を向けねばならないと言い出しているが、それは社会的に危うい現象だと言える。
同一価値労働同一賃金は、国際労働機関(ILO)も打ち立てている概念であり、労働者側に立った概念であるため、その概念自体には問題はない。
しかし、経団連が言っている同一価値労働は異なり、企業にとって同じ付加価値を生み出す労働が同一価値労働であり、それに同一賃金を払うと言っている。
企業にとってどういう役に立つかという発想から、同一労働の価値を決めようというのである。
労働者の権利をどう守っていくかという観点を持つのがガバナンスだが、その認識は全くない。
企業は、労働「者」を労働「力」としてしか見ておらず、人間か不在なのである。
勤務評定的足論を持ち、企業側がその労働が有益かどうかを判断するのである。
かつて日本の財界には、経済同友会と日本経済団体連合(経団連)、日本経営者団体連盟(日経連)があった。
日経連はアカ対策で、会社の中の共産党潰しを役目とするので、財界労務屋と言われた。
同友会は、好意的に言えば、社会的責任を強調した若手経営者でスタートした団体だった。
経団連は政財界の緊張関係を保っているところもあったが、現在は日経連を吸収して、労務屋の発想しかなくなった。
かつては、財界総理や財界四天王などと呼ばれ、総理大臣でも頭が上がらない財界人が存在した。
彼らが市民的な監視人の役割を多少なりとも果たしていた面があったが、現在は完全に消え去ってしまった。
大平正芳総理の娘婿は森田一で、その娘の渡邊満子が一時期、民進党の玉木雄一郎の公設秘書をしていた。
彼女が書いた『祖父 大平正芳』を読むと、もはら民進党に期待をせざるを得ないほどに、宏池会は自民党の中で居場所がなくなった事が理解できる。
それを象徴しているのが、大平正芳の孫である。
加藤紘一が言った「観念保守」と「生活保守」の区分けで言えば、現在の自民党は観念保守だけになってしまったということである。
キリスト教圏の中でもイギリスはどこかいい加減なところがある。
ヘンリー8世がいい加減の技を編み出した。
イギリス国教会のやっていることや中身や主張、守るべき儀式や秘蹟はカトリックと殆ど同じたが、唯一違うのは協会の上に王室があることと、司祭の結婚が認められていることである。
だからイギリス国教会には、魂が抜けたカトリックのような一面がるある。
カトリックの肝心なところを崩して、王様がやりたいようにできるという、良いとこ取りの世界をヘンリー8世が作ってしまった。
カトリックというのは面白い言葉で、Catholicと書くと「カトリック教会」や「カトリック信者」を意味するが、catholicと書くと、「多面的な」「多様な」という意味になる。
悪く言えば「いいかげんな」という意味である。
「アルコールの趣味はcatholicです」と言うと、どの種類の酒でも構わずに飲む、多品種大量飲酒だという意味になる。
だから、「寛容な」「寛大な」と言う意味にも通じる。
そういった意味では、カトリック信者はいいかげさが特徴だとも言えなくもないという。
鎌田慧氏の『自動車絶望工場』は、今で言う非正規労働の現場をルポルタージュした世界てせも先駆的な名著である。
この本の原題は『トヨタ絶望工場』だったが、出版直前に横槍が入り、土壇場でトヨタの名前が消されたという。
その英訳版が出版されるに当り、イギリスの社会学者のロナルド・ドーアへ序文が依頼された。
するとドーアは、トヨタのヨーロッパ支社に電話して、『自動車絶望工場』に書かれている悲惨な状況が今どうなっているのかと質問したという。
そうしたら、ヨーロッパ支社の上層部が飛んできて、そんなどこの馬の骨か分からない人が書いた本に、ドーアさんのような碩学が本当に序文を書くのかと言ったという。
ドーアの面白いところは、そのいきさつを全て序文に記載してしまい、英訳版は序文だけで、凄い厚みになったという。
欧州の知識人は、巨大な相手に怯まない面がある。
マルクスは革命家ではない。
本当の意味での革命家は、レーニンである。
本質的にマルクスは研究者であり、『資本論』は、資本の運行メカニズムを解明するために書いたのであり、革命運動のプロパガンダのために書いたのではなく、革命マニュアルでもない。
マルクス自身が、自分はマルクス主義者ではない、と言っている。
イギリスを発祥とする「シャドー・キャビネット(影の内閣)」は、政府が出した政策を吟味して批判し、状況によっては提案の問題性を炙り出すために対案を示してもいいが、その本意は批判であり徹底吟味である。
