一夕会は長州閥を追い出して自分達の天下を取りつつあった頃に、二つに分裂してしまう。
分裂の原因には、対ソ連への考え方の違いがあった。
分裂の原因には、対ソ連への考え方の違いがあった。
永田鉄山は国家総動員法を作って日本をどんな戦争にも対応できるように国防国家にした方が良いと説き、それが「統制派」の考え方だった。
一方、小畑敏四郎は、ソ連が五カ年計画に次ぐ五カ年計画でどんどん強力になっていく前に、早めに叩いた方が良いという、「作戦の鬼」にしい軍事優先だった。
小畑は荒木貞夫陸軍大臣の秘蔵っ子だったので、国家統制より荒木の唱える天皇親政によって国を治めるという「皇道派」の中心人物となっていく。
小畑は荒木貞夫陸軍大臣の秘蔵っ子だったので、国家統制より荒木の唱える天皇親政によって国を治めるという「皇道派」の中心人物となっていく。
この皇道派に繋がる青年将校が二・二六事件を起こしたことで粛清され、統制派が陸軍を牛耳るようになっていく。
皇道派は統制派によって「東京の十里四方以内には入れない」とまで言われるほど、全員が中枢から遠ざけられる。
皇道派は統制派によって「東京の十里四方以内には入れない」とまで言われるほど、全員が中枢から遠ざけられる。
のちにヤルタ会談後にソ連が参戦するという機密情報を東京に送ったスウェーデン駐在武官・小野寺信は皇道派に属していたため、その最重要情報が握り潰されたといわれている。
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