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2016年7月16日土曜日

東西ドイツは、冷戦体制の中でも同一性の高い関係にあった。
ドイツの国民宗教はプロテスタントで、伝統的なドイツ福音主義協会(EKD)という組織があって、1945年に第二次大戦が終わり、1949年に東西ドイツが建国された後も、ずっと統一組織だった。
東ドイツに東ドイツ福音主義同盟(ブント)というEKDと袂を分かつ組織ができたのが1969年で、それまでは人事異動も自由で、神学生も東西ドイツを行き来しており、牧師や神学生は東西の政府も手を出せない聖域だった。
ドイツ首相のアンゲラ・メルケルの父親はそこの牧師だった。
ブントかできた時に、西ドイツ出身者の大多数が西側に帰ったが、彼女の一家は東側に残った。
20世紀のキリスト教神学に多大な影響を与えたスイスのカール・バルトですら、西ドイツではなく東ドイツに足を延ばした。
東ドイツの政権政党であった社会主義統一党というのは、1946年に社会民主党と共産党が対等合併してできている。
人民議会は複数政党制で、キリスト教民主同盟あり、自由民主党あり、国家民主党というナチス党さえあった。
体制の外に出すと政権に対する反対運動を始める恐れがあるので、全て議会に取り込んで、体制野党として議会で競わせた。

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