そのために一対一の対応として影の大臣を置く。
政府のやることを調べ上げ、揚げ足を取り、悪口を言い、問題点を掘り起こす。
それをやる担当が「影の内閣」の意味である。
だから与党が野党に対して、「対案を出せ」というのは、議会民主主義上のルール違反である。
与党と野党が対等な位置づけで対案合戦をするのが議会ではない。
提案をしなければならないのは与党であって、野党はそれを精査・審査・評価する側であり、批判的審査員に徹すべきである。
ところが、民進党はかつては「影の内閣」と言っていたのを、ある時から「次の内閣」と言い換えた。
「影」と「次」では全く姿勢が異なってくる。
自ら「次」などと言ってしまうから、相手から「対案を出せ」という土俵に必死での労としてしまったのである。
野党は反対するためにいるのであり、それが我々の仕事だと、堂々としているべきである。
経済学が、大恐慌を予見することができなかった事への反省として、自然科学へのコンプレックスから、計量経済学や理論経済学が生まれたという一面がある。
実験できないものは科学ではない、唯一の解答が出ないものは科学ではない、再現性がないと科学ではない、といった言い方に経済学が、社会科学というものはそういうものではない、経済学は人間の営みであるから自然科学とは異なるのだと、力強く逆襲できなかったのである。
だから自然科学と同様の客観性や再現性や実験性があると仕立てようとして、どんどん数学にのめり込んでいったという経緯が一つの問題としてある。
更にコンピューターが出現して、それを使うことができない学問は現代の学問ではない、という発想がビックデータコンプレックスを生んでいる。
経済学の祖であるアダム・スミスは、むしろ文学的な表現を使って、人間の営みとしての経済学を語っている。
ケインズも同様である。
そうした経済学の流れから、近代経済学がどんどん遠ざかってしまった。
ジョン・F・ケネディ大統領の就任演説だった「祖国があなたのために何をしてくれるかを問うなかれ。あなたが祖国のために何ができるかを問うべし」で、当時のアメリカ国民は盛り上がった。
これは猛烈に全体主義的なメッセージである。
面白いのが、ここでケネディは「カントリー」という言葉を用いている点である。
「ネーション」を使えば、民族主義的になり、「ステート」を使えば国家主義的となり、どちらもひんしゅくを買っただろう。
だからケネディは、あえて「カントリー」を使ったのである。
これは、なかなかの策略に満ちた発想である。
都会を意味するタウンと違い、「マイ・カントリー」と言えば、出身国を意味する上に、故郷、郷里、田舎のニュアンスがあるからこそ、カントリーという言葉が、アメリカ人の心を掴んだのである。
国家ではなく祖国というニュアンスを出すために、カントリーを意図して選んだのである。
昭和2年の金融恐慌の際に、最初に東京渡辺銀行が破綻した。
破綻によって取り付け騒ぎが起きるのに備えて、大蔵省が緊急措置として200円札を発行した。
しかし、緊急性を優先したため、表面だけ印刷して裏面は真っ白だった。
これがいわゆる裏白紙幣である。
そして、この紙幣を使った人が逮捕されてしまう。
大蔵省から警察への連絡が行き渡っておらず、警察は裏白紙幣の存在を把握できていなかったのである。
本物とニセモノは、全く違うものではなく、すごく近いものなのである。
裏白紙幣のエピソードで理解すべき事は、裏が白いから信用されないというわけでは無く、発行主体に対する信頼が無くなってきたからいかがわしく思われたという点である。
政府や中央銀行が信頼性を持っている限り、表だけ印刷されている紙幣でも問題はない。
突き詰めていくと、信用されているかどうかが、通貨が通貨であるかないかの核心である。
その意味では、全ての通貨は基本的には仮装通貨と言える。
金貨と銀貨では金貨の方が価値が高いと決めているのは、人間であって、それを人間がお互いに約束し合っているから価値を認められているだけである。
ポーランド人のルドヴィコ・ザメンホフが考案したエスペラント語は、世界共通語を目指してつくられた言語である。
1905年に第1回世界エスペラント大会が開催されるが、第一次大戦後、国際連盟創設への流れの中で、世界平和と言う理念の一環として注目され、エスペラント語は更に広がっていった。
一方でエスペラント語は厳しく弾圧された。
スターリン体制に抵抗したユーゴ―のチトー大統領は優れたエスペラント語使いだったが、チトーも権力を持つようになると弾圧する側に回ってしまった。
