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2015年7月12日日曜日

戦前の日本の教育システムが優れていたのは、エリートが四分割されていた点である。
現在の日本はアメリカ型のシステムに則っており、エリートをつくるのは一本線になっており、エリートになるには職業科の高校ではなく、普通科の高校。そして四年制大学に行って大学院へ、という流れが出来上がっている。
これに対して戦前は、まず軍人か非軍人かで分かれた。
軍人は陸軍幼年学校、あるいは中学校の途中から海軍兵学校か陸軍幼年学校に移り、エリート軍人としてのキャリアパスがあった。
もう一つは、中学校から高等学校に進み、それから帝国大学に行くというキャリアバス。
あるいは中学校から専門学校に行くキャリアパス。専門学校も東京商大(現在の一橋大学)、小樽商大、大阪商大(現在の大阪市立大学)といった所は、ビジネスの世界では東京大学経済学部よりも活躍できる環境にあった。
また実用語学、ロシア語や中国語は専門学校の方がレベルも高かった。
ちなみに高校は国際基準では中等教育であり、高校は高騰中学校という意味になる。戦前の高校、いわゆる旧制高校への新確率は1%程度で、高校入試に合格すれば東京大学法学部のような特殊な所を除いて、どこの大学でも行けたので、事実上は大学試験というのは無かった。だから高校進学と大学進学の率は殆ど同じだった。
私立大学は別の枠で、私立大学の入学試験が現在のように難しくなったのは、1970年代の半ば以降で、それでは圧倒的に国立大学の方が難しかった。
しかしこのようなコースに進む為には最低条件として授業料を払えないと進めなかった。
成績は良くて中学に進学させたいが経済的余裕がない子供は、小学校を卒業した所で師範学校に行った。師範学校の授業料は免除されており、寄宿舎や食費や小遣いも国が出してくれていた。
高等師範学校は、師範学校の教員を養成するためにあり、広島高等師範や東京高等師範が最高学府だった。
高等師範を終えた中には教員よりも研究者としての資質がある人材を教育する目的でできたのが東京文理科大学だった。この後の東京教育大学、現在の筑波大学である。
戦後にアメリカが、複数あった日本のキャリアパスょ一本化してしまったのは、良くなかった。
アメリカは日本が全世界を敵に回しても戦争ができたのは、日本の教育システムが良かったからだと考えていた。
だからアメリカと同じように一本化すると同時に、中学校を高校に昇格させ、高校を大学に昇格させ、その結果、実質的な大学は無くしてしまうという戦略があったという。
だから戦前の大学の卒業論文は、現在の博士論文のレベルであり、大学に所蔵されている過去の卒業論文を見ていくと、じんじん劣化していることが分かる。

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