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2016年7月13日水曜日

吉田茂は、GHQの言う通りに戦後体制を固めていった。
1947年に、吉田内閣の蔵相だった石橋湛山を公職追放したのは吉田だった。
「Y項パージ」と呼ばれる吉田による政敵追放であり、これはその後の「赤狩り」とも連動していく。
こういう人物を単純に評価して礼賛してしまうと、歴史を誤ってしまう。
しかし、日本の戦後体制を西側陣営の自由主義、民主主義、資本主義、そして平和主義で行くとしう方向に決め、戦後の目標を国際社会への復帰と復興も軽装備経済優先と定めた政治家だった。
この過程で日本は血を一滴も流していない。
朝鮮戦争とベトナム戦争の裏では特需的な経済の恩恵ほ受けたのだから、戦争に加担したとは言えなくもないが、実際には自衛隊を派遣していない。
軽装備、つまり憲法改正はしないという保守の知恵、吉田茂こそが解釈改憲のスタートだった。

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