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2016年12月9日金曜日

日露戦争の費用は総計で19億8612万円だった。
当時の国家予算は2億5000万円だったので、8年分に相当した。
このうち14億7329万円は国債で賄われ、その他は臨時特別税で賄われた。
国債のうち13億円が外債が占めた。
この外債募集を担当したのが、当時、日本銀行副総裁だった高橋是清だった。
高橋是清が日本政府から申しつけられた外債の額は1000万ポンドであり、同盟国のイギリスで銀行家を説得し、何とか半分の500万ポンドを引受に成功した。
残りの500万ポンドを、アメリカ国籍のユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフが引き受けてくれた。
シフが協力してくれた背景に、ロシア帝政のユダヤ人迫害を阻止する目的があったという。
日本政府はジェイコブ・シフを日露戦争終戦の翌年に、日本へ招待し、明治天皇に拝謁し、勲一等旭日大綬章を送っている。
外債の工面に高橋是清が奔走している頃に、1904年4月30日に鴨緑江で日露の陸軍による最初の激突が起こり、日本の圧勝となった。
この鴨緑江の渡河作戦の勝利により、英米で発行された日本の公債は大人気となり、英米ともに申込者は予定の数倍となった。
結果、外債は最終的に8200万ポンド発行された。
まさに日露戦争は綱渡りだったのである。

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