戦後の財産税は不動産や株なども対象とされていたが、当時は政府が国民の財産を把握することが難かしく、課税を逃れたケースもあったとされる。
その代表例が、貸ビル業から大手ディベロッパーへ飛躍を遂げた「森ビル」の創始者である森泰吉郎である。
森は1904年に東京で、米屋の傍ら貸家業を営む家庭に生まれ、裕福だったこともあり不自由なく大事に育てられた。
1923年に起きた関東大震災で実家の所有物件が殆ど倒壊した際に、コンクリート造による建て替えを父親に進言している。
また終戦直後に、焼け野原となった東京を見渡して、「貸ビルの需要が増える」と考えたという。
また終戦直後に、焼け野原となった東京を見渡して、「貸ビルの需要が増える」と考えたという。
一方、森は食料を輸入するために日本の目玉産業の人絹(レーヨン)の輸出が活発になり、相場が儲かると見込んだ。
偶然かどうか怪しいが、預金封鎖の直前に全ての預金を引き出した森は、人絹を買い漁り、その後の相場急騰により元金が何十倍にも膨らんだ。
偶然かどうか怪しいが、預金封鎖の直前に全ての預金を引き出した森は、人絹を買い漁り、その後の相場急騰により元金が何十倍にも膨らんだ。
その資金を元手に、森は虎ノ門周辺の土地を底ねで買い漁った。
そして、「都心近くの東側から千葉に行くには、全て森ビルの土地を通らなければならない」と言われるようになった。
そして、「都心近くの東側から千葉に行くには、全て森ビルの土地を通らなければならない」と言われるようになった。
森泰吉郎は、1991年と1992年に米フォーブス誌の世界長者番付で1位に選出されている。
正しく「資産家は恐慌時に生まれる」のである。
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