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2016年9月25日日曜日

日本の軍隊は明治の初めに、天皇を守るための新兵として、薩摩藩と長州藩を中心に兵隊を集めてできた。
それまでは天皇を守る軍隊は無かった。
幕末には各藩に藩士、庶民からなる騎兵隊のような集団もあったが、これらは天皇の軍隊ではなかった。
彼らが最初に明治政府軍として、旧幕府側勢力軍と戦ったのが戊辰戦争であり、有栖川宮熾仁親王という公家を総大将にして、長州藩出身の山県有朋以下の参謀たちが支えて戦いに勝った。
この時はまだ天皇の軍隊ではなかった。
その後、薩長を主力として全国から兵を募り、武器の扱いや組織での動き方を訓練した兵隊を作るため、1873年に徴兵令施行として実施され、ようやく近代的な軍隊の体制が整った。
しかし、この徴兵令は武士の完全廃業を意味し、士族の反乱が相次いで起こり、ついに西南戦争が起きてしまう。
この西南戦争でも総大将を有栖川宮熾仁親王に、日本最強の兵といわれた薩摩軍を相手に戦う、天皇の軍隊として初めての戦闘だった。
薩摩軍は兵力3万人余、小銃1万1千挺、大砲60門という精鋭の大軍だった。
だから勝海舟は、薩摩軍が勝ち政府軍が負けて維新はもう一度やり直しになると言っていたくらいだった。
明治政府は大金をはたいて最新式の兵器を集めた。
西郷軍の主力が着火に手間取る旧式のエンフィールド銃だったのに対して、新型スナイドル銃の他、射程距離・貫通力ともにそれを凌駕するヘンリー・マルチーニ銃、ガトリング砲、アームストロング砲という大砲まで投入した。
ちょうど南北戦争が終わったばかりのアメリカで、武器が山ほど余っていて安く買えたのである。
格安といいながら、明治10年の国家財政支出が4800万円なのに対し、戦費は4156万円もかかっている。
結果的に物量と輸送力に助けられて政府軍が勝利する。

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