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2014年12月14日日曜日

日本の近代官僚制の祖型は1899年に誕生したとされる。
前年に第9代首相に就任し、第2次内閣を発足させた山縣有朋が、それまでの文官任用令を改正したのである。
明治初期から中期にかけて、日本の官僚制度はめまぐるしく変化した。
1869年に古代律令制の流れをくむ太政官制が導入され、1885年の内閣制度発足まで続いた。
その後、1889年の大日本国憲法発布まで、ひっきりなしに制度改革が行われた。
政党員が官職に就くことも当たり前で、黎明期の官僚制は「政」と「官」が渾然一体を成す「政治的即応性」に重心のかかった制度だった。
文官任用令は1893年に交付され、文官高等試験制度を定めている。
公開試験によって官吏を任用する仕組みではあったが、全ての感触に適用されるのではなく、山縣はこの試験制度を活用して政党員が官僚になることを制限し、自らの配下となる官僚機構を作り上げた。
これにより、「政治的即応性」を失った「政治的中立性」のみの官僚組織が生まれ、この120年前の「官のかたち」が、現在も行き続いている。

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