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2017年2月11日土曜日

皮肉なことに「平和」と結びつくのは「平等」ではなく「格差」になる。
そして、「平等」に結びつくのは「戦争」である。
国民国家的な体制を取っている限り、戦争が起これば、金持ちの子供も庶民の子供も「平等」に「戦争」へ行かざるを得ない。
そして、戦費を調達するために累進課税制を取らざるを得なくなる。
つまり、「戦争」になれば、いやでも「平等」になる。
ピケティの『21世紀の資本』にも、こう書かれている。
「第一次世界大戦まで格差が構造的に減った様子はない。
1870から1941年でうかがえるのは、せいぜいが極めて高い水準で格差が横ばいになったということでしかなく、ある意味では特に富の集中増大を特徴とする、果てしない非博愛的なスパイラルなのだ。
戦争がもたらした大規模な経済的、政治的なショックがなかったら、この方向性がどこに向かっていたかを見極めるのはとても難しい。歴史分析と、ちょっと広い時間的な視野の助けを借りると、産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦だけだったことがわかる」
つまり、平等を最も確実に実現する方法は第三次世界大戦であり、それが嫌ならば格差を受け入れろ、ということになる。

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