ソビエトができたのは1917年のロシア革命の段階ではなく、1922年にソビエト連邦という国家が成立した。
1919年には全世界に共産主義を広める組織「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が作られた。
ソビエトが安定するまでの間は、国家なんていうものは暫定的で、ソビエトという国家は国際法を守るし、各国と大使の交換もした。
しかし、一方でコミンテルンでは世界革命を継続したのである。
しかし、一方でコミンテルンでは世界革命を継続したのである。
シスラム国はこの両者が渾然一体となったような、ソ連の原型に近い状況にある。
周辺諸国は招致しないと言いながらも、自室上承認せざるを得なくなり、いわゆる「未承認国家」となる。
周辺諸国は招致しないと言いながらも、自室上承認せざるを得なくなり、いわゆる「未承認国家」となる。
イギリスはロシアとの間に1921年に英ソ通商協定を締結し、国交は結ばないが貿易はするという関係で、まず通称代表部を認知するところから外交関係を広げていった。
また満州国とソ連も参考になる。
ソ連は満州国を国家としては認めなかったが、自国民の保護という名目でお互いの領事を交換し、ソ連の領事館はハルビンなどあちこちにあり、逆に満州区の領事館もソ連に置いていた。
ソ連は満州国を国家としては認めなかったが、自国民の保護という名目でお互いの領事を交換し、ソ連の領事館はハルビンなどあちこちにあり、逆に満州区の領事館もソ連に置いていた。
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