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2017年11月7日火曜日

ポーランド人のルドヴィコ・ザメンホフが考案したエスペラント語は、世界共通語を目指してつくられた言語である。
1905年に第1回世界エスペラント大会が開催されるが、第一次大戦後、国際連盟創設への流れの中で、世界平和と言う理念の一環として注目され、エスペラント語は更に広がっていった。
一方でエスペラント語は厳しく弾圧された。
スターリン体制に抵抗したユーゴ―のチトー大統領は優れたエスペラント語使いだったが、チトーも権力を持つようになると弾圧する側に回ってしまった。
スターリン体制下では、文化領域では切手収集家とエスペランティストが顕著に弾圧された。
切手収集は海外との文通という国際性を持つ趣味であり、エスペラント語もまた世界につながるものだったからである。
エスペラント語は、あくまで国際性に向かう手段に留まるものという意味では、通貨に似た面がある。
ちなみに、石原莞爾は満州国にエスペラント語を採用しようとしていた。
そこには、英語への強い反発があり、英語ができる、できないで人間を測るなんてとんでもないと、書き残している。
エスペラント語を共通語にして、満州に五族協和の右翼ユートピアをつくろうという高層は、大日本帝国の命運とともに消え去り、現地の人々に日本語を押し付けた負の歴史が残った。

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