スターリン体制下では、文化領域では切手収集家とエスペランティストが顕著に弾圧された。
切手収集は海外との文通という国際性を持つ趣味であり、エスペラント語もまた世界につながるものだったからである。
エスペラント語は、あくまで国際性に向かう手段に留まるものという意味では、通貨に似た面がある。
ちなみに、石原莞爾は満州国にエスペラント語を採用しようとしていた。
そこには、英語への強い反発があり、英語ができる、できないで人間を測るなんてとんでもないと、書き残している。
エスペラント語を共通語にして、満州に五族協和の右翼ユートピアをつくろうという高層は、大日本帝国の命運とともに消え去り、現地の人々に日本語を押し付けた負の歴史が残った。
徳島に『あわわ』というタウン誌を発行していた住友達也という人がいる。
2015年に『ガイアの夜明け』で紹介されたが、彼は買い物がままならない「買い物難民」の問題ほ解決すべく、小型の移動販売車「とくし丸」を過疎の地域に走らせた。
「とくし丸」は週2回、400品目を載せて、民家の軒先まで出張販売にいく。
自身の高齢の母親が買い物難民化していたのが動機だという。
住友氏はこの事業を始める前に、カタログハウスの創業者・斎藤駿氏に相談したところ、絶対に失敗すると言われたという。
しかし、「とくし丸」は大変好評を博し、現在では全国の過疎地域を走っている。
意外な事に、都会のど真ん中の四谷でも走っている。
小型移動者を走らせる人達は事業パートナーで、それぞれは個人営業で、商品は地元のスーパーから販売代行を委託される形になっている。
しかし、それだけでは採算がとれないので、1品目の買い物につき、購入者に10円を負担してもらう事で利益が出るという。
こうやって地道に始まった「とくし丸」は、現在では大手メーカーから競って新商品を積んで欲しいと頼まれる存在となっているという。
「とくし丸」での売れ行きが、高齢者のマーケットリサーチになるからだという。
住友氏が決めたことの一つに、地元スーパーや小売店が残っている地域には進出しない、という共存共栄の理念がある。
加藤紘一は、保守には「観念保守」と「生活保守」があると言っていた。
観念保守とは、国を第一と考える国権派で、それに対して生活保守とは民権派につながる。
今や生活保守は存在しなくなった。
生活は地域に根差すものなのに、生活を忘れた観念保守派が日本社会を席巻している。
加藤はそれを深く認識し、強い危機感を抱いていたという。
卓球の国際試合を主催するのは、以前はずっと国際卓球連盟だった。
多くのスポーツ競技と異なり、卓球の選手は国家単位ではなく、地域の協会単位で出場していた。
だから、退会に各国の国旗や国歌が用いられることは無かった。
その特性があったからこそ、ピンポン外交が生まれた。
有名なのは、1971年に愛知県で開催された第31回世界卓球選手権に、中国が6年ぶりに出場し、大会終了後に中国が米国の選手を自国に招待したことが、米中・日中の国交回復の伏線となった。
つまり、国際卓球連盟は国家を超えていた。
残念ながら1988年のソウルオリンピックから、オリンピックで卓球競技を実施するために規約が変更され、卓球も国家単位での出場となってしまった。
だから、それ以降、ピンポン外交が生まれる余地は無くなってしまった。
自由貿易こそが、戦争に対する最大の防波堤である。
by ジャクディーシュ・バグワティ
(インド系アメリカ人の貿易論の大家)
欧州では食糧自給率が低い国は戦争をしたがるというレッテルが貼られるという。
欧州の食料自給率が90%以上あるのに比べて、日本の食料自給率は40%を割っている。
TTPが実施されれば、さらに低くなったであろう。
安保法制と戦争がセットであることは自明だが、食料自給率と戦争の関わりという観点も見逃してはならない。
現在の日本では天引きによる源泉徴収税が徹底しているが、戦前は申告税制だった。
軍人から税金を徴収しようとしたら、「帝国軍人から税金を取るとは何事か」と税務署が脅され、恐ろしくなった税務署が、いやおうなく徴収できる天引き制に切り替えたというのが、源泉徴収税の制度導入の由来だという。
デフレに対応して、一定の物価上昇率を目標として金融緩和を行うという日本流のインフレターゲット論には、疑念があるという。
そもそもインフレターゲット政策は、インフレを抑えるために作られたものであり、インフレという怪物をターゲットにしてやっつけようとする政策である。
それをデフレ退治の政策として読み替えること自体がナンセンスという話である。