『歎異鈔』に対して異を唱えたのが南北朝時代に書かれた北畠親房の『神皇正統記』である。
「大日本(おおやまと)は神国(かみのくに)なり」という言葉で始まる。
日本の特徴は神道にあるが、神道は理論化ができない、そゆえに他国の思想と比べないと日本の特徴はわからない。
そういって、インド(天竺)、中国(震旦)、特に中国との比較を重視する。
日本の特徴は神道にあるが、神道は理論化ができない、そゆえに他国の思想と比べないと日本の特徴はわからない。
そういって、インド(天竺)、中国(震旦)、特に中国との比較を重視する。
中国は易姓革命、すなわち天の意思が変わったら地上の秩序も変わって王朝が後退する乱脈きわまりない国である。
大日本は神の国だから、王朝は変わらない。
それだから天皇にも皇后にも姓がない。
大日本は神の国だから、王朝は変わらない。
それだから天皇にも皇后にも姓がない。
北畠親房は武烈天皇と継体天皇の関係に注目し、『日本書紀』で武烈天皇は暴君、残虐な天皇として描かれている。
武烈天皇には世継ぎは生まれなかった。
当時、世継ぎができないというのは、天の意思にかなった政治をしていないことを意味した。
武烈天皇には世継ぎは生まれなかった。
当時、世継ぎができないというのは、天の意思にかなった政治をしていないことを意味した。
この場合、日本では中国とは異なる形で易姓革命、放伐が行われ、武烈天皇の系統はなくなり、継体天皇の系統となった。
武烈・継体の関係は歴史実証的に見れば明らかに系統としては繋がっていないはずで、別王朝の誕生と見ることも可能である。
しかし、日本においては王朝交代はないので、だから百王説は間違いで、当時のグローバルスタンダードの論理だった易姓革命は一定の限定のもとでしか適用されない。
グローバリゼーションは日本においては独自の変容を遂げる、というのが『神皇正統記』の考え方である。
しかし、日本においては王朝交代はないので、だから百王説は間違いで、当時のグローバルスタンダードの論理だった易姓革命は一定の限定のもとでしか適用されない。
グローバリゼーションは日本においては独自の変容を遂げる、というのが『神皇正統記』の考え方である。
今は一時的に間違った人たちが権力をとっているが、それは必ず正しい方向に戻ってくるという復古維新思想のテキストといえる。
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